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胡桃8
2009-02-28 Sat 00:45


「失礼、どうやら番号を間違えたらしい」




 在り得ない現実から逃れるために、アーチャーは腕に力を込めた。ミシリという音を立てて、液晶画面にひびが入る。そのまま携帯を粉砕せんとするアーチャー腕に、イリヤスフィールが慌てて縋りついた。

「何やってるの、アーチャー!今の声、シロウでしょ」

「まさか。声のよく似た他人だ。どうやら番号を押し間違ったらしい」

 平坦な声のアーチャーの瞳は、どこまでも虚ろ。その口元は、悪い病気でも患ったようにひくついている。ひびの入った携帯から漏れるあーちゃーあーちゃーという叫び声が、騒々しく箱の中に反響していく。
 その声の哀れさに、アーチャーの我慢は即座に限界に達した。無論、それが同情ではなく苛立ちなのは言うまでもない。
 
「――――ええい黙れ!貴様、一体何者だ」
 
 これは、衛宮士郎ではない。そのことだけはアーチャーは断言できた。これほど情けない声で己を呼び、あまつさえ心配したなどと、断じて衛宮士郎であるはずが無かった。
 そんなアーチャーの内心に関わらず、相手の声は変わらない。
 
『何者って――――アーチャー、あんた本当に大丈夫か? 偵察が終わったから、俺に電話をくれたんじゃないのか? 』
 
「……偵察、だと? 一体何の話をしている」

『だから、柳洞寺のことだ。キャスターのサーヴァントの偵察に行くんだって、あんたが言ったんじゃないか。夜が明けても帰ってこないから、本当に心配してたんだぞ』
 
「…………」

「…………」

 眉を顰めて、アーチャーはぴったりと寄せられたイリヤスフィールの顔を見た。彼女の顔にもまた、困惑が滲んでいる。
 一体、電話の向こうにいる男は何の話をしているのか。
 会話が噛みあわない、どころの話ではない。正気を疑いたくなるようなチグハグな話の中で――――しかし相手が真実真剣らしいと言う事だけは、アーチャーも認めざるを得なかった。


 ならばあるいは、おかしいのは相手でも自分たちでもなく。


 
「…………いつだ? 」

『え?』

「今はいつ――――いや、聖杯戦争から何日たった? ついでにもう一度聞く。お前は、一体、誰だ」

『アーチャー、あんた本当にキャスターの魔術か何かで、記憶が――――』

「いいから答えろ! お前は誰で、聖杯戦争から何日経過した!」

 怒声が響く。その音量に肩を竦ませたイリヤスフィールは、それでも変わらず携帯に耳を寄せ続ける。その瞳は真剣だ。ここに至って二人は、このおかしな状況に確信に近い予測を立てていた。
 
『…………士郎。俺は衛宮士郎だ』

 おずおずと、それでも真剣な声色で言う。
 
 『俺がアーチャーを召喚してから、今日で四日目だ。この戦いが何時から始まっていたのかは知らないから、戦争開始から何日経過したのか、正確な事は解からない』
 
「…………」

「…………」

 溜息が、重なった。電話口を指で押さえたアーチャーの視線の先に、彼と同じような表情を浮かべているイリヤスフィールがいる。

「イリヤスフィール」

「ええ。どうやら彼、“別のシロウ”みたい」

 確信と理解が広がる。恐らくこの携帯電話は今、無限に並ぶ世界のどこかと電波をやり取りしているのだと。
 平行世界との、通信。
 今回の騒動の発端となった、平行世界の観測実験。この宝箱の中では、期せずしてそれ以上のコトが起こるらしい。
 
『……それでアーチャー。今度は俺が質問する番だ、アンタ一体――――』
 
 遠い何処かから届く声に、アーチャーは眉を顰めた。最早助けを期待できない以上、この衛宮士郎と会話する意味はない。いや、それどころか彼我にとっての害悪にしかならないだろう。
 携帯を耳にあて、一息で告げる。
 
「悪いが衛宮士郎。これはやはり、間違い電話だ」

『……え?』

「この電話は、おかしな夢でも見たと思って忘れろ。……ああ、どうせ忘れるなら関係なかろうが、精々背中には気をつけろ。
 お前は“私”を随分信頼しているようだが、貴様とオレが理解しあう事など決してない。貴様が召喚したサーヴァントは、いずれ最悪のタイミングでお前を裏切るだろう」
 
