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月聖第二十五話
2011-06-08 Wed 00:05
 




――――魂が不完全。つまりそれが、あの女が悪となった原因なのですか。
 
 ――――要因の一つではあるでしょう。彼女には魂の一部と共に、自制という精神が欠落している。物事を我慢するという“こころ”が無いのです。やりたいことを、やりたいように 、やりたい。ああ、それだけならばまるで幼子のこころと同じなのでしょう。壊れていようと欠落していようと、曲がってはいない。彼女はとても……素直な存在です。

 ――――…………

 ――――だからこそ彼女は救い難い。自制の欠落とは、他者のこころを斟酌しないということに他なりません。迷いなく、躊躇いなく、あるいは邪気すらもなく己が欲するままに他者を踏みにじる。故に■■■は、どこまでも素直に、悪なのですよ。
































 既に時間に対するまともな感覚は麻痺していた。この地下空洞に身を沈めてからどれほど経ったのか。それを知る術もなく、ただ焦りだけが募っていく。

「ハッ、ハッ、ハ――――」

 冷たい洞穴の中を、一心に駆ける。前方から吹きつけてくる生温かい風は、巨大な生き物の息吹のようだ。
 隣を走る遠坂の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。それは決して疲労によるものではなく、周囲の空気に無節操にぶちまけられた魔力にあてられているためだろう。
 一歩進むごとに濃密になっていく魔力が、目的地に近づいていることを教えてくれる。身体にへばりつく空気は何処までも不快だ。まるでコールタールの海を掻き分け進んでいるような感覚だった。どろどろとした周囲の魔力に飲み込まれないよう、一瞬たりとも足を止めずに駆ける。


 ――――そうしてどれだけの時間、走り続けただろう。



「――――!」

 開ける視界。目の前に広がったのは、まるで遠い惑星に降り立ったような光景だった。

「……うわ」

 ここは本当に地下なのか。今まで走ってきた通路は異星に繋がっていたのだといわれても納得できる。直径が数キロにも及ぶ空間は天蓋もまた高く、円蔵山の内部なかみを余さずくりぬいて造られたかのような巨大なドームだった。
 あまりに異様な光景に圧倒されながらも、周囲に視線を走らせる。
 ドームの中央。未だ彼方のその先に、壁のようなものがそびえたっている。その壁の向こう、断崖の先こそが俺たちの目的地なのだろう。壁によって隔てられていても、あちら側の魔力濃度が異界のそれに等しいことが分かる。
 そして何より目を引くのは――――天蓋を支える巨大な柱だった。

 あれが大聖杯。

 全ての原因にして元凶。そして始まりの器があそこにある。

「士郎」

「ああ」

 威圧感に竦みそうになる足を、なんとか動かした。
 遠坂と並び、一歩一歩足を進めていく。


 向かう先は大聖杯――――じゃない。そちらの方向に進んではいるが、それはただ、ヤツがそちら側にいたからにすぎない。



 この広間に辿りついた時から、ずっと視界はそいつを捉えていた。そびえたつ巨大な天を支える柱。それぐるりと囲む壁。そして――――こちらに背を向け佇む、アサシンの姿を。

 アサシンはまるで、風景のようにその場に溶け込んでいた。こちらの存在に気付いてないわけがないだろうに、微動だにせず彼方の大聖杯を見つめている。

「アサシン……!」

 その背中に強く声をかける。喉が渇く。肌がひりつく。内臓が熱を帯びていくのがわかる。
 細胞の一つ一つが、「この敵を打倒しろ」と騒ぎ立てているかのようだった。

 こちらに背をむけたまま、アサシンはわずらわしそうに深いため息をつくと、
 


「――――ああ、全く。もう二度と会いたくないといったのに」



 はらり、と長い黒髪を翻し、振り向いたアサシンは、



「それとも、『この世全ての悪』あの子の誕生を祝いに来てくれたというのなら歓迎するのだけれど――――ねぇ?」



 命の生誕を祝福する聖母のような微笑と、生命を貪り尽くす悪魔のような嘲笑をごちゃまぜにした表情を浮かべ。

 サーヴァント・アサシンは艶然とした佇まいで、この世全ての悪を待ちわびていた。







 月の浮かびし聖なる杯  第二十五話 ~悪意~







「桜とエリスはどこだ、アサシン」

 こちらの問いに対するアサシンの反応は簡潔だった。ほんの少し目を細め、唇を歪ませただけだ。
 ……それは、余裕のないこちらの様子を嘲笑ったのか。
 かまうか、と一層強くアサシンをにらみつける。余裕なんて欠片もないことは事実だ。今更細かい心理戦なんてやるつもりはない。
 
