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最終回
2009-03-20 Fri 15:29
 祝日ということで、少し早めに短編『胡桃』の最終回を掲載します。
 まとめの方は若干手直しをして、近日中にホームページに掲載予定。
 超遅筆不定期にもかかわらずお付き合いくださっている皆様、その上拍手までポチッとしてくださった貴方。いつもありがとうございます。またネタを思いついたら何か書きたいと思いますので、年に一度か二度、訪れていただけたなら幸いです。
 それでは。
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胡桃 最終話
2009-03-20 Fri 15:21



「……ごめんね アーチャー 」

「……ふむ? 」

 光が消えた。空手となった彼女は手を下ろし、俯いたまま呟いた。
 じっと自らの太腿の上に座り込むイリヤスフィールへと向け、アーチャーは問う。
 
「さて、一体何を謝っているのかね、君は。電話をひったくったことなら――――まあ、もう少しおしとやかにしたまえと、説教の一つもしたくなるが」

「――――んっと。うまくいえないんだけど」

 ゆっくりと彼女は顔を上げていく。そこにあったのは、泣き笑いのような、およそイリヤスフィールには相応しくない表情だった。
 
「なんだか私ばっかり喋っちゃったけど……アーチャー。もしかしたらアーチャーも、何かキリツグ言いたいことがあったんじゃないかなって」

「…………」

 アーチャーは心中で吐息をついた。人の幸福を願い続けた男。そうして自らの幸福を願えなくなった男。そんな男の理想を受け継ぎ、彼と同じように報われる事の無かったエミヤ。
 なんのことはない。
 イリヤスフィールにこんな顔をさせているのは、他ならない自分だったのだと、アーチャーはようやく気付いたのだ。
 
「イリヤスフィール。こんなことは、今さら君に言うまでもないだろうが」

 だから、彼は微笑んだ。いつものように皮肉げに、何の心配も無いと言いたげに。
 
「さっきの会話の相手。彼は君がよく知り、そしてかつて私が知っていたのだろう男によく似た、別の存在だ」

「…………ん」

 こくり、とイリヤスフィールは小さく頷いた。アーチャーの言う事は正しい。同じ名前、同じ容姿、同じ声に同じ心。けれどやはり先刻の彼と彼女の知る衛宮切嗣は、起源を同じくするだけの別の存在なのだ。
 だから、そんな別人に言いたいことなど自分にはないと、アーチャーは言った。

「――――そうね。あのキリツグは、あの世界のキリツグだもの」

「そういうことだ。だが別人とはいえ、似すぎているなら腹も立つ。君の気持ちもわからんわけではないよ」

「? だったらやっぱり、アーチャーもキリツグに――――」

「違う。私がわかると言ったのは、似すぎた誰かに腹が立つということだ。私にとってその相手は、衛宮切嗣ではない。
 
 ――――オレはね、イリヤ。彼に言いたい事など、本当に何一つ無いんだ」
 
 その言葉に、はたとイリヤスフィールは顔を上げた。
 ほんの一瞬、浅黒い顔に浮んだ誰かの面影は、けれどすぐに暗闇の中に熔けていった。そこに居たのは他の誰でもない、アーチャーという名のサーヴァントである。
 
「君は勘違いしているということだ、イリヤスフィール。くだらん理想を抱いて野垂れ死にした責任は、当人にしかない」
 
「……アーチャー」

「衛宮士郎の愚かさは、衛宮士郎自身のものだ。勝手に憧れ、借り受けた理想の重さと結末の責任は――――断じて、他の誰かに問うものではない。彼はただのきっかけだ。最も今の私に、彼に関する記憶などもう存在しないがね」

 厳密に言えば、それは嘘だ。記憶はあった。遠い昔、地獄のような火の海の中で死に掛けていた子供を見下ろす、彼の顔を。
 ならばもし、彼に何かの罪を問うとするのなら。
 
“――――よかった”

 見ず知らずの子供が助かった事に、あんなにも嬉しそうだった彼の姿こそが、どうしようもなくうらやましかったのだ。
 
 
 
「そっか」と頷いたイリヤスフィールは、花咲くような笑顔を見せた。「そうだ」と頷くアーチャーの頭に、イリヤスフィールは手を乗せると。

「――――嘘つきね。アーチャーは」

 そっと、慈しむように彼の頭を撫でた。母が子に、姉が弟にするように。
 それはあまりにも柔らかく、なにより自然な動作だった。アーチャーは抗することすら思いつかずになされるがまま、無心でその感触に身を委ねてしまう。
 
「…………」

 嘘ではない――――瞳を閉じたアーチャーは、心中でそう呟いた。イリヤスフィール、彼女の思うように、衛宮士郎ならば衛宮切嗣に言いたいことがあったのかもしれない。恨みでも糾弾の言葉でも無い、もっと別の何かを。彼女はきっと、それを気にかけているのだ。
 けれどアーチャーには、本当に言いたいことも言うべきことも無かった。名乗らずともイリヤスフィールが誰かを理解した男が、アーチャーには何の反応も見せなかったように、今の彼はかつての自分とはあまりにも違う存在だ。ゆえにアーチャーというサーヴァントは、衛宮切嗣に対して何の言葉も持ち合せていない。
 それが当然だし、それで良いとアーチャーは心底思う。その中でイリヤスフィールが、あの衛宮切嗣との会話で、自身の心に残った最後のしこりを少しでも昇華できたなら、それはきっと幸運なことなのだろう。
 
 この奇妙な体験の結末は、それだけでいい。
 
 そして、不幸中に幸いを見つけたなら、早く物語を終わらせるべきなのだ。
 
 
 