『――――ッ!何言ってんだ、あんた。アーチャーはそんなヤツじゃ』 
 
 苛立ったような士郎の声に、アーチャーは唇を釣り上げ遮る。
 
「何を考えているのか知らんが、貴様のサーヴァントは随分と周到らしい。信じないのなら――――いや、貴様のサーヴァントを信じるというのなら、それでもかまわん。精々オレに騙されていろ」

 ――――そうしてそのまま溺死しろ、と呟いて。
 アーチャーは、何の躊躇もなく電話を切った。

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胡桃7
2009-02-21 Sat 12:42
「――――!」

 黒い悪意が、アーチャーの鼓膜を撫でた。無機質な機械から聞こえてきたのは、歴戦の英霊たる彼をして背筋の凍るような声である。何時の間にやら立っている三本のアンテナが、声のみならず呪いまで受信しそうな気にさせる。


『――――もしもし? 士郎さん?』

「あ……ああ、どうした桜――――」

 知らず渇いて粘りついていた唇を引き剥がし、努めて冷静にアーチャーは答えた。今下手なことを言えば殺される。どのような手段を取るのか知らないが、とにかく彼女は自分を殺す。それはほとんど確信に近い予感だった。
 死は恐ろしくなどない、しかし彼女は恐ろしい。じっとりと手を濡らす汗は、磨耗した記憶に刻まれた外傷の発露であったのかもしれない。

『――――どうしてイリヤさんがそこにいるんですか? 士郎さんは、お仕事に行っているはずですよね』

「いや、話せば長くなるのだが……というか、何度も言うが私は衛宮士郎では」

『長くなりますか。ええ、きっと複雑な理由があるんですよね? ――――知りたいなあ。イリヤさんの下で、士郎さんがどんな風に動いているのか』

 クスクスという笑い声が、アーチャーの脳髄を優しく撫でる。どうやら、全て聞かれていたらしい。

「いや、待て、桜。君は何か、とんでもない誤解を」

『――――先輩』

 みしりと、何か硬いものがひび割れる音がした。衛宮家の電話機は、今日を持って天寿を全うするかもしれない。あるいはそれは、家主も同じか。

『はやく、帰ってきてくださいね。先輩が遅いと、私、どんどんワルイコトを考えちゃいそう』

 クスクスクスクスクス。
 
 がちゃん。














 電子音が、むなしくアーチャーの鼓膜に響いた。既に通話の切られた電話のボタンを、震える親指で押す。

「……本当にどうしたの、アーチャー? そんな、おばけでも見たような顔をして」

「……いや」

 不吉なものを見るように、アーチャーは携帯の画面を凝視した。やがて、思い出したように肩を竦める。

「――――まあよかろう。どのみちくたばるのはヤツだ。我々が気にする事ではない」
 
 あっさりと士郎の命を切り捨てて、アーチャーは大きく一息ついた。何時の間に間桐桜と“あのような”関係になったのかは知らないが、いずれにせよ的を絞って決断したというなら賞賛すべきだろう。
 そう、彼がそのパートナーを間桐桜に定めたというのなら。

「その決断の責任を取れ、衛宮士郎」

「あー、悪い顔ー」

 暗い喜びに頬を歪めるアーチャーを、イリヤスフィールがジト目で批難する。このような状況でも士郎の窮地を喜ぶ辺り、よくよくこの英雄も歪んでいた。

「いずれにせよ、あれでは助けも期待できん。衛宮士郎もどこかに出かけているようだしな。いっそ、君の城に電話をかけるかね? 」

「んー、アーチャーがいいならそれでも良いけど……あ、そうだ」

 不意に、イリヤスフィールがアーチャーの持つ携帯電話に顔を寄せた。画面に表示されている数字を見て、小さく頷く。

「もしかしたらシロウ、ライガの家にいるかもしれない。昨日、ライガにバイクの修理を頼まれたって言ってたし」

「バイクの修理? 間桐桜の言っていた仕事とはそれか? 」

 それはただの雑用だろうと呟いて、ふとアーチャーは引っかかるものを感じた。先刻の間桐桜との会話、どうにもおかしなことだらけではあったが。
 ――――彼女の言っていた、仕事とは何だ?
 まもなく卒業を控えた衛宮士郎は、倫教に旅立つ準備に追われている。バイトをしている暇などないはずだ。
 まして先刻の間桐桜の口ぶりでは、まるで――――

