スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | top↑
状況
2011-06-25 Sat 00:07
 月聖本編を更新。まあ何というか前回の更新の勢いのままに、Interlude10-3を書き終えました。
 遅々とした歩みのSSですが、たまには月2回の更新もいいのではないかと。
 次回はまた平常?運転に戻ると思います。次の更新はVSアサシン編二話目の「真名」。その次がVS『セイバー』編決着の「Phantasm」の予定です。
 よろしければ、お付き合いください。それでは。
スポンサーサイト
別窓 | 一言 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
月聖Inter10-3
2011-06-24 Fri 23:00


 於是詔 茲山者 徒手直取而。
          『古事記』







 ――――それが彼の終わり。そして始まりの記録。







 妻である弟橘媛を失い、それでも日本武尊の東征は止まらなかった。いや、その進撃はよりいっそう苛烈さを増したと言っていい。人を、神を、獣を。眼前の障害全てを斬り伏せ、彼は前に進み続けた。各地に散らばる反逆の芽、荒ぶる神々と賊たちを余さず刈り尽くしていったのである。

 その戦いの日々にも、やがて終わりが見えてくる。

 それは紛れもなく、武の神でもなければ成し得ぬ偉業だった。人の身では不可能な奇跡。独力での国の統一という不可能を成し遂げるまで、彼はあと数歩の所にまで差しかかったのだ。その頃になって、彼につき従った従者のなかに、この東征の成功を疑う者は最早皆無であったと言っていい。

 日本武尊。其はこの国で最も強きもの。この国で最も猛々しきもの。決して負けることの無き、不敗と必勝の体現者。

 従者の中に彼の“最強”を疑うものはいなかった。その強さを疑わず、その勝利を疑わず、その無敵を疑わない。彼の傍でその“武”を目の当たりにした者達は、その悉くが彼の無敵に心酔し、彼の勝利に喝采をあげ、そして彼の強さに――――怖れを抱いた。

 ――――ミコトは、正しく日本武尊であらせられる。

 従者の誰もがそう頷く中で、けれど、

「……」

 他ならぬ当人である彼だけが、自身が武尊足りえないことを知っていた。

『どうか、先へとお進みください』

 その声が耳から離れない。その姿が瞼から消えない。あの敗北の記憶が薄れない。
 それは彼の“日本武尊”につけられた、たった一つの傷だった。東征が成れば癒える筈だと信じていたその傷は、けれどここに至ってより一層その痛みを大きくしていた。
 それはまるで、血を流し続けていた傷が、次第に膿んでいくかのよう。
 食事をとることが厭わしい。呼吸をすることが苦しい。名を呼ばれることが、耐えられない。
 酒を呑んでも女を抱いても、その苦痛が彼を赦すことはなかった。じくじくと波紋のように広がり続ける痛みは、彼の全身を侵し、世界から色を奪い去っていく。

 はっきりといえば。

 その時の彼には、生きていること自体がどうしようもなく苦痛だったのである。

 そんな彼にとって、その痛みを唯一忘れさせてくれる時間が“戦い”だった。耳を塞ぎ、口を結び、ただ敵だけを見据えて無心に剣を振るっている時だけ、彼はその痛みを自覚せずに済んだ。
 そうして相手をねじ伏せて、自身の強さを証明することだけが、この傷を癒す唯一の薬だと彼は信じたのか。
 彼は、努めて戦いを求めるようになった。国の統一のために戦っていた彼には、やがては戦いそのものが必要となったのだ。それも敵は強ければ強いほど良い。相手が強ければ強いほど、自身が不利であればあるほど、その先にある勝利は自身の
武尊つよさを証明してくれる。

 だから、戦った。斬って殺し、薙いで殺し、殴って殺し、彼は自身の強さを証明し続けた。朱に染まった手は常に勝利を掴み、その歩みは確実に東征の完遂へと近づいていった。傍からみれば、それは間違いなく武の神の姿そのものだっただろう。

 ――――だというのに、彼の心を蝕む傷が癒えることはない。

 やがて、彼は知ることになる。どれほど戦いを重ね勝利を収めても、この傷が癒えることはないのだと。どれほど勝利を重ねても、あの敗北の記憶が無くなることはないのだと。
 けれど同時に、彼はもう止まることができなくなっていた。もしもその手を休めたら、あまりの痛みで死んでしまう。
 死ぬわけにはいかない。死ぬことなど許されない。その身を真実、日本武尊とするその日まで――――最低でも東征を成し遂げてこの国を一つとするまで、彼は死ぬわけにはいかない。
 だから、どれほど愚かしくとも彼は戦い続けたのだ。

 必死に、一心に、そしてどこまでも愚かに。

 戦い続けることで先に進めると、彼は信じるより他になかったのだ。


 





 伊吹山には神が棲んでいる――――その噂を聞きつけた日本武尊が、その討伐を決意するのに時間は必要なかった。まるで呼吸をするかのごとく、ごく当たり前に彼は次の戦場をそこに定めたのである。
 伊吹山の神を討つ。そう告げた主に対し、異を唱えた従者はいなかった。恐れを抱くものすら皆無であった。
 当然だ。彼らにとっては眼前の主君こそが、まさに武の神の化身なのだ。たかだか山の神如きに恐れを抱く必要がどこにある。
 ここに至って日本武尊の従者達は、主の負ける姿を想像することすらできなくなっていた。彼は負けない。そして当たり前のように今回も勝利を掴み、また一歩東征の完遂に近づくだろう、と。
 それは信頼を超えた盲信だった。故に従者達は、彼が『今回の戦いには自身一人で赴く』と告げた時も、それを止めることはしなかった。ただ彼にごく近しい幾人かが、ほんの僅かに眉を顰めただけだ。
 彼の巌のような表情に、ほんの僅かな危うさを感じ取ることができたごく少数の従者達は、

「今度の戦いに、剣はいらぬ。伊吹山の神は、素手で打ち取って見せよう」

 主がこう告げた途端、その顔色を変えた。
「お待ちを」と誰かが叫べば、「それはなりませぬ」と絶叫する者が続く。どうかどうか、それだけはお考え直しください、と。
 相手が神であることを、従者達は忘れていなかったのだ。異質にして異形。そして何より異能。視線を合わせれば眼が潰れ、その声を聞けば心が狂い、その呪いを受ければ肉が腐り落ちる。それが神だ。その神を相手に剣を持たずに挑むなど、正気の沙汰ではない。
 重要なのは武器としての剣ではない。防具としての剣だった。例え相手が神であろうと、日本武尊であればこれを素手で殺せる。しかし神の呪いを防ぐためには、どうしても神器・草薙剣の力が必要なのだ。人、獣、そして神。今日まで多くのモノを屠った彼がこうして無事にいられるのは、他ならぬこの神器が持つ守護の力によるところが大きい。殺すためではなく自らを護るためにこそ、彼は剣を手放すわけにはいかないはずなのだ。
 万言を尽くしてその軽挙を諌めようとする従者達を前に、しかし彼は首を縦に振らなかった。その余りの頑迷さに、やがて従者達は一人また一人と彼を説得することを諦めていく。

 ――――ミコトは確かに、お強い。

 ――――しかし今回のこれは、あまりにも自惚れがすぎるのではないか。

 彼の説得を諦めた従者達は、心中でそう嘆息した。今日まで日本武尊に仕えた彼らは、間違いなく優秀で義に厚い忠臣だった。だからこその諫言であり、彼らが真実、主君の身を案じていたことは疑いようがない。

 ただ、その従者達の中には、誰一人として彼の心中を正確に把握できたものがいなかったことも事実だった。

 武器を持たず鎧をつけず、身体一つで神に挑むという、その暴挙。
 神を侮っているわけではない。自惚れているわけでもない。彼はただ、神器に頼らずして神を討つことができたなら、今度こそ己の
武尊タケルを証明できるかもしれないと、そう考えただけだ。そうせざるをえなかっただけだ。

『どうか、先へとお進みください』

 ――――丸腰で神を討つことができたなら、あの日の記憶が消えてくれるのではないかと思っただけだ。

 傲慢? 真実はその対極だ。

 彼はただ、自らを苛む痛みを堪えるのに、必死だったのだ。


 彼のその心に、もしたった一人でも気付くものがいたのなら、その後の悲劇は回避できたのか。
 答えは否である。何故なら彼の心を理解していた者は
いた・・のだ。その痛みを、苦しみを、渇望を、そして何より彼の心の底にある望みを、あるいは彼自身以上に理解していた者は居たのである。
 従者の中に、ではない。繰り返すが、従者の中に彼の心の内を理解しているものはいなかった。彼を真に理解し、そして最後まで彼を止めようとしたのは――――弟橘媛亡き後、東征の最中に彼が娶った新たな妻である。
 彼に求められた者。その求めに答えた者。真実、彼を理解していた者。伊吹山へと向かう彼が、神器を託した者。