「――――さて、それではここから出るぞイリヤスフィール。予定通り、この蓋を吹き飛ばす」

 イリヤスフィールの手をそっと払いのけたアーチャーは、頭上の蓋をノックするように叩いた。対してイリヤスフィールはといえば、膝立ちのまま器用にその場で反転し、アーチャーの胸板に背を預けるとそのまま座り込んでしまう。
 そのリラックスした様子に、「イリヤスフィール? 」とアーチャーは問いかけた。肩越しに振り返った彼女は、彼を見上げると。
 
「予定は変更しましょう、アーチャー。やっぱり無理矢理なんて、おしとやかなレディのすることじゃないわ」
 
 軽い口調に、アーチャーは眉を跳ね上げる。今さら脱出の是非について意見を言われるなどと、思ってはいなかったのだ。
 そんなアーチャーの表情が可笑しかったのか、くすりと彼女は笑った。
 
「大丈夫、きっと誰かが来てくれるわ。だから、もうちょっとだけ待ってみない? 」

 助けを呼ぶ事はできなかった。けれど彼女が助けを求めずとも、彼女を放っておけない者たちがいる。それは彼女と共に在る従者であったり、彼女を守護する英雄であったり、姉の身を案ずる弟であったり。
 
 きっとそれこそが、幸福の確かな形なのだろう。
 
「だと、よいのだがね」

 嘆息したアーチャーは、全身の緊張を解いた。この世界のイリヤスフィールを案ずる、この世界のものたち。あと少しくらい、それに賭けてみても良いだろうと思ったのだ。
 それに彼としても、箱を壊さずに済むならそれに越したことは無かった。主にマスター的な意味で。
 

「いいだろう、ならばもう少し待ってみるか。だがイリヤスフィール、少しでも心身に異常を感じたら、直ぐに言ってくれたまえ」

「はいはい、心配性なんだからアーチャーは。……じゃあ、しばらく話でもしましょうか? 」





 暗く、狭い宝箱の中。



 互いの息遣いすら感じられるほどの距離で。
 
 
 
 
 




「あ、そうだ。アーチャーは、クルミには幾つか種類があるって、知ってる? 」

「ふむ。確かオニグルミにサワグルミ。あとは――――」










 穏やかに雑談に興じる二人は、まるで姉弟のようだった。
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
  後に残ったのは、むなしく響く電子音だった。

「――――はぁ」

 床に座り込んだまま、身体を襲う激痛を少しでも吐き出すために、彼は深呼吸を繰り返した。やがて大きく息をつき、ゆっくりと身を起こす。
 
「――――う」

 ここのところ、痛み止めの効果が弱くなっているのを彼は感じていた。耐性がついたのか、あるいは薬でごまかせないほどに身体が限界に近いのか。 そもそも自身がどんな病に犯されているのかすら解からない彼に、その判別などつくはずもなかった。ふらつく身体を必死に支え、握り締めた受話器を元に戻す。
 
「大丈夫」

 暗示をかけるように呟いて、苦痛をカットする。今日は良い日だ。何よりも聞きたかった声が聞けた。だから、こんな痛みなど直ぐに吹き飛んでしまうはずだ、と。
 
「…………ん」

 受話器を置いた姿勢のままもたれるように苦痛に耐えていた彼が、不意に顔を上げる。玄関先から人の気配を感じたのだ。どうやら彼の息子が、買い物を終えて帰宅してきたらしい。
 速やかに意識を内へと向け、全力で痛みの抑制を行う。難しい事ではない。かつて魔術使いとして現役で動いていたころには、数え切れないほど繰り返してきたプロセスだ。こんな状態を、万一にでも息子に見られるわけにはいかなった。
 
「ただいま」

「おかえり、士郎」

 何とか笑顔を繕えたことに、彼は内心でほっと安堵した。帰宅した士郎はといえば、玄関を開けたとたん視界に入ってきた父の姿に驚いたのか、一瞬動きを止めた。
 
「何やってんだよ、爺さん。こんな所で」

「勿論、士郎を出迎えに――――冗談だよ。ついさっき、知り合いから電話がかかってきてね」

 そう言って電話機のほうに視線を走らせた彼の様子に、「ふうん」と頷き、士郎は手にしていたビニール袋を置いた。食材の詰まった袋の口からは、長ネギが頭を出している。
 その場にしゃがみこみ靴紐を解きながら、興味なさげに士郎が問う。
 
「知り合いって、誰から? 」

「士郎が知らない女の子だよ。僕もしばらく会ってなくってね――――僕が思っていたより、“随分と”大きくなってたみたいだったけど」

「……女の子? 」

 その言葉にぴくりと反応した士郎は、靴を脱ぎながら顔を上げた。苦虫を噛み潰したような表情のまま、ビニール袋を持ち直し家に上がる。
 
「またかよ爺さん。もう刃傷沙汰はごめんだぞ、俺」

「うーん。どうかな? 」

 曖昧に笑って彼は誤魔化した。先刻会話した“イリヤスフィール”が会いに来る可能性など無いが、こちらの世界の彼女が来たなら、刃傷沙汰程度では済まないだろう。
 その返答に、より苦味を増した表情のまま、士郎は居間へと向かった。士郎と共に、ゆっくりと歩みだす彼へと、
 
「けどよかったな、爺さん」

「――――え? 」

「いや、凄く嬉しそうな顔してるからさ。その人と、久しぶりに連絡取れたんだろ? だから、良かったなって」

「……そうだね。凄く――安心した」

 戸を開け、二人で居間に入る。ビニール袋を抱えたままキッチンへと向かった士郎は、冷蔵庫を開け食材を収めながら、背を向けたまま彼に問うた。
 
「晩飯、魚でいいよな? 今日は鰈が安かったから、こいつを煮魚にでも――」

「うん」

 じっと立ち尽くしたまま、彼は士郎の背中を見つめていた。こんな自分の元で、良い子に育ってくれたと心底思う。
 
 ――――シロウが作ってくれるご飯はとっても美味しくて。
 
 ――――キリツグなんかよりずっとずっと優しくて。
 
 
 