「アーチャー、聞いてる?」

「……ああ。それで番号はわかるのかね、イリヤスフィール」

 ボタンに指をかけ、じっとアーチャーは携帯電話を見上げた。疑問は、確認すれば晴れるだろう。

「えっと、ライガの家は0△※の――――」

 呟かれるままに、アーチャーは番号を押していく。最後に通話ボタンをプッシュして、耳に当てた。
 アーチャーの体の上に寝そべっていたイリヤスフィールが、もぞもぞと動いて携帯電話に顔を寄せる。どうやら共に、会話を聞かせてもらおうという心算らしい。液晶画面の放つ光が、ぼんやりと二人の顔を浮かび上がらせた。
 そして。



『――――もしもし?』

「――――チィ」

 その声に、無意識のうちにアーチャーは舌打ちする。電話に出たのは他でもない、衛宮士郎当人である。他人の家にかかってきた電話に出るほど無神経な男ではないはずだが、そこは藤村家と彼の繋がり、といったところか。そのことにも、何ともいえない苛立ちを感じるアーチャーだった。
要するに、衛宮士郎の全てが気に食わないのだ。この男は。

「アーチャー」

 眉を顰めて批難してくるイリヤスリールに、解かっているとばかりにアーチャーは頷いた。そう、解かってはいるのだ。これより彼は、喉元までせりあがる千の苛立ちと万の皮肉を飲み込み、衛宮士郎に助けを求めねばならない。
 
「……私だ」

『!アーチャー?!』
 
 短く告げた一言に、驚愕が返ってくる。無理からぬことだった。およそアーチャーが電話をかけてくるなど、予想できなかったに違いない。
 電話越しのその声に、アーチャーは胸中で罵りをあげる。やはり、衛宮士郎に助けを求める事など不可能だ。イリヤスフィールの身の安全を考えての決断だったが、今さらながらに憤死しそうな後悔を覚えていた。
 懊悩するアーチャーの耳に。
 
 
 
『――――良かった!無事だったんだな?!本当に心配したんだぞ、アーチャー』



 
 ――――心底安堵したというように、電話の向こうの誰かが、そう歓声をあげていた。




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胡桃6
2009-02-14 Sat 11:17
『お仕事のほうはいいんですか? ……もしかして、私の声を急に聞きたくなったんだ、とか言ってくれるなら、凄く嬉しいんですけど』

 砂糖と練乳を煮詰めても、これほど甘くはなるまい。そう思わせるようなスゥイートボイスで、本当に嬉しそうに彼女は惚気はじめた。それがアーチャーの耳に半分も届いていなかったのは、頭が酷く混乱していたためである。

「……先輩、だと? 」

 確かめるようにアーチャーは呟いた。何かを聞き間違えたのではないかと、己の耳を疑ったのだ。まさか彼女が、自分と衛宮士郎の声を間違える事などあるはずがない、と。
 彼の困惑も当然だった。彼と衛宮士郎の声は、似ても似つかない。無論のことやがて同じ声になる可能性は大だったが――――少なくとも、今の時点で衛宮士郎が第二の変声を迎えることはないだろうことを、アーチャーは記録として知っている。
 いずれにせよ、勘違いは正さねばならなかった。意識し、やや強い口調でアーチャーは言い募る。
 
「何を言っている? 先輩、ではない。私は――――」

『――――え? あ、ごめんなさい。先輩じゃなかったですね』

 ようやく気付いた、といった雰囲気で桜は言った。同時に電話の向こうでごそりという音がする。
 勘違いに気付き、電話を持ち替え居住まいでも正したのか。 
 そんな彼女の姿をふと想像し、ほほえましく思ったアーチャーの郷愁は――――

 


