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ネタ
2007-02-05 Mon 04:30
 オリサバアーチャーSS。「出会い」は外伝などと銘打ってるものの、その元は本編十九話の没部分だったりします。
 没にした前半部分は拍手お礼SSとして掲載してみたのですが、つらつらと書き続けてみたら、本編十九話の二・五倍近い分量になってしまいました。はっきりいってお礼SSとして分割するのが面倒になったので、こっちにまとめて乗せることにしました。本末転倒です。
 読んでやろうという方は、どうか武士は「もののふ」、戦場は「いくさば」、と読んでください。では。
 ……まともな長さのお礼SSを書けるのは、さて何時の日か。
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「出会い」
2007-02-05 Mon 04:04
 
 
 
 


 それは、夏のうだるような暑さがようやく遠のいたある日のことだった。
 土の香りを含んだ秋風の吹く山の麓に、その少年はいた。目を閉じたまま直立しているその姿は、ともすれば周囲の風景に溶け込んでしまいそうである。
 那須余一。
 彼はその当時、十五に届くかどうかという少年だった。背は低く、線は細い。小柄といって差し支えないだろうその体躯は、武門の家柄に生まれた子としては、少し物足りないものを感じさせる。
 生来より病弱であり小柄であった、己の身体。それを理解しているからこそ、余一はその山にいる。幼少の頃より修行場としている自然豊かな山の麓。脆弱な己に許された“唯一”を鍛え上げるために、彼は今日もその山にいた。
 
「…………」

 目を開く。空を見上げる。そうして抜けるように高い秋の青空の中に幾つかの影を認めた余一は、手の中にあるものを強く握り締めた。
 黒い弓である。意外なほど強い力で握られたその弓が、呻くように軋む。
 空を泳ぐように飛ぶ影に視線を固定したまま、余一は人差し指で弓の弦を一度弾いた。心地よい音色を奏でた弦の張りに満足したように小さく頷き、深く息を吸う。

「――――!」

 十分に酸素を取り込み、呼吸を止めると同時に行われた動作は、まさに神速。
 腰につけた筒から矢を取り出し、番え、引き、空へと放つ。その一連の動作を、瞬きすら許さぬ速度で為す。
 狙いはつけない。脳裏に描くのは、一瞬先の未来を見据えた理想の形。思い描いた射の形に己の身体を追走させ、かちりと綺麗にはまった瞬間、狙いをつけずに余一は矢尻から指を離す。
 己が理想に現実が追いついた瞬間に沸き起こる、心地よい充足感。その快感の中で矢を放てば、狙いなどつけずとも己が矢は決して外れないことを、彼は知っていた。

 大空へと飛翔した矢は、吸い込まれるように空飛ぶ影へと突進していった。一瞬の後、唐突に現れた「死」に射抜かれた影が、くるくると回転しながら大地へと落下していく。
 影は鳥だった。心地よく己の縄張りを飛び回っていた空の獣が、唯の一矢でその生を終えた。

 空を飛ぶ鳥は、残り二羽。肺に蓄えた空気はまだ吐かない。余一はそのまま、再び先刻の動作を二度繰り返す。
 自身へと飛来する矢を、一羽の鳥がかわした。しかし次の瞬間には、かわした場所へと既に放たれていた第二の矢に衝突し、二羽目の鳥が落ちていく。
 第一の矢が己を殺すために放たれたのではなく、回避する先を誘導するために放たれたものだったのだということを、死の瞬間に鳥は理解できただろうか。

「――――」

 最後に残った鳥が、怯えたように甲高い声で鳴いた。大空に唯一羽取り残され、逃げるようにその場から離れていく。
 大きく距離を離していく、生きた的。それを見つめ呼吸を止めたまま、余一はゆっくりと矢を番えた。
 そして待つ。彼がこの山に来たのは、弓矢の修練のためである。
 その手段として最初の鳥は、ただ撃つと決めていた。二番目の鳥は、わざと矢をかわさせた上で撃つと決めていた。
 そして最後の鳥は、己が弓に許された射程距離の限界で撃ち落すと決めていた。
 