(――――ああ)



 知ってる。
 
 
 


「士郎」

「んー? 」

 ごそごそと冷蔵庫を覗き込む少年に、
  
「――――ありがとう。君がいてくれて、よかった」

 大切な思いを、一言、口にする。

「…………」

 告げられた感謝に、士郎は顔を上げて振り向いた。珍獣でも見つけたかのような表情で、恐る恐る尋ねる。
 
「どうしたんだよ、急に」

「うん。まあずっと士郎には感謝してるんだけど」

 そう、彼はずっと感謝していた。全てを失い迷い歩いたあの災厄の中で、それでもたった一人生きていてくれた命。その存在そのものに、彼はどれだけ救われたのか解からない。その感謝を伝えるには、きっと万言を尽くしてなお足りなかった。
 それでも。
 
「たまには口に出して、ちゃんとお礼を言わなきゃいけないと思って」

「……ふーん」

 納得できない、といった様子で眉を顰めていた士郎は、再び彼に背を向けた。そうして彼の見えない所で、照れくさそうな顔をしながら、
 
「じゃあ、まあ――――どういたしまして」

「うん」

 最後に牛乳をしまい込み、冷蔵庫の扉を閉める。少しばかり大きな音を立てたのは、背中をはしるむず痒さを振り払うためだったのかもしれない。
 彼に顔を見せぬまま、士郎は林檎を片手に流し場へと向かう。そうして包丁を手に取ると、慣れた手つきで皮を剥きながら、
 
「――――そうだ。感謝してるってんならさ、頼みを一つ聞いてくれよ、爺さん」

「? 何か欲しい物でもあるのかい? 」

 薄く繋がったまま剥かれていく林檎の皮を見ながら、意外そうに彼は問うた。こんなことを士郎が言うのは、珍しい事だ。
 だからこそ、大抵のものならば用意する意思が彼にはあった。けれどそんな彼の前で、士郎は器用に林檎を剥きながら「いいや」と否定する。
 
「欲しいものなんて、別に無いよ。そうじゃなくて、晩飯が終わったら久しぶりに鍛錬に付き合ってくれないかなって」

「鍛錬……魔術かい? 」

 僅かに、彼は声を硬くした。正直、彼は士郎に魔術を覚えて欲しくなどなかった。いや、自分のようにだけはなって欲しく無いと言ったほうが正しいか。
 
「……いや、別に魔術じゃなくても、さ。役に立つコトなら、何だって教えて欲しいんだけど――――」

 彼の異変を悟ったのか。取り繕うように士郎は言った。そんな士郎の様子に一抹の罪悪感を感じながら、その感情を封じ込めるように彼は瞼を閉じる。
 
「役に立つこと、か」

 そして、彼は思考する。与えられる知識と技術。自身がその営みの中で得てきた、それらのことを。

 知ってほしいことは、沢山あって。
 
 教えてあげられることは、少なくて。
 
 その中から、覚えて欲しくないことを除けば、彼が息子にあげられるものなどほんの少ししかなかった。
 
「…………」

 さてどうしよう、と考えていた彼の瞼の裏に、不意に一人の女性の顔が浮んだ。白い、雪のような女性だった。かつて誰よりも彼を理解し、誰よりも彼を愛し、そうして彼が裏切ってしまった、彼の妻。
 
「ああ、そうだ」
 
 そうしてようやく、思い出す。不機嫌そうにむくれる娘の顔。『キリツグはずるい』と怒る彼女を、笑顔で宥める妻の姿を。永遠に失われてしまったその光景は、彼にとっても、最も確かな形として残った幸福の姿だったに違いない。
 それは決して、士郎が望むような役に立つことではなかったけれど。

 
「ねえ、士郎」

「ん? 」











「君は――――クルミにはいろんな種類があるって、知ってるかい? 」













 ぷつり、と切れてしまった林檎の皮を見て、彼は微笑した。
 それは遠い昔、娘の元に置いて来た父の笑顔だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 ――――過去は遠く、未来は彼方。失われた時は戻らず、彼が彼女に再会する日など永遠に来ない。
 
 けれど、もしも。
 
 もしも、どこかに、そんな世界があったとしたら。
 
 鏡合わせの世界のどこかで、再び彼と彼女の運命が交わるというのなら。
 
 
 
 
 
 『さあ、しゅっぱーつ!』
 
 『ヤーヴォール!』
 
 
 
 
 
 ――――胡桃が芽吹く頃に、また、会いましょう。









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胡桃11
2009-03-15 Sun 17:18


『…………わからない』

 じっとイリヤスフィールの顔を見つめていたアーチャーの耳に、あちら側から声が届いた。既に携帯電話は彼の手には無いが、常人には聞き取れぬ音でもこの男の耳には届く。
 
「……何? 何て言ったの、キリツグ」
 
『自分でもわからないんだ、イリヤ。僕はいったい――――ここで、何をしているんだろう……ね』

「――――ふざけないで」

 電話を握るイリヤスフィールの手に、筋が浮ぶ。
 
「どうして生きているのキリツグ!私やお母様を裏切った貴方がどうして?! 」

「…………」

 激情を込め、一息でイリヤスフィールは言った。そこにあったのは、純粋な怒りだった。黙してそれを聞いていたアーチャーは、息を切らせたイリヤスフィールの表情が、暗い期待と喜びに歪むのを見た。
 