「全く、そんな目で睨まないで頂戴な、坊や。身体が疼いて、ぶち殺したくなるわ」

 肩をすくめたアサシンは、そのままこてん、と頭を傾けた。そのまま背後にそびえたつ柱を親指で指し、

「あの壁の上よ。黒と、黄金と、そして大聖杯。都合三つの聖杯が、あそこにある。あらゆる望みを叶えるという“聖杯”の名を冠したモノが、三つもね。
 ……最も、一つだって譲ってあげるわけにはいかないけれど」

「当たり前でしょう。こっちだってあんたに頭を下げて、おこぼれを貰うつもりでここまで来たわけじゃない」

 俺と並び立っていた遠坂が、アサシンへと一歩踏み出した。
 毅然とアサシンを睨み据え、遠坂は宣言する。

「貴女の言う三つの聖杯。全部貰うわ、アサシン」

 その言葉に目を丸くし、続けてアサシンは、ほう、と吐息を漏らした。

……いいわ、ねぇ。遠坂凛。貴女のその強欲はすごく好い。できればもっとドロドロしているほうが、私好みなのだけど――――!」

 戯言としか思えないアサシンの言葉を遮るように、脈動が空気を揺らした。
 心音にも似たその音の発生源は――――確認するまでもない。あの柱だ。
 それは、あまりにも生々しい生命の脈動。
 心溶かされたような表情でアサシンは、

「――――それでもやっぱり貴女に聖杯をあげるわけにはいかない。貴女の欲がどれほど強くても、あの子には敵わないもの。
 貴方達にもわかるでしょう? 聞こえるでしょう? 早くこの世界に生まれたいって、必死に訴えているあの子のこえが」

 だから私は、その欲を肯定する。そうアサシンは言った。
 ……何を言っているんだ、こいつは。
 今更だが、改めて理解する。アサシンの言うことは、俺にはまるで理解不能だということを理解する。
 物の考え方が別、なんてことじゃない。思考の次元が違うとしか思えない。  
 胸の奥底に湧きでる不快感を押さえつけ、何とかアサシンの言葉を拾い上げようと試みる。

「……あんたこう言いたいのか? アサシン。アンリマユが生まれたがっているから、あんたはそれを叶えてやろうとしてるって」

「ええ。それだけが理由でもないけれど、あれほど強く願っているのだから、純粋に手助けしたくもなるでしょう?
 ……ねぇ、坊や。今のあの子は本当に、ただこの世に生まれたがっているだけなのよ? その願いは、母体に宿り育まれた生命が持つ、絶対の権利だと思わない?」

 ――――この世に誕生する全ての命には、価値があるのだと。
 その善悪や優劣は関係ない。例え誰にも望まれなくとも、この世界でカタチとなった命には『生まれる権利』が授けられているのだと。
 まるで神の愛を説く聖人のような声と表情で、アサシンはそう言った。

「生まれる、権利か」

 それは確かに一つの正論なのだろう。この世に生まれたいというその願いは、決して罪じゃない。それを権利と呼べるのかは分らないけれど、自身の生誕を願うことは決して悪ではありえないはずだった。

 けれど、その願いを抱いているモノは悪だ。

 その生誕そのものは罪でなくても、その後にアンリマユが行う全ては――――この世全ての悪だ。
 ならば、

「けれど、俺はそれを認めるわけにはいかない」

 地獄があった。十年以上も昔の話だ。感じるものは火の熱。聞こえるのは名も知らない誰かの悲鳴。肉の焦げる匂いが漂う、全てを焼き尽くすような炎があふれる煉獄が、かつてこの冬木に降臨した。
 あの地獄の再現を、させるわけにはいかない。
 それだけは絶対に、許せるわけがないのだ。

「あいつは、この世にあってはいけないものだ。十年以上前からエミヤシロウはそう思ってる。だから俺は、あいつの生まれる権利なんてものを認めるわけにはいかない」

「右に同じよ。こっちは管理者セカンドオーナーって立場もあるしね。あんなのに好き勝手されるなんて、冗談じゃないわ」

 遠坂もまた、力強く言い放つ。それは冬木の管理者として、この地を護らねばならないという強い義務感を感じさせる声だった。
 対して、俺には、そんな高尚な義務感はない。
 あるのはどこまでも身勝手で、分不相応な望みだけだ。

「アンリマユの存在を見逃すわけにはいかない。まして、桜とエリスをあんな災厄を生むための犠牲になんてさせてたまるか。あんたがアンリマユのマスターになって、何をするつもりなのかは知らない、けれど」