 そうして彼方へと逃げていく鳥を撃ち落とさんと弓を引いた余一は。

「チィ――――」

 忌々しそうに舌打ちし、最後の矢を放つことなく弓を下ろした。




 放たれることのなかった矢を筒へと戻し、ようやく余一は思い出したように息を吐いた。既に射程外へと逃げた鳥を見送り、不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「まだ足らぬ、か」

 未だ、未熟。戦に出たいという申し出を、その一言で断じた父の言葉を思い出し、彼は眉間の皺を深くした。
 目を閉じて、緊張をほぐすために一度頭を振る。そうして打ち落とした鳥と矢を回収すべく、一歩踏み出したその時。

 ぱらぱらと、やけに乾いた音が余一の鼓膜を打った。

「――――!」

 ぎょっと目を見開き、慌てて余一は振り返った。音の発生源、己が背後の林へと視線を向ける。
 見たことの無い男達が、そこにいた。人数は五人。いずれもが武装した、武士の集団である。
 本来人気の無いはずのこの修行場に、唐突に現れた人影。予期せぬ来訪者はその存在自体が驚くべきことではあったが。

「馬鹿な――――」

 何よりも余一を驚かせたのは、彼らの存在にそれまで全く気が付けなかったことだった。五人もの人間の接近に、まるで気が付かなかった。
 弓の修練に集中していた――――馬鹿馬鹿しい。そんなことは言い訳にもならない。空飛ぶ鳥の気配を探っていた弓兵が、地を歩くヒトの気配に気が付かないなど、あってはならない。
 混乱する余一の耳朶を、先刻の乾いた音が変わらず叩いていた。ややあって集団の先頭にいる男が、ようやく何かに気が付いたように手を叩くのをやめる。

 ――――すまない。邪魔をしては悪いと思ってこっそりと見ていたのだけれど、驚かせてしまったようだね。

 小柄で、若い男だった。無論未だ十五余りの余一に比べれば年長であろうが、それでも二十歳をいくらもすぎてはいまい。
 探るような視線で己を見つめる余一に対し、それでも男はうっすらと微笑を浮かべると、ゆっくりと天を仰ぐ。

 ――――すごかった。私は弓が下手でね。良ければ教えを請いたいくらいだ。

 先刻彼が手を叩いていたのは、自分の弓の技量に対する拍手だったのだと、余一はようやく気が付いた。

「…………」

 男の賛辞には答えず、余一は改めて他の四人を順に観察する。
 左右に展開するようにして、油断なく周囲を探っている二人の武士。ある意味この集団の中で最もまともに見える二人の青年は、恐らく兄弟なのだろうと当たりがついた。顔立ちは勿論、何処となく雰囲気のようなものが似ている。
 次に集団の中で最も年長であろう、無精髭を生やした男。彼は戦装束に身を包んでいるというのに、まるで覇気というものを感じさせない武士だった。今も木の幹に背を預け、退屈そうに欠伸を漏らしている。
 そして最後に、先刻の小柄な男に寄り添うように直立している男は。

「く……」

 知らず、余一は唸り、僅かに後退る。
 最後の男は、一言で言えば巨人だった。身に着けているものから、この巨人だけは武士ではなく僧兵なのだと余一は悟る。
 人の胴ほどもあるだろう野太い首。たやすくこちらの頭を握りつぶしそうな巨大な手。鎧の上からでもそれとわかる、強靭な肉体。
 異形の存在である。だが何よりも恐ろしいのは、これほどの巨体でありながら姿を現すまで瞬間まで、その存在をまるで悟らせなかった巨人の静けさこそが、余りにも異様だった。
 
 
   
 ――――けれど、一つ分からないことがある。

 耳に飛び込んできたその声に、余一ははたと我に返る。見れば男は、顎に手を当て空を見上げていた。

 ――――空を飛んでいた鳥は、三羽。どうして君は、矢を放たずに最後の鳥を逃がしたんだい?