 その女性の名を、
美夜受媛ミヤズヒメと言った。








 その日は雲一つない青天だった。その空の下にあって、静謐を保った霊峰の姿は、まるで青空に浮かび上がっているように見えた。
 霊峰・伊吹山は、見る者の心を打つ、一種の荘厳さすら漂う山であった。成程この山には神が棲んでいる。これほどの霊峰に神が棲まぬはずが無い。そう納得するほどの威厳を備えた山である。

 その荘厳なる山が、これより戦場と化す。

「――――媛」

 御山を前にして、日本武尊は腰に佩いた草薙剣を手に取ると、眼前で佇む女に差しだした。それはこの霊峰・伊吹山を前にしても、ついに彼の意思が変わらなかったことを示していた。一切の武器・防具を身につけぬ、無手による神の討伐。その余りの愚かな考えを、彼は実行しようというのである。

「…………」

 差し出された剣を前に、しかし美夜受媛はそれを手に取ろうとしなかった。ただ彼女は、僅かに眉を顰め、まっすぐに彼と視線を合わせただけだ。
 間近で見る彼の黒い瞳は、どこまでも空虚であるように彼女には見えた。まるで地の底まで続く穴倉を覗き込んでいるかのようだ。その事実が、彼女には余りに痛ましい。
 いっそ彼の瞳の中に傲慢の色があればよかった。不遜の気配があればよかった。愚かさがあればよかった。であるならば、彼女は万言を尽くしてでも彼を諌めただろう。
 けれど無理だ。無理なのだ。彼は傲慢でも不遜でもない。愚かではあるかもしれないが、彼自身がその愚かさを自覚している。愚かなまでに、彼は必死だったのだ。ならばその心を正すことは、この世の何者もできまい。

「……ミコトよ」

 発せられた彼女の声は、あまりにも美しく、よく響いた。美夜受媛はその名の通り、夜を切り取ったような黒髪を持つ美しい女性だ。しかしその美貌すら、彼女の声の美しさの前には霞む。
 彼の名を呼んだ彼女は、しかし未だ剣に手を伸ばそうとはしなかった。それを手に取ってしまえば、眼前の夫が永遠に失われてしまうように思えたのだ。
 彼の心を正すことはできない。それを悟っていながら、なおも彼女は諦められなかった。彼の痛みを、心の欠落を、そして何より彼の望みを。その全てを理解した女は、無意味と知りつつも言葉を紡ぐ。

「ミコトよ。貴方は御強い」

「――――かもしれぬ」

「ミコトよ。この山の神は怖ろしい」

「――――かもしれぬ」

「ミコトよ。この剣を手放しては、貴方は生きては戻れません」

「――――かもしれぬ」

 かもしれぬ。かもしれぬ。そうかも知れぬ。
 だからそれを確かめに行くのだと、彼は身を案じる妻にそう言った。強きか、弱きか。勝利か、敗北か。己は真実、武尊か否か。それを確かめずしては、生きていくことすらできないのだと。

「…………ミコトよ」

 変わらず空虚な黒瞳を前に唇を噛んだ彼女は、一瞬の躊躇の後、それを告げた。
 それを告げることに、彼女は自身の死すら決意した。少なくともそれを聞いた彼が激昂し、手にした剣を己に振りおろしても止むを得ぬと、それほどの決意を固めて告げた言葉だった。
 
 ――――その命をかけて、彼の進む道を切り開いた弟橘媛の想いが愛ならば。
 その命をかけて、彼の進む道を閉ざす美夜受媛の想いもまた、愛であるはずだった。

 自らの手を彼の手に重ね、彼女は、




「貴方の願いは、
永久とわに叶わないのです」

「で、あろうな」






 それでも。
 
 彼は
武尊タケルを、辞めるわけにはいかない。








 結論として、美夜受媛はどこまでも正しかった。
 草薙剣を手放した日本武尊は、絶大な呪力を持つ伊吹山の神に呪い殺されたのである。
 それが東征の終わり。彼の終わり。タケルの終わりだ。国の鎮定のために剣を振るい、クマソとイズモのタケルを討ち、東征をほぼ成し終えた空前にして絶後の大英雄・日本武尊は、伊吹山の神に敗北して死んだ。
 最強を証明しようと足掻き続けた彼は、その人生の最期に、自身のタケルを決定的に否定されたのである。



 さて、そんな彼の敗北と死は、けれど決して特別な悲劇などではない。



 確かに悲劇ではあるだろう。しかし英雄などという存在は、誰もがその人生に悲劇を抱えている。万人に知られた英雄譚など、いっそ悲劇が付き物だと言っても過言ではない。悲劇なくして英雄は輝かず、その名を後世に残すことはないのだ。
 ならば彼の妻の死も。
 そして、彼自身の死も。
 一つの英雄譚としてはごくありふれた、
当たり前・・・・の悲劇でしかない。

 だから彼の物語は、決して特別な悲劇などではない――――が。



『どうか、先へとお進みください』



 彼女を喪ったその痛みを、自身の
武尊タケルが否定されたことへの痛みであると、履き違えてしまったこと。
 世界から色が消え、生きていることすら苦痛となるその喪失感は、愛する者を喪ったがゆえであると最期まで気がつかなかった、その事実だけは。

『今日からお前がタケルだ、皇子よ』

日本最強ヤマトタケル”の名を冠した彼に訪れた、たった一つの特別な悲劇だったのかもしれない。








 どれほど強くなろうとも、彼の痛みが消えることはない。
 それは、どこまでも正しかった美夜受媛が彼に告げた通り、

『貴方の願いは、
永久とわに叶わないのです』

 愛する者を喪ったという事実を、なかったことにはできないのだ。







 月の浮かびし聖なる杯  Interlude10-3 ~Pain~







 風が、荒れ狂っていた。それは魔力によって紡がれた風だ。騎士王セイバーの宝具・『
風王結界インビシブル・エア』。光の屈折を変えることで纏った刀身を不可視とする風の結界は、担い手の意思に答え、その固定化を解いていった。
 それはまさに暴風だった。物理的な破壊力すら伴った台風だ。その風の中にあって、しかし絶大な対魔力に加え嵐除けの加護を持つ『セイバー』は、微動だにせずその光景を眺めていた。
 やがて一層強くなる風とともに徐々に露わになるのは――――星の鍛えし貴き幻想。

「…………」

 その刀身を目の当たりにした『セイバー』は、無表情の仮面の裏でそっと嘆息した。
 これは彼が今回の戦争で召喚に応じ、騎士王セイバーの存在を聞かされてから幾度となく想像していた中で、限りなく最悪に近い光景だった。つまり自身の敗北する可能性が最も高まる状況ということである。
 そもそも彼にとって最初のイレギュラーは、前回の戦争より今まで現界を続けているセイバーの存在そのものだった。この国が生んだ英雄達の頂点に君臨し、かつ宝具・草薙剣を担う日本武尊にとって、召喚が限定された今回の戦争で負けることなどありえないはずなのだ。事実この戦争にイレギュラーさえ入り込まなければ、勝つのは間違いなく彼だっただろう。

 イレギュラーは二つ。セイバーとアベンジャー。いずれもこの国の英雄ではないサーヴァントである。

 戦争開始直前、セイバーの存在をエリシールより聞かされた彼は、即座にキャスターとの連携による
遠坂凛の殺害マスター殺しを己のマスターに提案している。これはエリシールによって却下されたが、それが為されていれば勝利は確実だったはずだと、彼は今も思っている。
 目的である聖杯獲得を達成するのに、『セイバー』に躊躇はない。あらゆる意味で今の彼には勝つことが全てであり、そのためならばあらゆる手段が正当化される。誰かに許してもらうのではなく、彼自身が非道な自分を許せる。それこそがタケルの名に呪われた彼が得た、たった一つのちっぽけな武器だった。

 その『セイバー』にとって、かの聖剣と真正面からやり合う戦場など、正に最悪に近い。しかも前回の顔合わせとは違い、今回はこれをいなすだけでは済まないのだ。

 しかしそれは、真の最悪ではない。彼にとっての最悪は、聖杯を手に入れられないことだけだ。そして無為に時間を消費すれば、その最悪は確実に訪れるのだ。ならばどれほど最悪に近かろうと、戦闘の早期決着のためにはしかたないと覚悟を決めるしかない。