 俺達は引けない。アサシンも引くつもりはないだろう。だったらこれ以上、お互い語るべきことはもうない。
 どこまで行っても、アサシンと俺達は意思は平行線だ。
 何より時間を浪費して、アンリマユを抱えた桜にこれ以上負担をかけたくない。少しでも早くあれ・・を投影して、桜をあいつから解放してやらないと。
 ならばアサシンは、俺と遠坂で倒す。セイバーが『セイバー』を倒すまでの時間稼ぎなんかじゃなく、俺達二人で何とかするのだ。
 そう腹を括り、アサシンを睨むと、

「……“犠牲になんてさせない”……ねぇ。さぁて、お姫さまのほうはともかく、自分の望みのために桜を犠牲にしようとしているのは、果たしてどっちなのかしら」

 ぎぃ、とアサシンの口が釣り上がる。まるでこちらをなぶるような、嗜虐の喜びに満ちた顔だった。
 ――――何だ? こいつは何が言いたい。
 この状況で、まだ紡ぐ言葉があるというのか、こいつには。
 
「……何の話だ、アサシン。アンリマユを生むために、桜を犠牲にしようとしているのはあんただろう。聖杯が完成した時点で、桜の身体を乗っ取って――――!」
 
「? ああ。貴方にそう言ったのは『セイバー』ね。貴方達をよこしたことといい、あの英雄様は徹底して私を信用してないみたいねぇ」

 小首を傾げ、表情に疑問を浮かべたアサシンは、やがて得心が言ったように頷いた。
 そのふざけた態度に、心がささくれる。そのいら立ちを、口の中に溜まった唾液と共に無理やり飲み込んだ。

「そうだ。『セイバー』は、お前が桜の身体を乗っ取って、アンリマユのマスターになるつもりだと言っていた。違うのか、アサシン」

「間違ってはいないわね。私は確かに、桜の身体を貰ってアンリマユを生む。けれど別に、桜を犠牲にするつもりなんてないのよ? むしろ出産を代わってあげれば、桜の精神はアンリマユに殺されないで済むのだから、私の行動はそれこそ“桜にとっての助け”でしょう」

「な――――」

 あまりの言い分に、言葉を失う。
 反吐が出るようなアサシンのその世迷言を断じたのは、俺ではなく遠坂だった。

「冗談。英霊の魂なんてものが身体に入ってきたら、桜本人の魂がもつわけがない。魂を押しつぶして殺すなんて、アンリマユと同じじゃない」

「だから、そこに誤解があるのよ。身体を乗っ取るって言葉が悪いのね、きっと。
 ――――私がやるのは魂の一方的な転移ではなく、交換・・よ。私は確かに桜の身体を貰う。けど代わりに、ちゃあんと桜の魂にも新しい入れ物を用意しているわ」

「魂の……交換?」

 一瞬、遠坂が思考の海に沈んだ。こぼれ出る呟きが、こちらの耳にも届く。
「受肉」、遠坂は確かに言った。
 受肉。それは霊体であるサーヴァントが、血肉の通った肉体を得ることだ。
 つまりアサシンは、

「アサシン、お前、受肉した自分の身体に桜の魂を入れるつもりか!?」

「ええ。だけどそれだけじゃないわ。言ったでしょう? 桜に用意するのは新しい入れ物だって。この身体じゃぼろぼろの中古品もいいところでしょうから、ちゃぁんと綺麗な新品をあげないと……ねぇ!!」

 言って、アサシンはお辞儀をするかのように腰を折った。黒い絹糸のような髪が、さらさらと揺れる。
 とっさに身構える俺たちの前で、

「――――!」

 ごきん、という音が無数に重なった。それはまるで、百を超える枝を同時にへし折ったような、そんな音だった。
 音はその一度きりだった。まさに一瞬。一瞬ののちに、ゆっくりと上げられたそいつの顔、は――――



「さ……くら?」



「『はい、先輩。これが、アサシンが私にくれる新しい身体です』」

 
 その声は、桜そのものだった。けれどその顔は、記憶の中の桜のものとは少し違う。その髪も、俺の知ってる桜に比べてその色は濃い。
 本物の桜とは、別人だというしかない。けれど似ている。本当に彼女は、桜に似ている。
 桜に似ている――――はずなのに。