 
 
「――――死になさい、キリツグ」

『…………』

「死んでよ、キリツグ。本当なら私が殺したいけど、ここからじゃ貴方に手が出せないの。だからせめて今死んで。最期の呻きを、私に聞かせて」

 それは、欲しい玩具をねだる子供のような声だった。
 そうしてその願いを、必ず叶えて貰えると信じている声だった。
 
『……それはできない』

「――――ッ!」

 だからこそ彼の答えは、一層彼女を苛立たせる。
 苛立ちで呼吸を震わせるイリヤスフィールに、彼は言った。
 
 

『駄目なんだよ。だって僕は――――まだ、願いを果たしていない』



 何かに疲れきった声だった。その言葉に、イリヤスフィールのみならずアーチャーも息を止める。
 何もかも剥ぎ取られた男に、それでも重く圧し掛かるもの。
 それは、唾棄すべき理想の果てに抱く、義務感にも似た何かだ。
 
『殺されるのはしょうがない。けれど、自分で死ぬことはできない。僕はね、イリヤ。この願いを、自ら止めてしまうことだけは許されないんだ』

 そうでなければ、彼は今まで理想のために切り捨ててきたものの全てに、背を向けることになる。
 固く瞳を閉じたアーチャーは、奥歯を強く噛み締めた。自身の生に意味を失い、それでも理想に拘泥して生き続けるその在り方。犠牲にしてきたもののためにも理想を貫かなければならないというその傲慢。それは、彼が最も忌むべき姿そのものだった。
 だから。
 
「――――馬鹿みたい。やっぱりキリツグは、最後までわからなかったんだ。そのせいでシロウまで巻き込むのね、貴方は」

 ほんの少し、哀れむようなイリヤスフィールの言葉に。
 アーチャーは少しだけ、ほっとしたのかもしれない。
 
 
 
『……士郎を……巻き込む? いや、それよりイリヤ。どうして君が士郎のことを……そもそもアインツベルンの監視下にある君が、僕にコンタクトを取れるはずが』

 困惑が、受話器越しに届く。
 

『……ま、さか』
 
 ややあって続いたのは、息を呑む音だった。
 
『イリヤ、まさか君は、別の――――』

「――――どうかしら? けれどこれだけは自覚しなさい、キリツグ。貴方の知っている私は、きっと今も雪の中で、貴方を殺すことを夢見ている」

 けれど、その夢が叶わないことを、彼女は知っている。
 真白い雪に閉ざされた世界で、ずっと憶えていた。氷雪に肌を裂かれながら、彼の顔を、声を、匂いを、仕草を。そうして一つの決意を固めた。それはさながら、胡桃のように硬い殻を纏った殺意だ。
 
 けれど、その殺意が萌芽する前に彼は死んだ。
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンに再び見えることなく、彼は死ぬのだ。
 
『…………』

「どうしたの? キリツグ。急に黙っちゃって。何か私に、言う事は無いの? ――――いいえ。貴方は私に、言う事があるでしょう」

『…………あ』

 嬲るようなイリヤスフィールの問いに、彼は小さく呻いた。言うべきこと、言わなければならない事。イリヤスフィールが要求するそれが何なのか、彼は悟ったのだろう。
 けれど、その一言を彼は決して言えない。そのことをアーチャーは知っていた。彼がその一言を言おうとイリヤスフィールは決して彼を許さないだろうことも。
 選ばないとはそういうことだ。選ばなかった者は、選ばれなかった者に対してどんな言葉も持ち合わせはしない。持ってはならない。
 
「何か言いなさい、キリツグ」

『…………』
 
 たった一言。
 
「――――何か言いなさいよ……キリツグッ!」
 
『…………』
 
 「すまない」と娘に謝る事すら、彼には許されないのだ。
 
(――――それが)

 エミヤ(かれら)の。
 
(罪だろう? 衛宮切嗣――――)

 唾棄すべき理想。救い難い傲慢。そのために犯してきた、罪と罰。衛宮切嗣という男の生を、あるいはこのアーチャーこそが誰よりも理解していたのかもしれない。絶望の果てに聖杯に望みを託した男。その妻よりも娘よりも深く、アーチャーこそが彼の歪みを知っていた。
 
 ――――衛宮切嗣は、イリヤスフィールを選ばなかった事を、後悔できない。
 
 痛みはあったろう。怒りもあったろう。悲嘆もあったし、その選択に絶望もしたかもしれない。けれど後悔はないのだ。何故なら彼は、再び同じ場面にあったなら、全く同じ選択をするにちがいない。十度、百度、どれだけ数を重ねても、その決断が覆る事は無い。 “もしも”を選択しない人間の痛みは、断じて後悔足りえない。
 
 だから、イリヤスフィールに対する彼の返答など、決まっていた。
 
『……ない』

「――――え? 」

 ゆっくりと、含むように彼は告げる。
 
『無いよ、イリヤ。君に言えることなんて、僕には何一つ無い』

「!――――ッッ!」

 じわり、と赤色の瞳が滲むのを見たアーチャーは、そっとイリヤスフィールから視線を外した。今の彼女の顔を盗み見るのは、フェアではない。
 同時に彼は胸中で罵りをあげた。誰に対してかはわからない。あるいはそれは、こんな悪趣味な偶然を引き起こした、形無き魔法に対してであったのかもしれない。
 
(――――く)

 救い難く、救いの無い話だ。結局この電話は、イリヤスフィールの過去の傷を抉り出しただけだった。彼女は救われず、電話の相手は報われず、そうして後には暗い闇だけが広がっている。
 苛立たしげに、視線の先にあった杖をアーチャーは睨みつけた。思えばこの杖さえなければ、と。
 そんな彼の耳に、再び男の声が届いた。
 