 さもなければ、彼がアサシンを殺すことは不可能になる。

 桜との誓約によってアサシンを殺すことができない『セイバー』が聖杯を手に入れるためには、どうしてもアサシンの行う“魂の交換”の儀式に立ち会う必要があった。魂を入れ替えるその瞬間にだけ、彼は自身を縛る誓約が緩むと推測している。桜であって桜でなく、アサシンであってアサシンでない。その肉体が何者か定まるまでの刹那の瞬間ならば、これを殺すことは可能である、と。
 その儀式に立ち会うためにも、ここで時間を消費するわけにはいかない。何としても士郎と凛がアサシンに敗れる前に、セイバーを打倒せねばならない。
 アサシン殺害の後、桜の魂は正しく新しい身体に宿るのか。そして生誕するアンリマユの存在をどうするか――――そんなことは、彼の知ったことではなかった。聖杯さえ手に入れることができれば、その他の諸々のことはどうでもいいというのが彼の基本姿勢である。

 いや、どうでもいいというよりは、そんなことまで考えている余裕が『セイバー』にはないと言った方が正しいかもしれない。

 召喚されてより今日まで、その能面のような表情の裏で、彼は常に必死だった。勝つために、負けぬために、聖杯を手に入れるために。一片の油断も情も余裕もなく『セイバー』はこの戦争に臨んだ。臨まざるを得なかった。
 彼にとって聖杯は、自身の望みを叶えるための数少ないよすがだ。“最強”という最終的な目的には届かずとも、存在を固定化された自身を改変できるかもしれないという、数少ない機会なのだ。
 この機会を逃すわけにはいかない。その願いを叶えるためだけに、彼は世界と契約し自らの死後を売り渡したのだから。
 日本武尊は、世界に願うことで奇跡を起こし、その結果として英雄になったわけではない。世界との契約なくして独力で英雄となった存在である。
 さらに彼はその死後に生前の功績を評価され、大神の治める神々の安息地――――すなわち高天原へと昇ることが許されていた。その身を白鳥と化した彼はその場所に至り、永遠の休息を得るはずだったのである。

 それは、妖精郷にて眠りにつくといわれる、遠き異国の王の物語とよく似た話。

 その両者は、しかし共にその安息を捨て、死してなお再び戦場に戻る決断したのである。
 
 ただ、その理由だけが違った。国の滅びを目の当たりにし、王の選定をやり直すために聖杯を求めた騎士王に対し、この武神は“敗北した弱い己”のままで世界に記録され続けることを忌避したのだ。
 少なくとも、彼自身は己の願いをそう認識している。そしてそれは、決して
間違ってはいない・・・・・・・・
 故に、かつて無手で挑んだ伊吹山の神に呪われ、敗走の末に死に直面した瞬間、彼は世界にこう願った。

 ――――私が、私の望む
日本武尊わたしと成る可能性を寄越せ。

 その願いを聞き届けてくれたなら、その身を死後も預け、抑止の走狗となることも厭わぬと彼は契約を交わしたのだ。
 彼にとって今回の聖杯戦争は、その契約の一つの形なのである。存在の固定化された自身の改変が叶うかもしれない、数少ない可能性の一つ。それが聖杯だ。

 とはいえ本来、この戦争への参加は彼には許されないはずだった。まして“セイバー”のクラスで召喚されるなど、不可能なのである。

 理由は単純、彼と同じく世界と契約した騎士王アーサーの存在である。死後を預ける代わりに聖杯を手にする可能性を望んだ彼女の願いの方が、この聖杯戦争という舞台では優先されるのである。聖杯戦争への参加権の優先順位という点で、日本武尊はアーサー王より立場が低い。
 つまり今回日本武尊がセイバーのクラスでこの戦争に参加できたのは、アーサー王が前回から現界し続けたことでその枠が余っていたという、幸運にすぎない。
 ならばこの邂逅は、イレギュラーではなく必然だ。この冬木の聖杯を手にしようと思うなら、騎士王セイバーは決して避けることができない壁なのだ。
 その事実を『セイバー』は知らない、が――――

「……二度の戦争に勝利した最強の剣か。だが、三度目はないぞ騎士王」

 暴風の中、セイバーの耳に届かぬ声で『セイバー』はそう呟いた。
 風の壁の向こうで、セイバーは凛とした眼差しで『セイバー』を真っ直ぐに見つめている。
『セイバー』には聖杯戦争の舞台裏の事情など知るよしもなかったが、英雄・アーサー王の知識は召喚の際に与えられていた。サーヴァント・セイバーとしての彼女については、エリシールから聞いている。
 曰く、選定の剣を抜いて国の統一のためにその生涯を捧げた偉大なる王。過去の王にして未来の王。全ての騎士達の王、即ち騎士王――――数々の栄光に彩られた彼女の物語は、けれどその最後に国の崩壊と彼女自身の死によって幕を閉じたという。
 四度目の戦争においてアインツベルンのサーヴァントとして戦った彼女について、エリシールはこう言った。

『――――ええそうよ。四度目の戦争で、彼女は強く聖杯を求めていたと聞いてるわ。貴方と同じくね。けれどセイバーは二度もその聖杯を破壊している』

 その晩年に聖杯探索を命じたという伝説からも、セイバーが強く聖杯を求めていたことは間違いない。ならば彼女には、願いがあるはずなのだ。聖杯でなければ叶うことのない、強い願いが。

「…………」

 心の奥底で、何かが鎌首をもたげるのを『セイバー』は自覚した。それは本来、ありえないことだ。彼にとってこの戦争は聖杯獲得こそが唯一の目的だ。それがよりにもよって――――その聖杯を求め争う敵の一人に、興味を持つなどと。
 吹き荒れる風の中心点。その場所で剣を構える騎士王の姿を改めて眺める。
 曰く、選定の剣を抜いて国の統一のためにその生涯を捧げた偉大なる王。過去の王にして未来の王。全ての騎士達の王、即ち騎士王。


 その彼女は、果たして――――


 沈思の間に、気がつけば周囲に渦巻く風が弱まっていた。間もなく風が止むと同時、この戦いも決着する。
 そんなぽっかりと空いた空白の時間が終わる前に、

「……王よ。最後に一つだけ、訊ねたいことがある」

 気がつけば『セイバー』は、そんなことを口にしていた。








「……?」

 唐突な呼びかけに、セイバーは僅かに身を硬くした。
 そんな彼女の様子には構わず、『セイバー』は言葉を続ける。

「騎士王・アーサー。あるいはサーヴァント・セイバー。貴殿の話は耳にしている」

 選定の剣。円卓の騎士。繰り返される裏切り。聖杯探索。そして――――カムランの戦いと、国の滅亡。
 第四次聖杯戦争。勝者なき終わり。五度目の戦争における再召喚。そして――――聖杯の破壊と、今日までの現界の継続。

「王よ」

 勝利と敗北、栄光と破滅に翻弄された、遠き異国の王よ。
 このちっぽけな島国に生まれた、最強のなりそこないが問う。



「貴殿は、望みを、捨てることができたのか?」

「――――――――!」



『セイバー』が口にしたそれは、

「望みがあったのだろう? 貴殿にもまた、私と同じく聖杯にかける望みが。その聖杯を破壊し……なおも今世に現界を続けている貴殿は、聖杯への望みを捨てたのか?」

「そ……れは」

 かつて聖杯を求めていたはずの英雄に対する、たった一つの疑問だった。



「……私は」

 視線を逸らし、再び向け、痛みを堪えるように唇を結んで、セイバーは刹那の時間瞑目した。
 国の滅び。民と騎士達。そして選定の剣。瞼の裏を過るのは、かつて見た滅びの丘の光景であり、彼女に仕えたものたちの姿であり、岩に突き立った一本の剣だ。
 ――――悔恨。
 いつだってその光景に付きまとう感情は、その一言に尽きた。
 その悔恨を、捨てることができたのか。
 答えは――――