「『どうですか、先輩。この状態で受肉を果たしてそこに私の魂が入れば、私は新しい私になれるんです』」


 桜に似ているその顔を、その姿を。


 どうして俺は、桜に似ているのと同じぐらい遠坂にも似ているなんて、思ってしまったのか。


「あん……た、アサシン。その身体、まさか――――!」

「『そうです、遠坂先輩。……姉さん・・・ならわかりますよね?』」

 遠坂の声は、動揺で震えていた。あの遠坂が、隠しきれないほど動揺している――――?
 そんな遠坂の前で、そいつはそっと自らの腹を撫でる。

「『これは、“私”の身体です。お爺様に弄られず、兄さんに犯されず、蟲に子宮おなかを荒らされもしていない――――そんな夢みたいに都合のいい“私”。その夢を、アサシンの宝具と能力で構築した身体です』」

「……それがあの子の――――桜の新しい身体ってわけ?」

「『そうです……本当は、こんな身体を貰おうなんて思ってなかったんです。夢みたいに都合がいいなんて言いましたけど、私、こんなこと夢でだって見れなかった。こんな綺麗な身体なんて――――そんな奇跡みたいなことは』」

 桜によく似た顔で、桜によく似た声で、桜が浮かべる表情でそいつは言った。

「…………」

 その声が、遠い。がんがんと耳鳴りがする。頭が重くて、視界から色が消えた。
 ぐちゃぐちゃになる思考の中で、それでもたった一つのことだけは理解できた。

 ――――衛宮士郎オレは、こいつが許せない。

 桜がずっと抱えていた、辛い記憶を。
 ずっと秘密にしておきたかっただろう疵を。
 よりにもよって桜本人に擬態して、自分のことのようにぺらぺらと、勝手に晒してやがるのだこいつは……!

「ッッアサシン!!テメェ――――!」

「『……ねぇ、先輩。私本当に、こんなことは望んでなかったんです。アサシンに綺麗な身体をあげるって言われた時も、そんなものはいらなかった。
 だけどアサシンは……ずるくて酷いサーヴァントだから』

 『アサシンに言われて、ほんの少しだけ夢を見てしまったんです』、と泣きそうな顔でそいつは言った。

「『汚れていない私を先輩に見てもらえるだなんて――――そんな都合のいい夢を』」

「ッッ――――!!」

 違う。
 こいつは桜じゃない。アサシンが化けているだけだ。全てが嘘で、桜はそんなこと望んでなんかいやしない。
 だまされるな。こいつはアサシンで、桜のふりをして、勝手なことを口にしているだけだ。
 ……けれど。

「『駄目、ですか? 先輩。私はやっぱり、そんなことを望んじゃいけないんでしょうか――――?』」

 一体、桜にとっての救いは何処にある――――




「駄目に決まってるでしょう。あんたが――――本物の桜が何を望んでいたっていい。けどそのためにアンリマユのマスターになることを看過しろっての?
 ――――冗談じゃないわ」



 凍えるような冷たい声だった。その鋭さは、触れるもの全てを斬るような無情の剣のようだ。

「『……姉さん』」

「生憎、貴女を妹に持った覚えはないわよアサシン・・・・
 魅了の魔術の応用で、私達に自分のことを桜だと思いこませようとしてるみたいだけど無駄よ。何の対策もなしに、私達がここに乗り込んできたと思う?」

 不敵に笑った遠坂は、確かめるように首にかかった銀鎖を撫でた。同じものが俺の首にもかかっている。アサシンの魅了対策として、ここに来る前に遠坂に渡された宝石のペンダントだ。
 ……徐々にこちらを魅了し、自分の言葉を桜本人の本心であると錯覚させようとしたのか。
 不敵な笑みを浮かべたまま、遠坂は言う。

「最も、あんたが本物の桜でも、この私が同情なんかするはずがないでしょう」

「『……そうですね。“私”の知っている遠坂先輩なら、私に同情なんてしません』」


「当たり前よ」と、遠坂は呟いた。

「それで、まだ何か言うことはあるのアサシン」

「『ええ、まあ。その前に、一つ訂正させてください』」

 アサシンが視線をこちらに向ける。地力の抗魔力の差か、同じペンダントをしているというのに、平然としている遠坂と違ってこちらはあの姿のアサシンに平静ではいられなかった。
 少しでも気を抜くと、目の前のこいつと桜を重ねてしまう。心の中心にある何かが、ぐらぐらと揺れているのがわかる。
 努めて「あれはアサシンだ」と己に言い聞かせ、そいつの言葉を待った。

「『二人とも勘違いされているみたいですけど、アサシンはアンリマユのマスターになるつもりなんてありません。そもそもアサシンには、アンリマユのマスターになってやりたいことなんてないんだから、それも当然です』」