『し・ろ・う・さん。もう、こう呼ばないとすぐに拗ねるんですから』




 ――――ぶっ飛んだ一言で、粉々に砕け散ってしまった。





「…………」

『士郎さん、しろうさん、シロウさん。はい、三回言いました。これでもう許してくれますよね、し・ろ・う・さん』

 チュ、という甲高い音は、受話器にキスでもしたのか。電話の向こう側の彼女は、弾むような声でアーチャーの理解を超えた言語をまくし立てる。

『ふふ、それにしてもさっきの“私”ってなんです? 何だか一瞬、別の人みたいでしたよ? 士郎さん』

「――――!そうだ。私は衛宮士郎ではない」

『あ、また。本当にどうしたんです? 士郎さんじゃないって、それじゃ誰だって言うんですか』

 私が士郎さんの声を間違えるはずがないでしょう、と。
 喜びすら含んだ確信の一言に不満を挙げたのは、しかしアーチャーではなかった。

「ちょっと、どうしたの? 相手は誰? サクラ?」

 イリヤスフィールだった。どうやら二人の話がよく見えず、焦れてしまったらしい。ずい、とアーチャーの耳元に顔を寄せ、訝しそうに問いかける。

「…………いや」

 イリヤスフィールの問いに答えるべき言葉を見つけられぬまま、アーチャーは表情を歪ませた。イリヤスフィールの問いは、そのまま彼の胸の内に湧いた疑問でもある。
 どうにもこの間桐桜はおかしかった。そう、まるで同じ声と名前を持った、別人と話しているような違和感はなんなのか。

「すまない、間桐桜。少し確認させて貰いたいのだが――――っ!」

 雑音。一瞬硝子を擦り合わせたような不快な音が響き、アーチャーは咄嗟に電話を遠ざけた。続いて受話器から聞こえてきたのは、途切れ途切れの声である。

『も……し士郎……。それ……何……』

「聞こえるか。私は」

『は……。……か……ゆ……うま……』

「すまないがよく聞こえん。ええい、これだからm○vaは――――」

 バッタ物の携帯を睨み、忌々しげにアーチャーは言った。アンテナの本数は零。電波を求め狭い箱の中で携帯をあちらこちらに掲げる。

「きゃ!ちょっとヤダ!あんまり下でもぞもぞ動かないで」

 身を起こそうとしたアーチャーを、イリヤスフィールが慌てて押し留める。真白い頬が、ほんのりと赤く染まっていた。羞恥と怒りの込められた声が、狭い箱の中に響く。

「む、すまん。イリヤスフィール」

 謝罪を口にし、アーチャーは再び携帯を耳に当てた。どうやら助けは期待できそうにないと、半ば諦めながら「もしもし」と、問いかけると。


『……イリヤスフィール? 』


 恐ろしいまでの明瞭さで、桜は――――そういった。

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胡桃5
2009-02-06 Fri 16:35
 およそ五分。閉じ込められた箱の中から必死で蓋を持ち上げようとしていたイリヤスフィールは、どうやら無駄を悟ったらしかった。文字通り、己の尻に敷かれたアーチャーを彼女は睨みつける。

「もう!アーチャーのばか!どじ!幸運E!シロウ!」

「…………最後の二つは酷すぎやしないかね? イリヤスフィール」

 ぽかぽかとこちらの胸板を殴りつけるイリヤスフィールを宥めながら、アーチャーは耐えるように目頭を揉んだ。
 罵倒は、それが真実であるほど言われた者を傷つけるものだ。

「で、どうなのアーチャー。私だけ働かせて何もしてなかったら、許さないんだから」

「ああ。ざっと構造を解析したみたのだがね。どうやらこの箱、内側からは開かんようになっているらしい。……当然だろうな、なにしろあんなものが中にいるのだ。内から開かぬよう、閉じ込めておくのが道理だ」

「…………そうね。あんなのがね」

 ジトリとした二人の視線が、点を結ぶ。そこに横たわっているのは、先刻のステッキだった。とはいえ先程の暴風は何処へやら、今はひっそりと静まり返っている。
 改めて眺めて見れば、それはやはりこどもの玩具にしか見えなかった。無論、アーチャーとイリヤスフィールに油断はない。ステッキの沈黙は先刻の騒ぎで魔力を使い果たしたようにも見えるが――――狩人が息を殺しているようにも思えてならない。
 アーチャーは、努めてステッキを無視する事にした。とりあえずは現状を把握し、そしてこの状況から抜け出す方法を模索せねばならない。
 探るように、暗闇の先へと手を伸ばす。