「――――いいえ『セイバー』。私はきっと、未だ聖杯への望みを捨てきれてはいない。私はまだ、答えを得ていない」

 そう告げたセイバーの表情は、けれどどうしてか言葉とは裏腹に穏やかなものだった。

「答え?」

 訝しげに問い返す『セイバー』に、セイバーは頷いた。

「私は良き王ではなかった。そうあろうと努めはしましたが、けれど私には王として何かが足りなかった。ずっとその思いがあった。」

「…………」

「それが何なのかもわからないまま――――こうも思ったのです。選定の剣が私を選んだのは、何かの間違いだったのではないのかと。本当はもっと王に相応しい人物が、他にいたのではないかと」

 その思いは、騎士王最期の戦場にて極まった。

「そして貴公も知っての通り、私の国は滅びた。その時に確信したのです。やはり、私が王に選ばれたのは間違いだった。だからその間違いを正すために、私には聖杯がどうしても必要だった」

「……過去の改変。やり直しか」

 そこまで聞けば、この王の望みを推察することは難しくはなかった。
『セイバー』の言葉に、セイバーは再び頷いた。

「そうです。選定をやり直し、今度こそ相応しい者を王に据える。それが私の望みです」

 未だ吹き続ける風の中。
 正眼に構えた聖剣の切っ先を僅かに下ろしセイバーは、

「――――けれどそんな私を、間違っていると断じた人がいた」

 風に外套をたなびかせ佇む、赤い弓兵の姿を幻視した。








「私は聖杯を使って国を救うためだけに、サーヴァントとしてこの時代に現界した。そんな私が、けれど“彼”の言葉を戯言だと切り捨てることが、どうしてもできなかった」

「…………」

 無論、『セイバー』がその男のことを知るはずもない。第五次聖杯戦争。アーチャーのクラスで召喚されたそのサーヴァントについて、彼は何の知識も持ってはいない。

 英霊エミヤ。

 今より未来に存在したかもしれない、衛宮士郎の一つの可能性。

「ですが私は、私の願いの何が間違っているのかがわからない」

 その答えを彼は残していかなかった。ただ間違っているとだけ彼女を断じ還ってしまった。
 ――――彼は私が間違えていると言った。
 その答えを、いつか。

「だから私は、今もこの時代に現界している。その答えをいつか、シロウが私に教えてくれるその日まで」

「……そうか」

 疑念は解けたと、『セイバー』はぽつりと呟いた。言葉よりも何よりも、自らを語るセイバーの瞳の中にこそ、彼はその答えを見たのだ。
 聖杯への望みを捨て切れずとも。
 過去への妄執を未だ断ち切れずとも。

 それでもこの王は、先に進んでいる。

 答えを探して前を向くセイバーの瞳は、『セイバー』とは違う。
 止まり、澱んでしまった瞳とは、違う。

「…………」

 ごう、と一際強く耳朶を打つ風の音で、不意に『セイバー』はかつて遭遇した嵐を思い出した。それは遠い昔の記録。雨と、風と、そして一人の女に支配された記録だった。
 その記録の中で、けれど女の顔だけはどうしても見えない。わかるのはただ、彼女が最期に告げた言葉だけだ。

 ――――どうか、先へとお進みくださいと、その女は言っていた。

「……媛よ」

 
進めぬよ・・・・――――記録の中の彼女の言葉に、彼は心中でそう呟いた。

 彼女を喪ったあの日から。
 ヤマトタケルにはなれず、オグナに戻ることもできず。
 彼はずっと、あの嵐の中で立ち尽くしたままだ。








「……“水よ”」

 その瞳に寂寥を浮かべたまま、『セイバー』は手にした剣を突き出した。
 担い手の意思に呼応し、神剣を包んでいた水の鞘が即座にその固定化を解き、地面の上に弾けて消える。

 血糊を飛ばすような仕草で一度剣を振り、

「“我は”」

 顕わとなった黒い刀身を見つめ、『セイバー』は自己の内へと潜っていった。それはかつて、彼が大きな戦いに臨む際に自己にかけていたまじないだった。

「“
日本ヤマトの”」

 自己に暗示をかけ、目に映る刃で心を削ぎ落とす。
 そうして恐怖を、情を、誇りを愛を弱さを、戦いに不要な全てを削ぎ落としていけば、

「“
武尊タケル、也”」

 ほんの少しでも、理想の
日本武尊じぶんに近づけると信じて。

「――――来るがいい、騎士王。貴殿の魂を聖杯に捧げ、私は先に進む」

 セイバーに向けられた瞳には、既に感情の名残すらもなかった。そこに立つのは一振りの剣。かつて国によって振るわれた、日本武尊という銘の剣だった。
 その宣言に剣を構えなおしてセイバーは、

「私は、シロウと凛の元に行く」

 国のためではなく、民のためではなく、あるいは誰かのためですらもなく。
 今はただ、その身を突き動かす衝動の命じるままに。

「ヤマトタケルノミコト――――貴公の
最強ねがいを、この剣で打ち砕かせてもらう」



 風が、止んだ。



 まるで申し合わせたように、両者は共に背後に跳んだ。二度三度と地面を蹴り、数十メートルもの間合いが開く。
 その間合いを挟んで、騎士王と武神が、

「行くぞ――――」

 膨大な魔力を蓄えた聖剣を、担ぐ。

「来い―――――」

 視認できるほどの濃密な魔力を帯びた神剣を構え、腰を落とす。
 そうして、刹那の静寂の後、



「――――『セイバー』!」

「―――――セイバー!!」



 互いの、同一のクラスを呼ぶ声が重なり合い、




「“
約束された勝利の剣エクスカリバー”ーーーー!!」



 真名は、解き放たれた。











別窓 | 月聖本編 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
状況
2011-06-08 Wed 00:22


 平日深夜ですが、月聖本編を更新します。ようやく書き終えたので、つい勢いで。
 ようやくここまでこぎつけました。次回はVS『セイバー』戦の第三話の予定です。この回はえらく短いものになりそうなので、早めの更新が……できるといいのですが。
 前回拍手コメをくださった方、ありがとうございます。お言葉に甘えすぎないよう、今度はもっと早く更新するよう頑張ります。
 それでは。
別窓 | 一言 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
月聖第二十五話
2011-06-08 Wed 00:05
 




――――魂が不完全。つまりそれが、あの女が悪となった原因なのですか。
 
 ――――要因の一つではあるでしょう。彼女には魂の一部と共に、自制という精神が欠落している。物事を我慢するという“こころ”が無いのです。やりたいことを、やりたいように 、やりたい。ああ、それだけならばまるで幼子のこころと同じなのでしょう。壊れていようと欠落していようと、曲がってはいない。彼女はとても……素直な存在です。

 ――――…………

 ――――だからこそ彼女は救い難い。自制の欠落とは、他者のこころを斟酌しないということに他なりません。迷いなく、躊躇いなく、あるいは邪気すらもなく己が欲するままに他者を踏みにじる。故に■■■は、どこまでも素直に、悪なのですよ。
































 既に時間に対するまともな感覚は麻痺していた。この地下空洞に身を沈めてからどれほど経ったのか。それを知る術もなく、ただ焦りだけが募っていく。

「ハッ、ハッ、ハ――――」

 冷たい洞穴の中を、一心に駆ける。前方から吹きつけてくる生温かい風は、巨大な生き物の息吹のようだ。
 隣を走る遠坂の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。それは決して疲労によるものではなく、周囲の空気に無節操にぶちまけられた魔力にあてられているためだろう。
 一歩進むごとに濃密になっていく魔力が、目的地に近づいていることを教えてくれる。身体にへばりつく空気は何処までも不快だ。まるでコールタールの海を掻き分け進んでいるような感覚だった。どろどろとした周囲の魔力に飲み込まれないよう、一瞬たりとも足を止めずに駆ける。


 ――――そうしてどれだけの時間、走り続けただろう。



「――――!」

 開ける視界。目の前に広がったのは、まるで遠い惑星に降り立ったような光景だった。

「……うわ」

 ここは本当に地下なのか。今まで走ってきた通路は異星に繋がっていたのだといわれても納得できる。直径が数キロにも及ぶ空間は天蓋もまた高く、円蔵山の内部なかみを余さずくりぬいて造られたかのような巨大なドームだった。
 あまりに異様な光景に圧倒されながらも、周囲に視線を走らせる。
 ドームの中央。未だ彼方のその先に、壁のようなものがそびえたっている。その壁の向こう、断崖の先こそが俺たちの目的地なのだろう。壁によって隔てられていても、あちら側の魔力濃度が異界のそれに等しいことが分かる。
 そして何より目を引くのは――――天蓋を支える巨大な柱だった。