 その言葉に、俺だけでなく遠坂も眉を寄せた。
 
「……どういうこと? アンリマユのマスターになるつもりが、ない?」

「『はい。……アサシンの望みは、むしろ逆です。自分自身を含めて、誰もアンリマユのマスターにならないこと。それが彼女の願いなんです』」

 そいつは、そっと胸に手を当てて微笑した。

「『……だからアサシンは、その願いのためにお爺様を殺しました。知ってましたか? 遠坂先輩。お爺様の本体は、私の心臓の中にいたんです。いずれ私の身体を乗っ取って、アンリマユのマスターになるなるつもりだったみたいですけど――――お爺様の狙いが何か、遠坂先輩なら判りますよね?』」

「魂の物質化――――第三魔法」

 歯ぎしりと共にそう唸った遠坂に、そいつは頷いた。

「『そうです。最終的には第三魔法の具現であるアンリマユを利用して不老不死に至るつもりだったみたいですけど、それがアサシンには我慢できなかった。
 さっきも言った通り、アサシンは誰にもアンリマユのマスターになって欲しくなかったんですから』」

 あくまでも桜を装い、そいつは語る。
 頭が混乱してきた。桜のふりをし続けるこいつの存在もそうだが、何より話の内容が相変わらず理解不能だ。
 アンリマユのマスターになるつもりがない?
 自身も含めて、誰もアンリマユのマスターにならないことが望み。
 だったらこいつは一体。

「あんた、一体何がしたいんだ」

「『…………』」

「俺達は、お前が桜の身体を乗っ取ってアンリマユのマスターになるつもりだと思ってた。あんな悪魔のマスターになることにどんな魅力があるのかなんて思いつかないけど、それでもあんたにはそれを目指す理由があるんだってな」

 抑えきれない疑問を、ぶつける。

「けれど、それは本当に違うんだな? あんたはアンリマユのマスターになるつもりはない」

「『はい。先輩。アサシンはアンリマユのマスターになるつもりはありません。これは、絶対です』」

「それなら目的は聖杯――――願望器か? けどあの聖杯じゃ、あんたの願いはまともな形で叶わない」

「『違います。黄金の聖杯は確かに先輩の言う通りのものですけど、アサシンには関係ありません。だってアサシンには、願望器で叶えたい願いなんてないんですから。彼女は黄金の聖杯には興味がありません』」

「だったら!」

 だったらそもそも、アサシンがこの戦争を続ける意味がどこにある。
 願望機に興味はない。アンリマユのマスターになるつもりはない。つまりそれは、戦う理由が無いってことじゃないのか?
 まさか本当に、アンリマユが生まれたがっているから手助けしたいなんて思っているわけでもないだろう――――

「聖杯もアンリマユもどうでもいいってんなら、どうしてあんたはこの戦争に参加したんだ。あんたには勝つ理由がないじゃないか!?」
 
「『それが、あるんです先輩。確かに先輩の言うことは正しいです。アサシンには勝つ理由はない。ただ、聖杯に魔力が満ちるその瞬間に立ち会う必要はあった』」

「願望器に興味のないあんたが、その場に立ち会ってどうするっていうんだ」

「『願望器なんてどうだっていいんです。アサシンに必要なのは、アンリマユの生誕に立ち会うこと。
 ……アサシンは、アンリマユのことをどうでもいいなんて思っていません。さっき言いましたよね。マスターなんて余計な鎖をつけられずにアンリマユが生まれてくること。それがアサシンの望みなんです』」

 
 そうして少し困ったような顔でそいつは笑った。
 それは、記憶にある桜の笑顔そのままだった。

「『……先輩が混乱するの、わかります。どうしてアサシンはアンリマユの誕生を願うんだって。その理由を聞いた私でも――――まるで理解なんてできませんでしたから』」

「理由、だって?」

 小さく頷いて、そいつは言った。




「『アサシンはただ、知りたい・・・・んだそうです。この世全ての悪行を背負ったもの。絶対の悪として望まれ、願望器の中で具現化したアンリマユが、この世に生まれ落ちて最初に抱く欲望は何なのか。ただそれが見たいだけだって』」



「……な、に?」

「『わけがわかりませんよね? 私もそうでした。けれど、アサシンは本気なんです』」

「…………」

 呆然とする俺に代わって、遠坂が口を開く。

「……知りたい。それがアサシンの望みっていいたいの?」

「『そうです、遠坂先輩。生前、この世で人が抱く大抵の望みを叶えたアサシンに、最後に残った欲がそれです』」

 遠坂の疑問を、臆面もなくそいつは肯定した。
 待て。ちょっと待ってくれ。
 冗談じゃ……ない、ぞ。つまりそれは、

「アサシンはただの好奇心・・・で、アンリマユを産もうってのか?!」
 
「『アンリマユの存在は、目的もなく召喚に応じたアサシンにとって今回の戦争を勝ち抜く十分な動機になったみたいです。彼女にはアンリマユの存在が、正に願望器が実現させた奇跡そのものに映ったみたいで』」

 奇跡、だって?
 ふざけるな。あんなものが奇跡であるはずがないだろう――――!