「端はあるが、押せば余裕はできそうだな。容積を広げるのではなく、こちらのサイズを変えているのか。……下手に動かんほうがよさそうだ」

 霊体化による脱出、という案を完全にアーチャーは削除した。そもこの箱からすり抜けられるかも分からなかったが、自身ほどの質量を持った物体が唐突に消失した場合、この捻じ曲がった空間の中に残されるイリヤスフィールに、どんな影響が出るかも分からない。

「イリヤスフィール、今日君がここにいることを使用人たちは? 」

「言ってないわ。黙っていなきゃ、リズとセラは絶対付いて来るって言うに決まっているもの。それにどのみち、ここじゃ百年経ったって気付いてもらえないかもしれない」

「さて、流石にそこまで捻じ曲がっているとは思わないが――――」

 しかし確かに、イリヤスフィールの言う事にも一理あるとアーチャーは認めた。なにしろこれほどの無茶を成し遂げる空間の中である。外とは時間の流れすら異なっているということも、十分に考えられることであった。
 仮にここでの一時間が外での一日に相当するなら、あるいは助けを期待できる。主が丸一日帰宅しなかったとなれば、アインツベルンの使用人たちは文字通り死に物狂いでイリヤスフィールを探すだろう。
 だが、逆を言えばこの空間での一日が通常空間での一時間という可能性もありえるのだ。無論、生活物資の何一つないこの狭い空間で、アーチャーはともかくイリヤスフィールは三日と持つまい。
 内側からは開けられない。助けは期待できない。
 地味に見えるが、非常な難局であるといえた。

「――――しかし随分と落ち着いているな、君は。この状況、決して楽観できるものではないと思うが」

 改めて、己の腹の上に座る少女をアーチャーは見上げる。強がりではなく、彼女が真実この状況に危機感を抱いていない事は、表情と呼吸を読めば容易く知れた。
 悲壮感の欠片もない表情のまま、イリヤスフィールは人差し指を顎に当てる。

「んー? だって別に、心配する必要なんてないじゃない」

 「ほう?」とアーチャーは呟いた。そんな彼を見下ろし、イリヤスフィールは満面の笑みを浮かべる。



「だって今日の私はゲストだもの。――――だから絶対に、貴方は私を守ってくれるでしょう? アーチャー」



「――――ハ」



 参った、とばかりにアーチャーは手で顔を覆い隠した。腹にかかる重みが、一段増したような錯覚を覚える。
 それは絶対の信頼であった。無垢な子供が親に寄せるような、純粋なこころであった。同時にそれは、さながら貴婦人が男を弄ぶような、悪戯な響きを伴ってアーチャーに圧し掛かった。
 その二つを同居させる少女なのだ。イリヤスフィールという名のレディは。

「あまり期待されても困るがね。確かに、このままというわけにもいかんか」

 とはいえ、選択肢は二つに絞られている。つまりは無理矢理に出るか、助けを呼ぶか。
 蓋のほうへと手を伸ばしながら、イリヤスフィールが問う。

「この蓋、貴方の力で壊せないの? アーチャー」

「できない――――とは言わんよ。だが内側にいる君を守りながらとなると、少々骨が折れる。……何より」

 不意に、アーチャーははたと言葉を止めた。そんな彼の態度に、「? 」と小首を傾げじっとアーチャーの瞳を覗きこむ。
 こちらを射抜く血のような赤い瞳から、ほんの一瞬アーチャーは気まずそうに視線を逸らした。ややあってイリヤスフィールは「あ、そうか」と意地の悪い笑みを浮かべる。

「そうね。宝箱を無理矢理壊したりしたら、リンに何を言われるか分からないもの」

「……勘違いしてもらっては困るな、イリヤスフィール。私は別に、そんな事を気にしているわけではない」

 クスクスと笑う彼女に、搾り出すように彼は言った。

「いいかね。確かに力で物事を解決するのは簡単だ。同時に力でしか解決しない問題も数多くある。しかしそれ以外の選択肢があるというのなら、それを選ぶ事は決して弱さではなく――――」