 そもそもその問いに答える義務など無く、また答えたところで理解されるとも思わなかったが。

「……あの時矢を放ったとしても、外してしまうことは分かっていましたので」

 己が矢が当たるか外れるか。それは矢を放つ前から分かっていることだ、と。
 気付いた時には、余一はそう答えを口にしていた。強いて言うのなら、獲物を射抜く想像(みらい)を構築することができなかった――――そう付け加えた余一の答えに、男は感心したように頷いた。

 ――――その歳で、そんな事まで分かるのか。君はやっぱり、優れた弓兵だ。

「歳は関係ありません。何より私の技量など、十郎兄に比べれば――――」

 そこまで話して、ばつが悪そうに余一は咳払いをした。

「……ところで、貴方がたはいったい?ここはこの辺りの人間でも、めったに寄り付かない場所なのですが」

 ――――ああ。見ての通り私たちは、戦に向かう途中でね。この近くの神社に、戦勝を祈願しようと立ち寄ったんだ。

 余一の脳裏を、湯銭大明神の名が過ぎる。男の言う事は、確かにそれらしい理由に聞こえるが。

「……ここから湯銭大明神の神社までは、少し距離がありますが?」

 ――――祈願ついでに、といっては何だけど、少しこの辺りを散策させてもらおうと思ってね。

「こんな人気の無い山を、散策ですか」

 自然、剣呑なものになってしまった言葉に、余一は内心で舌打ちした。目の前の男に対しての無礼を心配したのではない。僅かな感情のわだかまりを言葉に含ませただけで、今まで周囲をさまよっていた他の武士達の視線が、一斉に余一に集中した。
 初秋の清涼な空気が、痛いほどに張り詰めていく。
 余一に視線を向けなかった男はただ一人、木に背を預けた無精髭の男だけである。男は変わらず、退屈そうに、耳の穴を小指で掻いていた。

「…………」

 湧き上がる緊張を押し殺し、余一は真正面からその視線を受け止めた。固く結ばれた口元は、この地を治める武門の子としての矜持と義務感を体現しているかのようだった。
 無遠慮に突き刺さる、武士と僧兵の視線。その中で凛とした余一の顔を、小柄な男だけが宝石を見るような眼で見つめていた。
 
 ――――どうやら那須湯銭大明神は、随分と気前がいいらしい。まさか、こんな御利益があるとは思わなかった。

 やけに嬉しそうな声で、男は言った。その言葉に、余一は訝しげに眉を寄せる。
 その余一の目の前で、男は。

「君に会えた」

 そんなことを言った。



 
「…………」

 唖然と、余一は目を丸くした。聞いている方が赤面してしまうような台詞を臆面も無く言いのけた男は、そんな余一を前に、穏やかな微笑を浮かべ続けている。
 その男の背後では、武士の兄弟が互いに顔を合わせて苦笑を浮かべていた。木に寄りかかっている無精髭の男に至っては、忍ばせる事すらせずに肩を揺らし笑っている。
 
「……三郎」

 ただ一人無表情を貫いていた僧兵が、その笑いを咎めるように不精髭の男をじろりと睨みつけた。三郎と呼ばれた男は、ひらひらと僧兵に向けて手を振りながら、尚も肩を揺らしつづけている。
 そんな男の態度に、諦めたように僧兵が嘆息すると同時、

「――――殿。どうやら本来の待ち人が来られたようです」

 苦笑を浮かべていた兄弟の片割れが不意にその表情を引き締め、小柄な主にそう告げた。
 その言葉に慌てたのは余一である。眼前の男達にばかり気を取られ、完全に周囲に気を配る事を忘却していた。
 振り返ってみれば、確かにこちらに近づいてくる人影があった。だが、その距離は遠い。余程目が良い人間でなければ、その正体を判別する事は不可能だろう。
 そして余一は、まさしくその目を持つ人間の一人だった。若年ながらも弓兵として鍛えた鷹のごとき目は、こちらへと近づく人影の顔をしかと捕らえ、