「『絶対の悪なんてものは究極の聖人よりも遥かに希少だって、アサシンはそう言っていました。願望器によって形作られなければ決してこの世に存在するはずのないモノ。人の業によって悪と定義された存在は、果たして何を望むのか。その欲望をどうしても見たいって』」

「そんな下らない好奇心で、どれだけの人間が犠牲になると思ってやがる……!」

「『アサシンにとって、それは望みを叶えた後に残る結果にすぎません。……でも、そうですね。先輩達――――先輩は、そのためにまたこの戦いに戻ってきたんですよね。そして私の知っている先輩は、絶対にそれをあきらめない』」

 したり顔で頷いたそいつは、 



「『でしたらこうしましょう先輩。アサシンに命令して、先輩と遠坂先輩が助かって欲しいと思う人達を、みんな助けさせます』」


 まるで、週末の予定でも決めるかのような気軽さで、そう言った。


「……どういうことよ、アサシン」

「『妥協点ですよ、遠坂先輩。アサシンもこのぐらいなら、ぎりぎり妥協してくれると思います。先輩達がアンリマユの誕生を一緒に見守ってくれるなら、私が責任を持ってアサシンに実行させます』」

 わかるでしょう? とそいつは天井を見上げ、

「『私は、先輩にも遠坂先輩にも傷ついてほしくないんです。アサシンにも『セイバー』にも二人を殺さないように命じてますけど、戦いになれば何が起こるかわかりませんから』」

「だからできれば話し合いで決着をつけたいって? ――――傷ついて欲しくないくせに、殺さないように命じた。その矛盾は、貴女と桜、どっちが抱えたものなのかしらね?」

「『…………』」

「ま、いいわ。それで、その最後の妥協点ってのはどういう意味?」

「『言葉通りですよ。アンリマユを止めることができるサーヴァントも人間もいませんけれど、それでも世界が滅びるわけじゃありません』」


 そこまで言って、そいつは肩越しに振り返った。
 目に映るのは、天蓋を支える巨大な柱。いや、アンリマユか。
 再びこちらに向き直ったそいつの表情は、酷く痛ましげなものだった。

「『――――いずれは抑止力が働きます。それが人類のものであるのか星のものであるのかはわかりませんが、守護者が動けばアンリマユも止まるでしょう。そしてそれは、きっとそう遅くない。ですから先輩達が助かって欲しいと思う人たちを全員、ここから遠く離れた場所に避難させます』」

「避難、ね。この街にいることの危険性を喧伝して廻るとでも言うのかしら?」

「『もちろん、そんな面倒な手段は取りません。……単純な話です。アサシンはアンリマユのマスターになるつもりはありませんが、それでも命令権が無いわけじゃありません。
 ……そうですね。丸一日もあればいいでしょうか』」

 人差し指を立て、

「『アンリマユには一日だけ我慢してもらって、その間に全員を瞬間転移させるっていうのはどうでしょう? 儀式に多少の時間はかかるかもしれませんが、なんなら海を越えることだってできますよ』」

「瞬間転移……ですって?! まさか、そんなことできるわけが――――!」

 こともなげにそう言ったアサシンに、目を剥いて遠坂は叫んだ。
 だけど、遠坂が驚くのも無理はない。
 瞬間転移。それはほとんど魔法に近い大魔術である。
 神秘が神秘として生きていた時代 遥か昔の神代の魔術師だって、果たしてそれを可能とした存在がどれほどいたか。
 その大魔術を、しかしそいつは平然と、

「『できますよ? 最も、今のアサシンじゃ多数の人間どころか石ころ一つだって無理です。アサシンのサーヴァントの彼女・・・・・・・・・・・・・じゃ、知識はあっても魔力が足りない。仮に魔力を補えても、今度は技術の問題があります。
 ……けれど、方法だけは知っています。それさえ知っていれば、必要なのは魔力です。その足りない魔力をどこから持ってくるかは、言うまでもありませんよね』」

「……聖杯。確かに聖杯と繋がった桜の身体を得れば、魔力は無限にあるかもしれないけれど」

「『技術に関しては、“無い”のではなく“欠けた”だけだから問題ありません。穢れてはいても、願望器があれば十分に埋められます。
 どう埋めるのかについては、お話しすることができませんけれど。なにしろ一応、アサシンの秘術の一つですから』」