 あれが大聖杯。

 全ての原因にして元凶。そして始まりの器があそこにある。

「士郎」

「ああ」

 威圧感に竦みそうになる足を、なんとか動かした。
 遠坂と並び、一歩一歩足を進めていく。


 向かう先は大聖杯――――じゃない。そちらの方向に進んではいるが、それはただ、ヤツがそちら側にいたからにすぎない。



 この広間に辿りついた時から、ずっと視界はそいつを捉えていた。そびえたつ巨大な天を支える柱。それぐるりと囲む壁。そして――――こちらに背を向け佇む、アサシンの姿を。

 アサシンはまるで、風景のようにその場に溶け込んでいた。こちらの存在に気付いてないわけがないだろうに、微動だにせず彼方の大聖杯を見つめている。

「アサシン……!」

 その背中に強く声をかける。喉が渇く。肌がひりつく。内臓が熱を帯びていくのがわかる。
 細胞の一つ一つが、「この敵を打倒しろ」と騒ぎ立てているかのようだった。

 こちらに背をむけたまま、アサシンはわずらわしそうに深いため息をつくと、
 


「――――ああ、全く。もう二度と会いたくないといったのに」



 はらり、と長い黒髪を翻し、振り向いたアサシンは、



「それとも、『この世全ての悪』あの子の誕生を祝いに来てくれたというのなら歓迎するのだけれど――――ねぇ?」



 命の生誕を祝福する聖母のような微笑と、生命を貪り尽くす悪魔のような嘲笑をごちゃまぜにした表情を浮かべ。

 サーヴァント・アサシンは艶然とした佇まいで、この世全ての悪を待ちわびていた。







 月の浮かびし聖なる杯  第二十五話 ~悪意~







「桜とエリスはどこだ、アサシン」

 こちらの問いに対するアサシンの反応は簡潔だった。ほんの少し目を細め、唇を歪ませただけだ。
 ……それは、余裕のないこちらの様子を嘲笑ったのか。
 かまうか、と一層強くアサシンをにらみつける。余裕なんて欠片もないことは事実だ。今更細かい心理戦なんてやるつもりはない。
 
「全く、そんな目で睨まないで頂戴な、坊や。身体が疼いて、ぶち殺したくなるわ」

 肩をすくめたアサシンは、そのままこてん、と頭を傾けた。そのまま背後にそびえたつ柱を親指で指し、

「あの壁の上よ。黒と、黄金と、そして大聖杯。都合三つの聖杯が、あそこにある。あらゆる望みを叶えるという“聖杯”の名を冠したモノが、三つもね。
 ……最も、一つだって譲ってあげるわけにはいかないけれど」

「当たり前でしょう。こっちだってあんたに頭を下げて、おこぼれを貰うつもりでここまで来たわけじゃない」

 俺と並び立っていた遠坂が、アサシンへと一歩踏み出した。
 毅然とアサシンを睨み据え、遠坂は宣言する。

「貴女の言う三つの聖杯。全部貰うわ、アサシン」

 その言葉に目を丸くし、続けてアサシンは、ほう、と吐息を漏らした。

……いいわ、ねぇ。遠坂凛。貴女のその強欲はすごく好い。できればもっとドロドロしているほうが、私好みなのだけど――――!」

 戯言としか思えないアサシンの言葉を遮るように、脈動が空気を揺らした。
 心音にも似たその音の発生源は――――確認するまでもない。あの柱だ。
 それは、あまりにも生々しい生命の脈動。
 心溶かされたような表情でアサシンは、

「――――それでもやっぱり貴女に聖杯をあげるわけにはいかない。貴女の欲がどれほど強くても、あの子には敵わないもの。
 貴方達にもわかるでしょう? 聞こえるでしょう? 早くこの世界に生まれたいって、必死に訴えているあの子のこえが」

 だから私は、その欲を肯定する。そうアサシンは言った。
 ……何を言っているんだ、こいつは。
 今更だが、改めて理解する。アサシンの言うことは、俺にはまるで理解不能だということを理解する。
 物の考え方が別、なんてことじゃない。思考の次元が違うとしか思えない。  
 胸の奥底に湧きでる不快感を押さえつけ、何とかアサシンの言葉を拾い上げようと試みる。

「……あんたこう言いたいのか? アサシン。アンリマユが生まれたがっているから、あんたはそれを叶えてやろうとしてるって」

「ええ。それだけが理由でもないけれど、あれほど強く願っているのだから、純粋に手助けしたくもなるでしょう?
 ……ねぇ、坊や。今のあの子は本当に、ただこの世に生まれたがっているだけなのよ? その願いは、母体に宿り育まれた生命が持つ、絶対の権利だと思わない?」

 ――――この世に誕生する全ての命には、価値があるのだと。
 その善悪や優劣は関係ない。例え誰にも望まれなくとも、この世界でカタチとなった命には『生まれる権利』が授けられているのだと。
 まるで神の愛を説く聖人のような声と表情で、アサシンはそう言った。

「生まれる、権利か」

 それは確かに一つの正論なのだろう。この世に生まれたいというその願いは、決して罪じゃない。それを権利と呼べるのかは分らないけれど、自身の生誕を願うことは決して悪ではありえないはずだった。

 けれど、その願いを抱いているモノは悪だ。

 その生誕そのものは罪でなくても、その後にアンリマユが行う全ては――――この世全ての悪だ。
 ならば、

「けれど、俺はそれを認めるわけにはいかない」

 地獄があった。十年以上も昔の話だ。感じるものは火の熱。聞こえるのは名も知らない誰かの悲鳴。肉の焦げる匂いが漂う、全てを焼き尽くすような炎があふれる煉獄が、かつてこの冬木に降臨した。
 あの地獄の再現を、させるわけにはいかない。
 それだけは絶対に、許せるわけがないのだ。

「あいつは、この世にあってはいけないものだ。十年以上前からエミヤシロウはそう思ってる。だから俺は、あいつの生まれる権利なんてものを認めるわけにはいかない」

「右に同じよ。こっちは管理者セカンドオーナーって立場もあるしね。あんなのに好き勝手されるなんて、冗談じゃないわ」

 遠坂もまた、力強く言い放つ。それは冬木の管理者として、この地を護らねばならないという強い義務感を感じさせる声だった。
 対して、俺には、そんな高尚な義務感はない。
 あるのはどこまでも身勝手で、分不相応な望みだけだ。

「アンリマユの存在を見逃すわけにはいかない。まして、桜とエリスをあんな災厄を生むための犠牲になんてさせてたまるか。あんたがアンリマユのマスターになって、何をするつもりなのかは知らない、けれど」

 俺達は引けない。アサシンも引くつもりはないだろう。だったらこれ以上、お互い語るべきことはもうない。
 どこまで行っても、アサシンと俺達は意思は平行線だ。
 何より時間を浪費して、アンリマユを抱えた桜にこれ以上負担をかけたくない。少しでも早くあれ・・を投影して、桜をあいつから解放してやらないと。
 ならばアサシンは、俺と遠坂で倒す。セイバーが『セイバー』を倒すまでの時間稼ぎなんかじゃなく、俺達二人で何とかするのだ。
 そう腹を括り、アサシンを睨むと、

「……“犠牲になんてさせない”……ねぇ。さぁて、お姫さまのほうはともかく、自分の望みのために桜を犠牲にしようとしているのは、果たしてどっちなのかしら」

 ぎぃ、とアサシンの口が釣り上がる。まるでこちらをなぶるような、嗜虐の喜びに満ちた顔だった。
 ――――何だ? こいつは何が言いたい。
 この状況で、まだ紡ぐ言葉があるというのか、こいつには。
 
「……何の話だ、アサシン。アンリマユを生むために、桜を犠牲にしようとしているのはあんただろう。聖杯が完成した時点で、桜の身体を乗っ取って――――!」
 
「? ああ。貴方にそう言ったのは『セイバー』ね。貴方達をよこしたことといい、あの英雄様は徹底して私を信用してないみたいねぇ」

 小首を傾げ、表情に疑問を浮かべたアサシンは、やがて得心が言ったように頷いた。
 そのふざけた態度に、心がささくれる。そのいら立ちを、口の中に溜まった唾液と共に無理やり飲み込んだ。

「そうだ。『セイバー』は、お前が桜の身体を乗っ取って、アンリマユのマスターになるつもりだと言っていた。違うのか、アサシン」

「間違ってはいないわね。私は確かに、桜の身体を貰ってアンリマユを生む。けれど別に、桜を犠牲にするつもりなんてないのよ? むしろ出産を代わってあげれば、桜の精神はアンリマユに殺されないで済むのだから、私の行動はそれこそ“桜にとっての助け”でしょう」