『……けれど、一つだけ』

「――――?」

『君に言えることなんて何一つ無いけれど、聞きたいことが一つだけある』

「聞きたい、こと? 」

『うん。ずっとずっと……本当にずっと、気になっていることなんだ。もしも許されるのなら――――』』

 そこで、彼は言葉を切った。代わりに、乾いた咳の音が二度三度と聞こえる。
 鋭い痛みに耐えるように、彼は続きを搾り出していく。
 
『――――いや、許されない。許されるはずがない。けれど許されなくても、どうしても君に、聞きたいことがある。イリヤに……“今”の君にどうしても――――ッ!』

 異音。猛烈に咳き込む音と共に、何かがぶつかる音をアーチャーは聞いた。あるいは人が倒れこんで地にたたきつけられれば、こんな音がするかもしれない。
 酷薄に、手足をもいだ虫が地を這う様を観察する子供のような顔で、イリヤスフィールは相手の咳が止まるのを待った。途切れ途切れの呼吸音を聞きながら、彼女は問う。
 
「何を聞きたいの?キリツグ 」

 最早、如何なる感情の揺らぎも彼女には見受けられなかった。それは、さながら審判を下す判事のよう。判決は死刑。そんなことは十年も前に決まっていたことだった。にもかかわらず、男は謝罪の一つも口にせずに自己の疑問のみを口にするという。
 
「言ってみて。“今”の私が答えてあげるわ、キリツグ。貴方が私にそれを問う機会なんて、もうないんだから」

 答えましょう、と彼女は言った。冷静に、残酷に、如何なる質問であろうとも、彼が最も望まぬ答えを。
 
『イリヤ……君、は――――』

 罪人は、自らが望んだにもかかわらず、逡巡しているようだった。当然だ。彼が彼女に問おうとしているのは、最も許されざる疑問。それを聞くには、真っ赤に熔けた鉄を飲み込むことすら生易しいと思える覚悟が必要だった。
 それでも、彼は問うた。“今”の彼女はこれを問う相手として、彼にとってあまりに魅力的であり、恐ろしい相手だった。だから彼の声は、何処までも真摯であり必死であった。
 イリヤスフィール。君は。
 
 
 
 
 
 
 
 
『君は、今――――幸せかい? 』







 それはあまりにも罪深い問いであり、願いだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「――――」

 顔面を蒼白にしたイリヤスフィールは、魂が抜けたように放心し、身体を震わせた。目を見開いたアーチャーは、こみ上げるものを堪えるように口を手で覆う。
 
 ――――ふざけるな。
 
 彼は、彼こそが、やがてイリヤスフィールを愛する男が現れるその時まで、世界で最も彼女を幸せにしなければならない存在だったはずなのに。
 こみ上げる怒りと共に、しかしアーチャーは一つのことを理解していた。そんなことは、他ならぬ衛宮切嗣自身が最も解かっているだろうことを。そうして衛宮切嗣が、それを望みながらそれを選択できなかったことを。
 胸を焼く吐き気は、アーチャー自身のものではない。それは、衛宮切嗣のものだった。その世迷言を吐くまでに、彼は一体どれほどの自己嫌悪を飲み込まねばならなかったのかと、アーチャーは衛宮切嗣の心中を想像した。
 
 その罪を誰よりも理解しているのは、罪人自身であり。
 それを自覚してなお、問わずにはいられない願いがそれだった。
 
「――――あ」

 強く掌を握り締め、イリヤスフィールは口を開いた。けれど、そこから意味を成す言葉は出てこない。零れた小さな呻きは、純粋な怒りであり、憎しみであり、憤りであり、悲しみであった。
 
「あ、あ」

 身体の震えが、止まらない。幸福とは何なのか。彼女はそれを、十年も前に失ってしまった。父がいて、母がいて、自分がいる。それが彼女の知る、もっともシンプルな幸福の形。
 けれど、それはもう取り戻すことのできない幻影なのだ。
 だから、彼女は奥歯を噛み締め、かつての幸せの象徴へと、
 
 
 
「当たり前……じゃないっ! 」

 
 
 
 頬を伝う涙と共に、強く、宣言した。
 
 
 
「私はずっと幸せだった!キリツグが居なくなったって、傍にはリズとセラが居る!それにバーサーカーだって!バーサーカーはとっても強くて、キリツグなんてすぐにぺちゃんこなんだから!」

 頬を拭って、笑って叫ぶ。彼の知らないもの。彼を失った彼女が、自ら血を流して手に入れたもの。彼女の今を構成する、全てのものたち。
 
「タイガはおっちょこちょいだけど楽しくて、ライガは本当のお爺様みたいにしてくれて!他にもリンやセイバーも居て、それから、それから……」

 溢れ出る涙が悔しくて、彼女はもう一度乱暴に頬を拭った。泣く必要など無い。今叫ばれる言葉は、彼女を裏切った男への勝鬨なのだ。だから、こんなにも声が震えていては、彼を悔しがらせる事ができないではないか。
 
「……それにシロウ!シロウが作ってくれるご飯はとっても美味しくて、私の言う事もきちんと聞いてくれて、キリツグなんかよりずっとずっと優しくて――――」

 そうして彼女は、彼にたった一つのことを伝える。




 
「キリツグなんかと違って、シロウは絶対、いなくなったりしないんだから――――!!!」





 だからもう、彼女は彼への憎しみを糧とせずとも、生きてゆけるのだと。
 彼がいなくとも、真っ直ぐに。
 自らの望む、未来へと。
 
 
 