 そう言って、そいつは立てたままだった人差し指で口をふさぐような仕草をした。
 ……本当に、こいつの行動は芝居じみている。
 あるいはそれも、当然か。こいつの全ては、嘘ばかりだ。それを取り繕うために、こいつは常に何かを演じているのかもしれない。
 
 ――――だから、こいつの言うことなど何一つ信じてはならない。
 信じられるはずなどない、が――――

「……俺達が助かって欲しいと思う人達ってのは、何だ? そんなの全員に決まってる。俺は誰にも死んでほしくなんかない」

「『全員・・、ですか。ええ、大丈夫です、全員救えます。先輩達が思い浮かべた人達は、全員です』」

 どこか嘲るような口調だった。そいつはこつこつと自分の頭を拳骨で叩くと、

「『そうですね。名前まで知らなくても、その姿形をほんの少しでも思い浮かべてくれれば大丈夫です。先輩達は、ただ助けたいと思うだけでいいんです。それは先輩達の欲望・・ですから。欲望というプロセスさえ経てくれればアサシンの宝具で拾い上げることができます』」

「……だったら」

「『何人でも、誰でもいいですよ。――――ええ、全部、全部救ってあげます。先輩が少しでも、ほんの少しでも思い浮かべてくれたなら、絶対にその人を零したりしません』」

 ――――だって、そんなのたかが知れた数でしかないないもの。

 口から、ではなく。
 無論、桜の声ででもなく、そいつはそんな言葉を漏らした。

「『藤村先生や、柳洞先輩――――美綴先輩はもう冬木に帰ってきてましたっけ? この辺りの人達は当然ですね。遠坂先輩なら、いままで在籍した学校の先輩、後輩、同級生、教師から関係者まで、全部記憶していても驚きません。後はお隣近所に――――そう言えば先輩。先輩が今回帰ってくる少し前に、先輩のお家の二軒隣のご家族が引っ越されたみたいですよ?
 あのご家族の引っ越し先が、どこか遠いところだといいんですが』」

「…………」

「『そういえば、擬態したアサシンと一緒に商店街から家まで並んで歩いたそうですね。
 ――――デートみたいで、少し妬けちゃいます』」

「…………」

「『商店街にも、先輩はお知り合いが多いですよね。勿論、全員救います。先輩が思い浮かべてくれれば、全員救えます。
 ……そうそう。帰り際に、文房具屋さんに入っていった女の子が二人いましたけど、先輩は気がつきました? 何となく雰囲気が似てたんで、姉妹だったのかもしれません。
 お肉屋さんで、この前生まれたばかりの赤ちゃんは見ましたか? この前、私、その子を抱かせてもらったんですよ。すごくかわいい男の子です』」

 つらつらと流暢に語られる、それは。
 ごく近いところで生きている、地球の裏側の人物のような見知らぬ誰かの話だった。

「……俺が知らない人は、どうなる。その人達だって、俺が知っているみんなと変わらない。死んでいいわけじゃない」

「『どうにもなりません・・・・・・・・・ 。残る全てはアンリマユ次第です。……それに先輩。先輩の知っているみんなと残りの人達。アサシンにとってはどちらも、死んだっていいし生きていても構わない存在ですけど、先輩にとっては違うはずです』」

 命がかかった極限の状況で、名前どころか顔すらも思い浮かばない存在。
 そいつは、その“多数の誰か”を、

「『だってそんな人たちは、いない・・・のと同じでしょう? 見たこともない誰か。名前も知らない誰か。そんな誰かを全員救うなんてことは、神様にだってできません。勿論、聖杯にだって無理です』」

 ……ああ、そうだ。その通りだ。 お前の言うとおりだアサシン・・・・。全ての人を救うなんてことは、神様にだってできやしない。救われる人間がいれば、その影には必ず救われない人間がいる。みんなが救われて幸せになる方法なんて、決して存在しない魔法に他ならない。

 例え神様にだって、全ての人は救えない。
 救えない。救えない。救えないけれど。



「――――同じなんかじゃない。俺が知らなくったって、誰かがその人を知っている。俺が知らない誰かは、いないのと同じなんかじゃない」



 救えないけれど、神様にだって無理なそれを、それでも実現する存在のことをなんて呼ぶのかは知っている。
 当然だ。だってそれは、この身体の骨にまで刻まれているのだから、忘れようがない。
 その概念だけは、きっと誰もが知っている。エミヤシロウはずっとそいつを目指し続けてきた。そうしてこれからも目指し続けていく。
 未だ遥か遠く、影すらも踏むことができない理想の果て。