「な――――」

 あまりの言い分に、言葉を失う。
 反吐が出るようなアサシンのその世迷言を断じたのは、俺ではなく遠坂だった。

「冗談。英霊の魂なんてものが身体に入ってきたら、桜本人の魂がもつわけがない。魂を押しつぶして殺すなんて、アンリマユと同じじゃない」

「だから、そこに誤解があるのよ。身体を乗っ取るって言葉が悪いのね、きっと。
 ――――私がやるのは魂の一方的な転移ではなく、交換・・よ。私は確かに桜の身体を貰う。けど代わりに、ちゃあんと桜の魂にも新しい入れ物を用意しているわ」

「魂の……交換?」

 一瞬、遠坂が思考の海に沈んだ。こぼれ出る呟きが、こちらの耳にも届く。
「受肉」、遠坂は確かに言った。
 受肉。それは霊体であるサーヴァントが、血肉の通った肉体を得ることだ。
 つまりアサシンは、

「アサシン、お前、受肉した自分の身体に桜の魂を入れるつもりか!?」

「ええ。だけどそれだけじゃないわ。言ったでしょう? 桜に用意するのは新しい入れ物だって。この身体じゃぼろぼろの中古品もいいところでしょうから、ちゃぁんと綺麗な新品をあげないと……ねぇ!!」

 言って、アサシンはお辞儀をするかのように腰を折った。黒い絹糸のような髪が、さらさらと揺れる。
 とっさに身構える俺たちの前で、

「――――!」

 ごきん、という音が無数に重なった。それはまるで、百を超える枝を同時にへし折ったような、そんな音だった。
 音はその一度きりだった。まさに一瞬。一瞬ののちに、ゆっくりと上げられたそいつの顔、は――――



「さ……くら?」



「『はい、先輩。これが、アサシンが私にくれる新しい身体です』」

 
 その声は、桜そのものだった。けれどその顔は、記憶の中の桜のものとは少し違う。その髪も、俺の知ってる桜に比べてその色は濃い。
 本物の桜とは、別人だというしかない。けれど似ている。本当に彼女は、桜に似ている。
 桜に似ている――――はずなのに。

「『どうですか、先輩。この状態で受肉を果たしてそこに私の魂が入れば、私は新しい私になれるんです』」


 桜に似ているその顔を、その姿を。


 どうして俺は、桜に似ているのと同じぐらい遠坂にも似ているなんて、思ってしまったのか。


「あん……た、アサシン。その身体、まさか――――!」

「『そうです、遠坂先輩。……姉さん・・・ならわかりますよね?』」

 遠坂の声は、動揺で震えていた。あの遠坂が、隠しきれないほど動揺している――――?
 そんな遠坂の前で、そいつはそっと自らの腹を撫でる。

「『これは、“私”の身体です。お爺様に弄られず、兄さんに犯されず、蟲に子宮おなかを荒らされもしていない――――そんな夢みたいに都合のいい“私”。その夢を、アサシンの宝具と能力で構築した身体です』」

「……それがあの子の――――桜の新しい身体ってわけ?」

「『そうです……本当は、こんな身体を貰おうなんて思ってなかったんです。夢みたいに都合がいいなんて言いましたけど、私、こんなこと夢でだって見れなかった。こんな綺麗な身体なんて――――そんな奇跡みたいなことは』」

 桜によく似た顔で、桜によく似た声で、桜が浮かべる表情でそいつは言った。

「…………」

 その声が、遠い。がんがんと耳鳴りがする。頭が重くて、視界から色が消えた。
 ぐちゃぐちゃになる思考の中で、それでもたった一つのことだけは理解できた。

 ――――衛宮士郎オレは、こいつが許せない。

 桜がずっと抱えていた、辛い記憶を。
 ずっと秘密にしておきたかっただろう疵を。
 よりにもよって桜本人に擬態して、自分のことのようにぺらぺらと、勝手に晒してやがるのだこいつは……!

「ッッアサシン!!テメェ――――!」

「『……ねぇ、先輩。私本当に、こんなことは望んでなかったんです。アサシンに綺麗な身体をあげるって言われた時も、そんなものはいらなかった。
 だけどアサシンは……ずるくて酷いサーヴァントだから』

 『アサシンに言われて、ほんの少しだけ夢を見てしまったんです』、と泣きそうな顔でそいつは言った。

「『汚れていない私を先輩に見てもらえるだなんて――――そんな都合のいい夢を』」

「ッッ――――!!」

 違う。
 こいつは桜じゃない。アサシンが化けているだけだ。全てが嘘で、桜はそんなこと望んでなんかいやしない。
 だまされるな。こいつはアサシンで、桜のふりをして、勝手なことを口にしているだけだ。
 ……けれど。

「『駄目、ですか? 先輩。私はやっぱり、そんなことを望んじゃいけないんでしょうか――――?』」

 一体、桜にとっての救いは何処にある――――




「駄目に決まってるでしょう。あんたが――――本物の桜が何を望んでいたっていい。けどそのためにアンリマユのマスターになることを看過しろっての?
 ――――冗談じゃないわ」



 凍えるような冷たい声だった。その鋭さは、触れるもの全てを斬るような無情の剣のようだ。

「『……姉さん』」

「生憎、貴女を妹に持った覚えはないわよアサシン・・・・
 魅了の魔術の応用で、私達に自分のことを桜だと思いこませようとしてるみたいだけど無駄よ。何の対策もなしに、私達がここに乗り込んできたと思う?」

 不敵に笑った遠坂は、確かめるように首にかかった銀鎖を撫でた。同じものが俺の首にもかかっている。アサシンの魅了対策として、ここに来る前に遠坂に渡された宝石のペンダントだ。
 ……徐々にこちらを魅了し、自分の言葉を桜本人の本心であると錯覚させようとしたのか。
 不敵な笑みを浮かべたまま、遠坂は言う。

「最も、あんたが本物の桜でも、この私が同情なんかするはずがないでしょう」

「『……そうですね。“私”の知っている遠坂先輩なら、私に同情なんてしません』」


「当たり前よ」と、遠坂は呟いた。

「それで、まだ何か言うことはあるのアサシン」

「『ええ、まあ。その前に、一つ訂正させてください』」

 アサシンが視線をこちらに向ける。地力の抗魔力の差か、同じペンダントをしているというのに、平然としている遠坂と違ってこちらはあの姿のアサシンに平静ではいられなかった。
 少しでも気を抜くと、目の前のこいつと桜を重ねてしまう。心の中心にある何かが、ぐらぐらと揺れているのがわかる。
 努めて「あれはアサシンだ」と己に言い聞かせ、そいつの言葉を待った。

「『二人とも勘違いされているみたいですけど、アサシンはアンリマユのマスターになるつもりなんてありません。そもそもアサシンには、アンリマユのマスターになってやりたいことなんてないんだから、それも当然です』」

 その言葉に、俺だけでなく遠坂も眉を寄せた。
 
「……どういうこと? アンリマユのマスターになるつもりが、ない?」

「『はい。……アサシンの望みは、むしろ逆です。自分自身を含めて、誰もアンリマユのマスターにならないこと。それが彼女の願いなんです』」

 そいつは、そっと胸に手を当てて微笑した。

「『……だからアサシンは、その願いのためにお爺様を殺しました。知ってましたか? 遠坂先輩。お爺様の本体は、私の心臓の中にいたんです。いずれ私の身体を乗っ取って、アンリマユのマスターになるなるつもりだったみたいですけど――――お爺様の狙いが何か、遠坂先輩なら判りますよね?』」

「魂の物質化――――第三魔法」

 歯ぎしりと共にそう唸った遠坂に、そいつは頷いた。

「『そうです。最終的には第三魔法の具現であるアンリマユを利用して不老不死に至るつもりだったみたいですけど、それがアサシンには我慢できなかった。
 さっきも言った通り、アサシンは誰にもアンリマユのマスターになって欲しくなかったんですから』」

 あくまでも桜を装い、そいつは語る。
 頭が混乱してきた。桜のふりをし続けるこいつの存在もそうだが、何より話の内容が相変わらず理解不能だ。
 アンリマユのマスターになるつもりがない?
 自身も含めて、誰もアンリマユのマスターにならないことが望み。
 だったらこいつは一体。