『……そうか』

 息を切らして肩を上下させるイリヤスフィールの耳に、じんわりとその一言は染み渡っていった。その声の温もりを、彼女は知っていた。こんな声を出したときの彼は、何時だって微笑しているのだ。
 電話の向こうで彼は、きっといつかの顔のまま。




『そうか――――ああ 』










 ――――■■した
 
 
 







 
 
「キリツグ? 」

 声が途切れた。言葉の最後をよく聞き取る事ができず、彼女は問い返す。
 
『イリ……僕……アイ…………聖杯…………』

 彼はかまわず、話し続けているようだった。しかしその声をまともに聞き取る事ができない。途切れ途切れの言葉の間に、さらには雑音までもが混じり始め、イリヤスフィールは慌てて叫ぶ
 
「キリツグ? 聞こえる? キリツグ!」

『ずっと……ベルン…………できれ……郎と……』

「イリヤスフィール」

 なおも叫ぼうと息を吸う彼女の名を、アーチャーは呼ぶ。
 そうしてアーチャーは、ちらりと電話に視線を走らせ、一言告げた。
 
「限界だ。その投影はもう消える」

「……そんな!」

 何かを希うような彼女の視線に、アーチャーは首を振った。そうして視線で問いかける。投影が消えるのを待つか、自らの意思で電話を切るか、君が決めろと。
 
「…………」

 唇を噛み締めて、イリヤスフィールは目を閉じた。素直に電話を置く事などできるはずが無かった。まだまだ彼女は彼に言いたいことがたくさんあるのだ。その全てを話し終えるには――――きっと、いくら時間があっても足りなかった。
 
「えっと、えっと」

 限られた時間の中で、それでも彼女は必死に言葉を探した。おそらくもう、その言葉はむこうには届かない。それでも彼女は、頭の中をぐるぐると廻る言葉の渦から、必死で何かを掴み取ろうと手を伸ばす。
 ――――何を言えばいいのだろう。
 ――――本当に言いたかった言葉は、一体なんなのだろう。
 
 そんな彼女に構わず、ぼんやりとした光が箱の中を照らした。見ればイリヤスフィールの手にした携帯から、さらさらと光の粒が零れだしている。
 その光景に、彼女は反射的に口を開いた。光の粒と共に零れ落ちたのは、しかしあまりにもつまらない一言だった。そんなことを言うつもりはなかっただろう。だけど、慌てていたのだからしょうがない。
 とっさに彼女の口が紡いだのは、かつての彼女が毎日口にしていた凡庸な言葉。それは幸福な時間の中で、最も安らかな場所で交わされる、一日の終わり。
 
 
 
 
        バイバイ     キリツグ
「――――Gute Nacht。 Vater」





『ああ。おやすみ、イリヤ』








 どうか明日も、明後日も。
 
 君の幸せが、続きますように――――
 

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胡桃10
2009-03-09 Mon 21:56


 時間が止まった。凍りついた彼女の笑顔は、一人の男の名を呼ぶと同時に、平坦なものへと変化していく。
 やがてわななくように釣りあがった唇は、その瞳に宿る冷たさに反し、彼女が微笑んでいるようにも見せている。それが真実微笑であったなら、何と酷薄な笑みか。純粋な白を連想させる少女に、ひとつ、ふたつと黒い染みが落ちていく。
 やがて、その黒で彼女の顔が塗りつぶされた頃。
 
「そこで、何をしているの? キリツグ」

 それが、十年彼女が溜め込んでいた呪いの始まりだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 初めはきっと、ただの困惑だった。無理もない。彼女は当時、外見そのままに幼い少女だった。少なくとも、無邪気に父を信じられるほどには子供だった。それはいずれ溶けて無くなる雪のような真なる白であった。だから彼女は、極東の地で行われる戦争に赴いた父の勝利を、雪に閉ざされた遠地で疑いようも無く信じていた。
 
 だから、彼女は困惑した。
 
 その父が裏切り、もう自分の元には帰って来ないのだと告げられた時に、それを信じる事などできなかった。
 
 それが事実だと理解するのに、どれほどの時間を要したのだろう。あるいは、父がただ敗れて死んだのであれば、それほどの時間は必要なかったのかもしれない。けれど彼女の父は生きていた。何より彼は、その戦争における勝者だった。信じていた通りに強かった父は、けれど土壇場で彼女と彼女に連なるものの全てを裏切り、そうして彼女の元から姿を消した。
 
 彼は、彼女が信じていた強さを裏切らなかった。
 
 ただ彼は、彼女が信じていた“父に愛されている”という幸福を裏切ったのだ。
 
 彼女が信じていた強者は、苛烈な戦争の最終幕(フィナーレ)に、一つの選択をした。娘と妻の幸福と、有象無象の命。片方を掴めばもう一方が容易く砕けてしまうその選択で、彼は彼女の信じた“父”を裏切った。
 
 
 
 選ばなかった。
 
 
 
 彼の、彼女に対する罪は、その一言に尽きた。







 
 
 
「……もう一度聞くわ」


 だから、父の裏切りを理解した彼女は、父の生存にむしろ感謝した。やがて来るだろう第五次聖杯戦争。その戦いにおいて、自分を裏切った男の内臓を磨り潰し、首を故郷に持ち帰ることを夢見ることで、過酷な日々を耐えることができた。
 けれど彼は、彼女に見える事も無く、あっさりと極東で病死した。それもまた、彼女にとっては裏切りだったろう。
 
 
 
「そこで、何をしているの? 」



 彼女の名前はイリヤスフィール。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
 
 
 