「はいはい。そういうことにしておいてあげるわ。でもやっぱり、貴方もリンには見栄を張りたいのね」

「だから」

 なおも言い募ろうとしたアーチャーは、しかし脱力して口を噤んだ。恐らくどんな言葉を弄したところで、イリヤスフィールを喜ばせおちょくられるだけだということを悟ったのだ。
 いや、悟ったのではなく、あるいは思い出してしまったのかもしれない。遠い昔の話だ。擦り切れ、磨耗し、最早顔も思い出せなくなった少女の残像――――
 
「アーチャー?」

「……ああ、大丈夫だ。イリヤ――――スフィール」
 
 きょとんとした彼女に、彼は返事をした。何かを追い払うように一度頭を振る。

「無論、いざとなれば破壊する。だがその前に、まあ助けを呼ぶというのが無難だろう」

「いいけど……どうやって?」

 その疑問に、アーチャーは右手を上げることで答えた。同時に、イリヤスフィールが聞き取れぬほど小さく呪文を唱える。
 やがて、彼の掌に投影されたものは。



「――――携帯電話?! 驚いた、もう何でもありね、アーチャー」



「いや、大して長持ちはせんし、魔力消費も大きい。使い捨ての電波発信装置といったところだが、今回はこれで十分だろう」



 手にした赤色の携帯電話を弄び、アーチャーは言った。いつか投影した電動リールと同じ、バッタ物である。

「けど、ちゃんと使えるの? それ」

「かけることはできる。ただ、受ける事はできん。なにしろ番号がないのでね」

 液晶部分をスライドさせ、キーに指をかける。そこで、アーチャーの動きが止まった。

「さて、問題は何処にかけるか、だが」

「別に、シロウの所でいいじゃない」

「……ヤツか」

 蟲か鼠の死骸でも見つけたように、心底嫌そうな顔をしてアーチャーは呻いた。箱に閉じ込められて助けを呼ぶなどということが、そもそも耐えがたい恥辱なのだ。ましてや助けられる相手が衛宮士郎となれば、このままここで死んだほうがましだというのがアーチャーの偽らざる本音である。
 だが、イリヤスフィールの存在がその本音を止まらせる。なにより凛が家に入る事を許可しそうな魔術側の人間となると、そのほぼ全てが衛宮邸の住人なのだ。

「――――く」

 呻きながら、指がいまだ憶えていた番号を押していく。同時にアーチャーは家主が電話に出ない事を強く祈った。会話の相手、最善はセイバーか。彼女に助けを請うのも色々と複雑なものがあるアーチャーだったが、それでも衛宮士郎よりはマシだった。

『――――――――』

 やや擦れ気味の、頼りない呼び出し音がアーチャーの耳に届く。五回ほどコールしたところで、それが途切れた。代わりに聞こえてきたのは。

『……はい、どちらさまでしょう? 』

 落ち着いた、女性の声だった。相手が士郎でなかったことに、アーチャーは知らず安堵の溜息をつく。声の主は、無論顔見知りの相手だ。セイバーではなかったが、“彼女”でも一向に構わない。

『あの……もしもし? 』

 間桐桜の声である。彼女であればこの家の錠の開け方を知っているし、助けを請えばすぐにでも来てくれるだろう。

「ああ。突然にすまない」

 名乗ろうとして、一瞬その後どう今の状況を説明したものかと、アーチャーは迷った。本当に一瞬の事だ。その一瞬に、桜の声が滑り込んでくる。

『ああ、なんだ』

 声で、それが見知らぬ他人ではないと分かったのか。彼女の声は安堵の響きを伴っていた。
 いや、むしろ喜びすら込められていることに、アーチャーは僅かな違和感を覚えすらした。
 彼と間桐桜は、決して親密な間柄ではない。姉のサーヴァント、あるいはマスターの妹。言ってみれば、その程度のものだ。彼としては、あえてその程度の関係しか築かぬようにしてきたのだが。

(まあ、彼女の事だ)

 ほとんど住人同然とはいえ、未だに衛宮家の電話を取ることに気後れがあるのかもしれない。知り合いであれば、それが顔見知り程度の相手でも安心したのだろう。そう己を納得させ、アーチャーが紡いだ言葉は。