「あんた、一体何がしたいんだ」

「『…………』」

「俺達は、お前が桜の身体を乗っ取ってアンリマユのマスターになるつもりだと思ってた。あんな悪魔のマスターになることにどんな魅力があるのかなんて思いつかないけど、それでもあんたにはそれを目指す理由があるんだってな」

 抑えきれない疑問を、ぶつける。

「けれど、それは本当に違うんだな? あんたはアンリマユのマスターになるつもりはない」

「『はい。先輩。アサシンはアンリマユのマスターになるつもりはありません。これは、絶対です』」

「それなら目的は聖杯――――願望器か? けどあの聖杯じゃ、あんたの願いはまともな形で叶わない」

「『違います。黄金の聖杯は確かに先輩の言う通りのものですけど、アサシンには関係ありません。だってアサシンには、願望器で叶えたい願いなんてないんですから。彼女は黄金の聖杯には興味がありません』」

「だったら!」

 だったらそもそも、アサシンがこの戦争を続ける意味がどこにある。
 願望機に興味はない。アンリマユのマスターになるつもりはない。つまりそれは、戦う理由が無いってことじゃないのか?
 まさか本当に、アンリマユが生まれたがっているから手助けしたいなんて思っているわけでもないだろう――――

「聖杯もアンリマユもどうでもいいってんなら、どうしてあんたはこの戦争に参加したんだ。あんたには勝つ理由がないじゃないか!?」
 
「『それが、あるんです先輩。確かに先輩の言うことは正しいです。アサシンには勝つ理由はない。ただ、聖杯に魔力が満ちるその瞬間に立ち会う必要はあった』」

「願望器に興味のないあんたが、その場に立ち会ってどうするっていうんだ」

「『願望器なんてどうだっていいんです。アサシンに必要なのは、アンリマユの生誕に立ち会うこと。
 ……アサシンは、アンリマユのことをどうでもいいなんて思っていません。さっき言いましたよね。マスターなんて余計な鎖をつけられずにアンリマユが生まれてくること。それがアサシンの望みなんです』」

 
 そうして少し困ったような顔でそいつは笑った。
 それは、記憶にある桜の笑顔そのままだった。

「『……先輩が混乱するの、わかります。どうしてアサシンはアンリマユの誕生を願うんだって。その理由を聞いた私でも――――まるで理解なんてできませんでしたから』」

「理由、だって?」

 小さく頷いて、そいつは言った。




「『アサシンはただ、知りたい・・・・んだそうです。この世全ての悪行を背負ったもの。絶対の悪として望まれ、願望器の中で具現化したアンリマユが、この世に生まれ落ちて最初に抱く欲望は何なのか。ただそれが見たいだけだって』」



「……な、に?」

「『わけがわかりませんよね? 私もそうでした。けれど、アサシンは本気なんです』」

「…………」

 呆然とする俺に代わって、遠坂が口を開く。

「……知りたい。それがアサシンの望みっていいたいの?」

「『そうです、遠坂先輩。生前、この世で人が抱く大抵の望みを叶えたアサシンに、最後に残った欲がそれです』」

 遠坂の疑問を、臆面もなくそいつは肯定した。
 待て。ちょっと待ってくれ。
 冗談じゃ……ない、ぞ。つまりそれは、

「アサシンはただの好奇心・・・で、アンリマユを産もうってのか?!」
 
「『アンリマユの存在は、目的もなく召喚に応じたアサシンにとって今回の戦争を勝ち抜く十分な動機になったみたいです。彼女にはアンリマユの存在が、正に願望器が実現させた奇跡そのものに映ったみたいで』」

 奇跡、だって?
 ふざけるな。あんなものが奇跡であるはずがないだろう――――!

「『絶対の悪なんてものは究極の聖人よりも遥かに希少だって、アサシンはそう言っていました。願望器によって形作られなければ決してこの世に存在するはずのないモノ。人の業によって悪と定義された存在は、果たして何を望むのか。その欲望をどうしても見たいって』」

「そんな下らない好奇心で、どれだけの人間が犠牲になると思ってやがる……!」

「『アサシンにとって、それは望みを叶えた後に残る結果にすぎません。……でも、そうですね。先輩達――――先輩は、そのためにまたこの戦いに戻ってきたんですよね。そして私の知っている先輩は、絶対にそれをあきらめない』」

 したり顔で頷いたそいつは、 



「『でしたらこうしましょう先輩。アサシンに命令して、先輩と遠坂先輩が助かって欲しいと思う人達を、みんな助けさせます』」


 まるで、週末の予定でも決めるかのような気軽さで、そう言った。


「……どういうことよ、アサシン」

「『妥協点ですよ、遠坂先輩。アサシンもこのぐらいなら、ぎりぎり妥協してくれると思います。先輩達がアンリマユの誕生を一緒に見守ってくれるなら、私が責任を持ってアサシンに実行させます』」

 わかるでしょう? とそいつは天井を見上げ、

「『私は、先輩にも遠坂先輩にも傷ついてほしくないんです。アサシンにも『セイバー』にも二人を殺さないように命じてますけど、戦いになれば何が起こるかわかりませんから』」

「だからできれば話し合いで決着をつけたいって? ――――傷ついて欲しくないくせに、殺さないように命じた。その矛盾は、貴女と桜、どっちが抱えたものなのかしらね?」

「『…………』」

「ま、いいわ。それで、その最後の妥協点ってのはどういう意味?」

「『言葉通りですよ。アンリマユを止めることができるサーヴァントも人間もいませんけれど、それでも世界が滅びるわけじゃありません』」


 そこまで言って、そいつは肩越しに振り返った。
 目に映るのは、天蓋を支える巨大な柱。いや、アンリマユか。
 再びこちらに向き直ったそいつの表情は、酷く痛ましげなものだった。

「『――――いずれは抑止力が働きます。それが人類のものであるのか星のものであるのかはわかりませんが、守護者が動けばアンリマユも止まるでしょう。そしてそれは、きっとそう遅くない。ですから先輩達が助かって欲しいと思う人たちを全員、ここから遠く離れた場所に避難させます』」

「避難、ね。この街にいることの危険性を喧伝して廻るとでも言うのかしら?」

「『もちろん、そんな面倒な手段は取りません。……単純な話です。アサシンはアンリマユのマスターになるつもりはありませんが、それでも命令権が無いわけじゃありません。
 ……そうですね。丸一日もあればいいでしょうか』」

 人差し指を立て、

「『アンリマユには一日だけ我慢してもらって、その間に全員を瞬間転移させるっていうのはどうでしょう? 儀式に多少の時間はかかるかもしれませんが、なんなら海を越えることだってできますよ』」

「瞬間転移……ですって?! まさか、そんなことできるわけが――――!」

 こともなげにそう言ったアサシンに、目を剥いて遠坂は叫んだ。
 だけど、遠坂が驚くのも無理はない。
 瞬間転移。それはほとんど魔法に近い大魔術である。
 神秘が神秘として生きていた時代 遥か昔の神代の魔術師だって、果たしてそれを可能とした存在がどれほどいたか。
 その大魔術を、しかしそいつは平然と、

「『できますよ? 最も、今のアサシンじゃ多数の人間どころか石ころ一つだって無理です。アサシンのサーヴァントの彼女・・・・・・・・・・・・・じゃ、知識はあっても魔力が足りない。仮に魔力を補えても、今度は技術の問題があります。
 ……けれど、方法だけは知っています。それさえ知っていれば、必要なのは魔力です。その足りない魔力をどこから持ってくるかは、言うまでもありませんよね』」

「……聖杯。確かに聖杯と繋がった桜の身体を得れば、魔力は無限にあるかもしれないけれど」

「『技術に関しては、“無い”のではなく“欠けた”だけだから問題ありません。穢れてはいても、願望器があれば十分に埋められます。
 どう埋めるのかについては、お話しすることができませんけれど。なにしろ一応、アサシンの秘術の一つですから』」

 そう言って、そいつは立てたままだった人差し指で口をふさぐような仕草をした。
 ……本当に、こいつの行動は芝居じみている。
 あるいはそれも、当然か。こいつの全ては、嘘ばかりだ。それを取り繕うために、こいつは常に何かを演じているのかもしれない。
 
 ――――だから、こいつの言うことなど何一つ信じてはならない。
 信じられるはずなどない、が――――

「……俺達が助かって欲しいと思う人達ってのは、何だ? そんなの全員に決まってる。俺は誰にも死んでほしくなんかない」

「『全員・・、ですか。ええ、大丈夫です、全員救えます。先輩達が思い浮かべた人達は、全員です』」

 どこか嘲るような口調だった。そいつはこつこつと自分の頭を拳骨で叩くと、

「『そうですね。名前まで知らなくても、その姿形をほんの少しでも思い浮かべてくれれば大丈夫です。先輩達は、ただ助けたいと思うだけでいいんです。それは先輩達の欲望・・ですから。欲望というプロセスさえ経てくれればアサシンの宝具で拾い上げることができます』」