「『……先輩』」



 それが――――



「桜の記憶を持ってるなら、わかってるだろアサシン。俺は、誰かが救われないのは嫌なんだ。それが顔も知らない誰かだって、救えるんだったら救う」



 ――――正義の味方、だ。
















「『せ……んぱい』」


 表情を歪め、目に涙すら浮かべてアサシンは縋るように呟いた。
 その姿形は、相変わらず桜のそれだ。けれどもう、その姿に心惑わされることはない。

「『駄目……なんですか先輩。アンリマユが生まれたって、本当に大勢の人が死ぬかどうかなんてわからないじゃないですか』」

「いいや、わかってる。……四度目の戦争で、何百人って数の人が死んだんだ。アンリマユが本当にこの世界に出てきたらどうなるかなんて、想像もしたくない」

「『ですから! アンリマユはいずれ抑止力に止められます! 先輩の大切な人達だって皆――――』」

「駄目だ。俺は誰も犠牲になんてさせない。そんなことは、許せない」

「『だったら! 私はどうすればいいんですか?!』」

「…………」

「『先輩は姉さんと一緒に行っちゃって――――私だけがずっとこのまま! だけどアサシンの願いが叶えば、私は新しい身体が貰えるんです! それを先輩は、許してくれないんですか――――』」

「……ああ」

 痛い。
 どこがどんな風に痛いのかはわからなかったけれど、それでもどこかに強い痛みを感じて、それを無理やりねじ伏せて頷いた。
 堅く、硬く唇を結び、呆然としたアサシンからそれでも視線を逸らすことはしない。
 一瞬の沈黙ののち、「『……そうですか』」と項垂れたアサシンは、



「『でしたらも』う――――お互いやり合うしかない……わよねぇ?」

 ゆっくりとあげられたアサシンの顔には、一面に笑みが張り付いていた。声が変わった、顔が変わった。瞬時に元の姿に戻ったアサシンは、心底嬉しそうな顔で唇を舐めた。
 その仕草は、獲物を前に舌なめずりをする獣のそれだ。
 判っていた。さっきまでの交渉じみた行為は、こいつにとってただの芝居に過ぎない。それもきっと、桜にみせるためだけに演じた芝居だったのだろう。

 『私は、先輩にも遠坂先輩にも傷ついてほしくないんです。』

 大嘘だ。桜の本心はわからないけれど、少なくともアサシンの意思はその対極にある。こいつは俺達を――――いいや、俺を殺したくてしょうがないのだ。
 どうしてそんなことがわかるのか、説明はできない。どうしてアサシンがそれほど俺を敵視しているのかはわからない。
 馬が合わない。気に食わない。あるいはそんな所かもしれない。正直、理由なんてものはどうでもいい。
 だってそれはこっちも同じだ。アサシンと同じく、衛宮士郎オレも理由なんてなくたって、こいつが許せそうにない。桜のことも、エリスのことも、アンリマユのことも。そんな理由が全部なくなったって、こいつを赦してはいけないと心の奥底で誰かが叫んでいる。

 ほんの一瞬、左手を疼かせた熱に急かされて、

投影開始トレース・オン

「…………」

 夫婦剣、干将・莫耶を投影する。遠坂は無言で宝石を手に取り、アサシンを強く睨み据えていた。
 そしてアサシンは、

「あ――――ん!」

 そんな俺達を睥睨するように見回したアサシンは、右手の親指を咥えるとその先端を食いちぎるように歯を立てた。
 血の滴り落ちる親指を逆さに、無機質な地面に血液を振りまいてアサシンは、

「“――――銅虎。
 大河を飲み干す獣たち。
 ここに滴るあまぁい蜜を、犯して啜って貪り尽くしなさい……!!”」

 そう口にした。その呪文に呼応して、いくつもの小さな魔法陣が堅い岩肌に浮かび上がる。
 
「使い魔――――!」

 その魔法陣を目にした遠坂がそう叫んだ。淡い光に彩られた幾何学模様。その円陣から這い出してきたのは、一言でいえば鉱物でできた犬のような形の何かだ。
 サイズは大型の肉食獣ほどもあるだろうか。目や鼻なんてものはなく、ただ人間の喉笛を食いちぎるための口だけを備えた、異形の石像だ。
 その異形が、合計9体。
 9匹の獣達が、主人であるアサシンを護るようにその周囲に侍る。
 自らの使い魔に囲まれたアサシンは、まるで異界の女王のように、



「さて、それじゃあ戦争を始めましょうか? 衛宮士郎、遠坂凛。
 聖杯を巡っての殺し合い。
 ――――聖杯戦争を」 

 高らかに、そう告げた。 







 

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