『もう、どうしたんですか? 先輩。こんな時間にかけてくるなんて、珍しいですね』



 


「――――ぬ? 」



 酷く、間の抜けたものと成ってしまった。
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胡桃4
2009-02-01 Sun 14:04
 来訪したイリヤスフィールは、もてなす対象としては最上の相手と言えた。最高でも最良でもなく、最上の相手である。礼節にのっとったもてなしも、値の張る葉を使って入れた紅茶も、細心をはらって焼き上げた茶請けも、彼女は当然のように受け入れる。

「――――ん」

 芳醇な香りを放つ琥珀を一口啜り、イリヤスフィールは満足そうに頷いた。本日の葉とアーチャーの技術は、どうやらこの生粋のノーブルを満足させるに足るものだったらしい。
 特別な賛辞をよこさずとも、ホストを喜ばせる客というものは存在する。彼女は正にそれだった。物の良し悪しが分からぬ相手に“上等”を振舞う事ほど、馬鹿らしいことは無い。

「もう一杯いかがかな、イリヤスフィール」

「ありがとう」

 二杯目の紅茶をカップに注ぎながら、アーチャーは当たり障りの無い話題をイリヤスフィールに提供していく。決して弾んだものではないが、彼女もそれなりには話しに乗っていた。沈黙を厭うたわけではなく、それは儀式のようなものだった。アーチャーは客を飽きさせぬホストを演じ、イリヤスフィールもまたホストを気まずくさせぬ客を演じた。

 再びカップを空けたイリヤスフィールを前に、そろそろか、とアーチャーは断じた。本日の来訪の目的を、イリヤスフィールは決して急かすようなことはしない。
 それなりの体裁は既に取り繕った。そろそろ彼女に、目的を果たしてもらうとしよう。

「――――それでは、そろそろ本日のメインに移らせてもらってよいかね。すまないが凛の指示でね。彼女の私室まで足を運んでもらいたいのだが」

「かまわないわ。リンの部屋にも興味はあるし」

 にっこりと頷いて、彼等は同時に立ち上がった。リビングを出、目的の部屋へと歩む。

「~~~~♪」

 足取りも軽やかに、ダンスのステップを踏むように彼女の身体は揺れていた。その姿に、アーチャの口元に皮肉のそれでは無い微笑が浮かぶ。

「随分とご機嫌だな、イリヤスフィール。君なら宝石箱なぞ、見慣れているだろうに」

「あら、だってトウサカの宝石箱だもの。楽しみにするなってほうが無理よ。それに、綺麗なモノを見飽きるなんてことは無いわ」

 邪気のないその笑顔に、成る程とアーチャーは胸中で頷いた。美しいものは胸を打つ。それは確かに、間違いのないことであろう。
 その杭の名が、感動であるか哀切であるかの違いはあるだろうが。

「……ここだ、イリヤスフィール」

 歩みを止めたアーチャーは扉を開け、イリヤスフィールを中に招き入れる。入室した彼女は「へぇ……」と洩らし、興味深そうに辺りを見渡す。

「――――ぬ」

 扉を閉め、ふと視線を動かしたアーチャーは窓際のカーテンが僅かに揺れている事に気がついた。どうやら僅かに窓が開いているらしい。

「無用心な、凛らしくもない」

 呟いて、アーチャーはふと早朝のことを思い出す。旅立つ直前まで、慌てて準備に追われていた彼女のことだ。この程度の“うっかり”は、まあありえないことではないのかもしれない

「だから手伝うといったのだ。まったく」

 ぼやきつつ歩み寄ったアーチャーは窓を閉め、施錠された事を確認する。がたがたと窓枠が軋む音と共に、背後からなにやらごそごそと――――

「……イリヤスフィール」

 振り返ったアーチャーは、呆れたようにうめき声を上げた。室内を興味深そうに見渡していた彼女は、何時の間にやら部屋の隅に置かれた宝箱の蓋を持ち上げて開けていた。

 先程の淑女然とした態度はどこへやら。イリヤスフィールは「どこかなー」などと呟きながら宝箱を覗き込む。傍から見れば、ウサギが巣穴に隠れようとしているようにも見える。