「――――ねえ? キリツグ? 」



 かつて母と共に、男を誰よりも信じて裏切られた少女が、アーチャーの前でそう言った。


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胡桃9
2009-03-06 Fri 16:24
「酷い事するのね。もしかしたらあのシロウとアーチャーは、仲良くできたかもしれないのに」

「まさか。ヤツがどんな衛宮士郎だろうと、ヤツのサーヴァントがどんな私だろうと――――私とヤツが分かり合う世界など、決して無い」
 
 そうかしら?と間近で微笑するイリヤスフィールの呟きを、アーチャーは無視した。未だぼんやりとした光を放つ携帯を、軽く握り締める。
 
「――――それにしても、平行世界とはな。さて、世界を超えて助けに来てくれそうな相手に心当たりはあるかね? イリヤスフィール」

 冗談めかしたアーチャーの問いに「まさか」とイリヤスフィールは首を振る。当然だ、異なる世界を行き来できるなど、彼の魔法使い以外にありえない。
 「だろうな」と頷いたアーチャーは、ひょいとイリヤスフィールを持ち上げて身を起こした。足を伸ばしたまま、太腿の上に少女を降ろす。
 
「できるだけこちらに身体を寄せろ、イリヤスフィール」

「何をする気? アーチャー」

 きょとんと小首を傾げるイリヤスフィールに、アーチャーは肩を竦めた。
 
「決まっているだろう。助けを呼ぶ事もできんとなれば、手段は一つだ。――――君の言っていたように、この箱を破壊する。」

 上方に手を伸ばし、アーチャーは速やかに自己の内に潜っていった。蓋に指を滑らせその耐久力を解析、これを吹き飛ばすに足る手段を、幾つか思い描く。
 
「…………」

 当然、最大の懸念事項はイリヤスフィールの安全である。彼女の身に万が一のことが起きぬよう、こちらの防御を古の城砦クラスにまで固める必要があった。
 恐らく盾だけでは足りまい。鎧と幾つかの守りを、脳内で吟味していると。
 
「待って、アーチャー。そんなに急がなくってもいいでしょう? まだ、助けが呼べないと決まったわけじゃないわ」

 そんな、ひどく暢気なことをイリヤスフィールは言った。
 
「…………何? 」
 
「おかしな世界と繋がっちゃう電話だけど、それでも繋がらないわけじゃない。だったらもしかして、普通にこの世界のシロウに繋がることもあるかもしれないじゃない」

 小悪魔めいた微笑を浮かべるイリヤスフィールに、頭痛を憶えてアーチャーは目を細めた。
 勿論、イリヤスフィールの言う可能性など、あるわけが無い。
 いや、厳密に言えばその可能性は確かにゼロではあるまい。しかしそれを引き当てるなど、絶対の幸運をもつあの英雄王にすらできるかどうか。
 砂漠に落ちた砂一粒、などといったレベルではないのだ。何しろその確率といったら、無限分の1に等しい。
 そんなたまたまが起こると期待するようなイリヤスフィールではないだろう。ならば、その意図するところは。
 
「……わかっているのかね、君は。面白がっている場合ではないのだぞ? 今は一刻も早く、このふざけた場所から脱出すべきだろう」

「でもやっぱり他の世界にはどんなシロウやリンがいるのか、興味があるわ。こんな機会はめったにないもの」

 アーチャーは胸中で嘆息する。どうやら平行世界との通信は、イリヤスフィールの興味を強くそそったらしい。
 だが、その好奇心を容易く容認するわけにはいかない。
 
「イリヤスフィール。判っている筈だ、君には。ここではない何処かの誰かのことなど、知るべきではないと」

「もちろんわかってるわ。……大丈夫よアーチャー、ちょっと興味があるだけなんだから。本当にただ、それだけ」

 大丈夫、とイリヤスフィールはもう一度繰り返した。証明するように、少し胸を張る。
 
「だからいいでしょう? こんなの、ちょっとしたお遊びみたいなものだもの」

「…………」

 アーチャーは、手元に転がされていた携帯電話にちらと視線を向けた。軽く指先で触れると、ひび割れた液晶部分をなぞる。
 解析するまでもなく理解する。最早この投影は長く持たないだろう。せいぜい後一度使えるかどうかといったところか。
 ならば。
 
「……この投影はもうもたん」

 それを証明するように、アーチャーは携帯を持ち上げイリヤスフィールに見せた。しかし彼女はそれを見ようともしない。ただ、じっとアーチャーの顔を見上げていた。
 その視線を受けて、アーチャーは諦めたように声を絞り出す。

「……使えたとして、後一度。一度だけだ。それでいいな、イリヤスフィール」

「ええ」

 歓声にも似た同意に、アーチャーは渋面を浮かべた。イリヤスフィールに対してではない。彼女の我侭に付き合ってしまった、己の甘さに対してだった。
 そんな自己嫌悪を、少しでも和らげようというわけではないが。
 
「あ、アーチャー。最後なんだから、今度は私にかけさせて」

「駄目だ。君では何を喋るかわからんからな。聞くだけで我慢してくれ」

 イリヤスフィールの願いを、今度ははねつける。無体な姫君の願いを騎士が聞くのは、それが誰かの害にならない場合に限る。イリヤスフィールの好きに喋らせては、相手の世界にどんな影響が出るとも知れないのだ。

「それで、かける先は衛宮の家でいいのだな? 最も、何処にかけたところで繋がる先が選べるわけでもなかろうが」

 「なによそれー」とむくれながら電話を奪おうとするイリヤスフィールの頭を押さえながら、電話を持った手を彼女から若干遠ざけアーチャーは問う。しばらくじたばたともがいていたイリヤスフィールだったが、「もう!」とアーチャーの手を払いのけ暴れるのをやめ、頷く。