「……だったら」

「『何人でも、誰でもいいですよ。――――ええ、全部、全部救ってあげます。先輩が少しでも、ほんの少しでも思い浮かべてくれたなら、絶対にその人を零したりしません』」

 ――――だって、そんなのたかが知れた数でしかないないもの。

 口から、ではなく。
 無論、桜の声ででもなく、そいつはそんな言葉を漏らした。

「『藤村先生や、柳洞先輩――――美綴先輩はもう冬木に帰ってきてましたっけ? この辺りの人達は当然ですね。遠坂先輩なら、いままで在籍した学校の先輩、後輩、同級生、教師から関係者まで、全部記憶していても驚きません。後はお隣近所に――――そう言えば先輩。先輩が今回帰ってくる少し前に、先輩のお家の二軒隣のご家族が引っ越されたみたいですよ?
 あのご家族の引っ越し先が、どこか遠いところだといいんですが』」

「…………」

「『そういえば、擬態したアサシンと一緒に商店街から家まで並んで歩いたそうですね。
 ――――デートみたいで、少し妬けちゃいます』」

「…………」

「『商店街にも、先輩はお知り合いが多いですよね。勿論、全員救います。先輩が思い浮かべてくれれば、全員救えます。
 ……そうそう。帰り際に、文房具屋さんに入っていった女の子が二人いましたけど、先輩は気がつきました? 何となく雰囲気が似てたんで、姉妹だったのかもしれません。
 お肉屋さんで、この前生まれたばかりの赤ちゃんは見ましたか? この前、私、その子を抱かせてもらったんですよ。すごくかわいい男の子です』」

 つらつらと流暢に語られる、それは。
 ごく近いところで生きている、地球の裏側の人物のような見知らぬ誰かの話だった。

「……俺が知らない人は、どうなる。その人達だって、俺が知っているみんなと変わらない。死んでいいわけじゃない」

「『どうにもなりません・・・・・・・・・ 。残る全てはアンリマユ次第です。……それに先輩。先輩の知っているみんなと残りの人達。アサシンにとってはどちらも、死んだっていいし生きていても構わない存在ですけど、先輩にとっては違うはずです』」

 命がかかった極限の状況で、名前どころか顔すらも思い浮かばない存在。
 そいつは、その“多数の誰か”を、

「『だってそんな人たちは、いない・・・のと同じでしょう? 見たこともない誰か。名前も知らない誰か。そんな誰かを全員救うなんてことは、神様にだってできません。勿論、聖杯にだって無理です』」

 ……ああ、そうだ。その通りだ。 お前の言うとおりだアサシン・・・・。全ての人を救うなんてことは、神様にだってできやしない。救われる人間がいれば、その影には必ず救われない人間がいる。みんなが救われて幸せになる方法なんて、決して存在しない魔法に他ならない。

 例え神様にだって、全ての人は救えない。
 救えない。救えない。救えないけれど。



「――――同じなんかじゃない。俺が知らなくったって、誰かがその人を知っている。俺が知らない誰かは、いないのと同じなんかじゃない」



 救えないけれど、神様にだって無理なそれを、それでも実現する存在のことをなんて呼ぶのかは知っている。
 当然だ。だってそれは、この身体の骨にまで刻まれているのだから、忘れようがない。
 その概念だけは、きっと誰もが知っている。エミヤシロウはずっとそいつを目指し続けてきた。そうしてこれからも目指し続けていく。
 未だ遥か遠く、影すらも踏むことができない理想の果て。



「『……先輩』」



 それが――――



「桜の記憶を持ってるなら、わかってるだろアサシン。俺は、誰かが救われないのは嫌なんだ。それが顔も知らない誰かだって、救えるんだったら救う」



 ――――正義の味方、だ。
















「『せ……んぱい』」


 表情を歪め、目に涙すら浮かべてアサシンは縋るように呟いた。
 その姿形は、相変わらず桜のそれだ。けれどもう、その姿に心惑わされることはない。

「『駄目……なんですか先輩。アンリマユが生まれたって、本当に大勢の人が死ぬかどうかなんてわからないじゃないですか』」

「いいや、わかってる。……四度目の戦争で、何百人って数の人が死んだんだ。アンリマユが本当にこの世界に出てきたらどうなるかなんて、想像もしたくない」

「『ですから! アンリマユはいずれ抑止力に止められます! 先輩の大切な人達だって皆――――』」

「駄目だ。俺は誰も犠牲になんてさせない。そんなことは、許せない」

「『だったら! 私はどうすればいいんですか?!』」

「…………」

「『先輩は姉さんと一緒に行っちゃって――――私だけがずっとこのまま! だけどアサシンの願いが叶えば、私は新しい身体が貰えるんです! それを先輩は、許してくれないんですか――――』」

「……ああ」

 痛い。
 どこがどんな風に痛いのかはわからなかったけれど、それでもどこかに強い痛みを感じて、それを無理やりねじ伏せて頷いた。
 堅く、硬く唇を結び、呆然としたアサシンからそれでも視線を逸らすことはしない。
 一瞬の沈黙ののち、「『……そうですか』」と項垂れたアサシンは、



「『でしたらも』う――――お互いやり合うしかない……わよねぇ?」

 ゆっくりとあげられたアサシンの顔には、一面に笑みが張り付いていた。声が変わった、顔が変わった。瞬時に元の姿に戻ったアサシンは、心底嬉しそうな顔で唇を舐めた。
 その仕草は、獲物を前に舌なめずりをする獣のそれだ。
 判っていた。さっきまでの交渉じみた行為は、こいつにとってただの芝居に過ぎない。それもきっと、桜にみせるためだけに演じた芝居だったのだろう。

 『私は、先輩にも遠坂先輩にも傷ついてほしくないんです。』

 大嘘だ。桜の本心はわからないけれど、少なくともアサシンの意思はその対極にある。こいつは俺達を――――いいや、俺を殺したくてしょうがないのだ。
 どうしてそんなことがわかるのか、説明はできない。どうしてアサシンがそれほど俺を敵視しているのかはわからない。
 馬が合わない。気に食わない。あるいはそんな所かもしれない。正直、理由なんてものはどうでもいい。
 だってそれはこっちも同じだ。アサシンと同じく、衛宮士郎オレも理由なんてなくたって、こいつが許せそうにない。桜のことも、エリスのことも、アンリマユのことも。そんな理由が全部なくなったって、こいつを赦してはいけないと心の奥底で誰かが叫んでいる。

 ほんの一瞬、左手を疼かせた熱に急かされて、

投影開始トレース・オン

「…………」

 夫婦剣、干将・莫耶を投影する。遠坂は無言で宝石を手に取り、アサシンを強く睨み据えていた。
 そしてアサシンは、

「あ――――ん!」

 そんな俺達を睥睨するように見回したアサシンは、右手の親指を咥えるとその先端を食いちぎるように歯を立てた。
 血の滴り落ちる親指を逆さに、無機質な地面に血液を振りまいてアサシンは、

「“――――銅虎。
 大河を飲み干す獣たち。
 ここに滴るあまぁい蜜を、犯して啜って貪り尽くしなさい……!!”」

 そう口にした。その呪文に呼応して、いくつもの小さな魔法陣が堅い岩肌に浮かび上がる。
 
「使い魔――――!」

 その魔法陣を目にした遠坂がそう叫んだ。淡い光に彩られた幾何学模様。その円陣から這い出してきたのは、一言でいえば鉱物でできた犬のような形の何かだ。
 サイズは大型の肉食獣ほどもあるだろうか。目や鼻なんてものはなく、ただ人間の喉笛を食いちぎるための口だけを備えた、異形の石像だ。
 その異形が、合計9体。
 9匹の獣達が、主人であるアサシンを護るようにその周囲に侍る。
 自らの使い魔に囲まれたアサシンは、まるで異界の女王のように、



「さて、それじゃあ戦争を始めましょうか? 衛宮士郎、遠坂凛。
 聖杯を巡っての殺し合い。
 ――――聖杯戦争を」 

 高らかに、そう告げた。 







 

別窓 | 月聖本編 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 月の集積場 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。