「はしたないぞ、イリヤスフィール。宝石箱はそこにはない。凛がこのテーブルに――――」

「――――痛ッ」

 アーチャーの苦言を、小さなうめきが遮った。「どうしたイリヤスフィール!」眉を跳ね上げ慌てて叫ぶアーチャーの前で、人差し指を咥えながら彼女は身を起こした。

「切っちゃったみたい。硝子――――ううん、レンズの破片? どうしてこんなものが……」

 咥えた指とは逆の手、その人差し指と親指でイリヤスフィールが何かを摘まんでいた。その様子に、慌てて駆け寄ろうとアーチャーが踏み出した瞬間。

「――――――――!!」

 一瞬で。
 膨大な量の魔力の渦に、部屋が飲み込まれた。

「な、何なのこの魔力量――――」

 慌ててイリヤスフィールは背後を振り返る。変化は静かで、明らかだった。膨大な魔力の流出と共に、先刻まで彼女が頭を突っ込んでいた宝箱の内部が、不気味な光を放っている。
 毒々しい色が、唸るように点滅を繰り返していた。一目でヤバイと感じられるその光景に、怯えたようにイリヤスフィールは一歩後退る。
 その彼女の前で、箱の中の何かが。



『――――うふふふふ』



『――――白い魔女っ子、ゲットですよー』 



「ッッ!!離れろイリヤスフィール!!」

 唐突に頭に直接響いた声に、アーチャーは叫びを上げた。やけに可愛らしいその声は、しかし背筋を泡立たせるような不吉な響きを伴っていた。
 ろくでもない。
 なんだか知らないが、アレはろくでもないモノだと断じたアーチャーは、即座にイリスフィールの下へと弾丸の如き速度で駆け出す。

「――――!」

 ぴょん、と箱の中から飛び出したモノを視認した瞬間、アーチャーは息を呑んだ。視覚による解析ができない。それは磨りガラス越しに見たモザイクのよう。理解不能という点では、彼の宝石剣に伍する。
 外見は杖――――ステッキか。やけにファンシーな姿形だった。しかし放出されている魔力量たるや、子供のおもちゃと言うには度が過ぎている。
 駆け寄ると同時、アーチャーは脳内で対象の類似を検索――――該当なし。即座にイリヤスフィールを連れての、逃走方法を構築する。
 なんというか、勝てる気がしなかった。あの杖には、決して。
 そのステッキが、その本体をくねらせ、光る。


『――――させません!(私が)幸せになる素敵魔法、来たれマジカルトラーップ!』

「ええい、幸せと罠を結びつけるなぞ――――」

 やはりろくでもない、と最後の一歩を蹴りつけたアーチャーの足が、グニャリと床に沈む。

「な――――」

 いや、床は沈んでなどいない。ただ左足の感覚消失という突然の事態に、脳がそう誤認しただけだった。

『――――もう一つ!えいっ!』

 その「えいっ」がまた、可愛らしい。だからこそたちが悪く、引き起こされた結果はやはりろくでもない。前につんのめったアーチャーの右足が、左足に続いて感覚を失った。
 結果として。

「――――にぃぃぃぃぃぃ!」

「きゃ!」

 驚愕と共に、アーチャーの体が前方へと倒れこんでいく。その先にあるものは、イリヤスフィールの背中だった。無論、小柄な彼女がアーチャーを支えきれるはずもない。アーチャーを背に乗せるように、彼女もまたそのまま前方へと倒れ込む。

「チィ――――」

 前方に置かれた宝箱の、その縁。迫り来るそれを視界に捉えたアーチャーは、舌打ちと共にイリヤスリールを抱えあげた。同時に彼女ごと身体を反転。彼女と床の間に入り、重力に従って背中を強かに打ちつける。その判断と実行に移す身体能力は、流石と言うべきだった。



 ――――だから、とっさに理解できなかった彼を誰が責められよう。
 


 ――――イリヤスフィールと共に、己の体がすっぽりと箱に納まっていたゐたなどと。



 ぎぃ、と箱が一度大きく軋んだ。二人合わせて優に百キロ。それだけの重量を内側に叩きつけられた箱は、当然のようにその身を震わせて。

「――――あ」

 ぱたん、と。

 魔法使いの作り上げた箱は酷く物悲しい音を立てて、一人の魔術師とサーヴァントを飲み込んだのだった。




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