「……やれやれ」

 先刻よりも慣れた手つきでボタンを押していくアーチャーは、足を伸ばした姿勢のまま開脚し、僅かに上体を捻った。イリヤスフィールは不満顔のまま、開かれた両足の間で膝立ちになる。これならば、彼女も電話に耳を近付けられるだろう。
 
「…………」
 
 最後に通話ボタンを押し耳に当てる。やがて聞こえてくる、変わらぬ呼び出し音。一つ、二つと無意識のうちに音を数えていたアーチャーは、九回を数えた所で眉の間に浅い皺を刻んだ。
 
「……留守か? 」

 規則正しい電子音だけが支配する暗闇の中で、アーチャーはイリヤスフィールの顔を窺う。その白く小さな顔には、先程よりも不満の色が濃い。
 相手は留守だった、などという結果でイリヤスフィールは納得すまい。だが、アーチャーはもう一度電話をかけなおす気はなかった。そもそもここからかけた電話は、何処に繋がるのかわからないのだ。見ず知らずの他人が出たからといって、イリヤスフィールが満足する結果が出るまでかけ直しては、それこそきりが無い。
 呆気ない結末に、さてどうイリヤスフィールを説得するかと考え始めたアーチャーは。
 
「――――!」

 唐突に呼び出し音が途切れた事に、僅かに眉を跳ね上げた。見ればイリヤスフィールも、好奇心に顔を輝かせていく。
 山の天気のようなその変わりように、アーチャーは苦笑した。イリヤスフィールには悟られぬよう、こっそりと。そうして彼は、電話の相手の第一声を静かに待った。相手が誰か判明する前に、こちらから声を発するべきでは無いと判断したためである。
 
 
「…………」

『…………』

「…………?」

 僅かの後、小首を傾げたのはイリヤスフィールだった。電話の相手は、一言も声を発しなかった。名乗りもしないし、もしもしの一言も無い。より強く耳を電話に押し当ててみても結果は変わらない。聞こえてくるのは、ほんのかすかな生活音のようなものだけだ。 
「…………」

 その奇妙な沈黙の中で、しかしアーチャーの耳はかすかな音を拾い上げていた。イリヤスフィールに聞き取れぬのも無理は無い。サーヴァントである彼の聴力だからこそ聞き取れる、小さな音である。
 それは呼吸音。しかし正常なものではない。
 
(――――病人?)

 それは、今にも途絶えてしまいそうな、浅く短い音だった。
 
 
『――――あ』

「――――もしもし?」

 一瞬、本当に僅かな呻き声が届くと同時、アーチャーはそう声をかけていた。
 同時に、この電話が無意味であったことを強く自覚する。
 
 今電話に出ているのは――――まったくの、見知らぬ他人だ。
 
 その呻き声だけで、全く覚えの無い声だということが解かる。相手は男。あとわかるのは、それなりに歳を重ねた相手らしいということか。
 だから。
 
 
 
『――――はい。衛宮です』



「――――な、に? 」



 それは本当に、全く予期せぬ言葉だった。聞き覚えの無い声で告げられた名前は、そのか細さと裏腹に、鋭くアーチャーの鼓膜を刺した。
 衛宮。確かに相手の男はそう口にした。アーチャーの、知らない男が。
 偶々同姓の、赤の他人の家に電話が繋がった――――この箱の中で、それが一体どれほどの確率なのか知る術など無論無い。あるいは先刻衛宮士郎との会話の際勘違いしたように、誰かが家人の代わりに電話に出た?
 いずれにせよ、知らぬ声だった。その声が――――
 
 
 
『…………どちら様で……しょう、か? 』



 その声が、その言葉が。
 
 
 
「――――あ」




 こんなにも、彼の胸をざわめかせるのは、どうしてなのか。


 
 
 
「あ、ああ。失礼。そちらに士郎――――衛宮士郎、は――――」

 まともな会話の組み立てすらできず、気がつけばアーチャーはそう口にしていた。同時に、たった一つのことを強く理解する。
  
 『……? 失礼ですが、貴方は?』
 
 ――――この電話を、今すぐに切らなくてはならない。
 それは直感だった。磨耗しきった自己。忘れてしまった記憶。その中で――――それでも憶えている、数少ないもの。
 
 
 
 共に過ごした時のことなど忘れてしまった。声も、仕草も、全て忘れてしまった。
 
 
 
 けれど、ああ、そうだ。焦げた臭いと、煙を固めたような曇天の中、こちらを見下ろす彼の顔だけは覚えていた。
 
 
 
 記憶の底に沈んでいた光景で、彼は。



『うちの士郎に……どういった御用でしょう? 』



 彼は、あの時、何を呟いていたのだったか――――



「――――もう! 全然聞こえない!」

「――――!」

 それは、普段のアーチャーであればありえないミスだったろう。小さく擦れ、聞き取れない電話の会話に焦れたイリヤスフィールは、さっとアーチャーの手から電話を掠め取っていた。
 一瞬、意識の空白から回復したアーチャーは、電話を耳に当てるイリヤスフィールに向けて、叫ぶ。
 
 
 それは、万感を込めた文字通りの絶叫だった。
 
 
「ッッ!よせ!イリヤスフィ――――」













 ――――ここではない何処かの誰かのことなど、知るべきではない。そんなことは、分かっていたはずだった。




「もしもーし。シロウ?リン?それとも――――」




 選べなかったもの。手に入れられなかったもの。失われてしまったもの。そんなものが当たり前のように存在する世界を知る事は。


 



『……イリヤス……フィール? 』





 時として、こんなにも。






「キ、リ……ツグ――――」






人を、不幸にする、魔法なのだから。







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