「――――父上?」
 
 その人影が、己の父親であると判じた。





 □□□





 那須太郎資隆は、非情な人間である。残酷というわけではなく、彼はただ、万物に対してひたすらに薄情な人間だった。
 父であり、那須氏初代当主でもある彼が、およそ感情らしきものを表したところなど、ついぞ見たことが無いと彼の息子たちは口を揃えて言う。なるほど確かに、彼はまるで地に半ば埋もれた巨岩のごとく、何事にも動じぬ男ではあっただろう。
 喜びを表さぬ男だった。哀しみを見せぬ武士であった。楽を知らぬ父であり、怒りすらも、そうと装っているだけの人間だった。色の変わらぬ眼差し。微動だにせぬ眉。硬く結ばれた口元。ただそれだけが、余一を含めた十人の息子たちが知る、父の顔だった。

『――――いや。親父殿もあれで一応、人らしい心を持ち合わせているようだがな』

 そんな父にも感情らしきものがあるらしいということを余一が知ったのは、最も歳の近い兄の一言だった。那須十郎為隆。彼だけが、一度だけ父に射を褒められた折に、その笑顔を見たというのである。

『喜び笑うくらいなのだから、そのうち泣くこともあろうさ』

 からからと笑う為隆の言葉に、兄弟は皆一様に目を丸くした。
 しかし同時に、「十郎であれば」と、皆がどこかで納得していたことも事実だった。

 十郎為隆という男は、紛れもなき弓の天才である。あるいは家族の欲目を差し引いても、この国一番の弓取りではないかと思うほどに。

 剣が武士の魂となるのは、これより遥か未来の話である。当時の武士達にとっては、弓と馬乗りの技量こそが、何よりの誉れだった。なれば十郎為隆の存在こそ、那須家最大の誇りであったことは間違いない。
 那須資隆は、およそ息子を褒めたことなどない父だったが。
 それでも十郎に対してならば、一度くらいはそのようなこともあるかもしれぬと、兄弟はみな溜息をついた。

 ――――私は、兄上がうらやましい。

 ある日、為隆と共に射の訓練をしていた余一は、ぽつりとそう呟いた。そうと意識しての呟きではない。ただ、兄の射を見ていたら、自然と口をついて出た言葉だった。
 ……余一自身は、決して認めはすまいが。
 あるいは余一が兄への憧憬を口にしたのは、この兄だけが唯一父に認められた存在なのだと、そんな思いがあったからかもしれない。

『……そうか。お前は、私がうらやましいか』

 はい、と余一は頷いた。それが偽らざる、彼の本音だった。見る者に寒気すら感じさせる完璧な技術。容易く無の境地へと入り込む精神。為隆の射は、余一が理想とする全てを具現化していた。
 弟の言葉に、為隆は「そうか」と呟いて、薄く微笑み。

『私は、お前が眩しいよ。宗高』
 
 ――――自らが理想とする兄が、どうしてその時、そんなことを言ったのか。
 余一は時折、ふとそのことを思い出す。





 □□□


 


 ふと空を見上げれば、日は随分と西に傾いていた。
 もう間もなくすれば、山は一面、美しい茜色に染まることだろう。春には花、夏には緑、秋には赤、冬には雪――――春夏秋冬、季節によって山は様々な顔を見せるが、宵の帳が落ちようとするその一瞬だけは、山はいつも、どこか物悲しい表情を見せる。
 
「…………」

 無言のまま、余一は日の方向へと歩みを進めていた。胸中で己の歩数を数え、一寸乱れぬ歩幅を以って正確に距離を計測する。
 三歩で一間。歩数は百十七。計三十九間。そこで余一の歩みが止まった。

「……さて」

 振り返り、余一は太陽へ背を向ける。視界は良好。これで日の光すら、彼の射線を遮ることはない。
 神経質と笑えば笑え。自分は十郎兄のような天才ではない。射の邪魔になるだろう要素は、どんなにつまらぬものであっても可能な限り排除する。
 余一の瞳が、二人の男の横顔を捉える。一つは見慣れた父の顔。もう一方は、殿と呼ばれた例の若い男である。

 ――――『下がれ、宗高』。突然この山へと姿を見せた資隆は、驚き戸惑う余一に、ただ一言そう告げた。
 それ以上何かを問うことを許さぬ声であり、表情だった。つまりそれはいつも通りの資隆である。
 常と変わらぬ父の命に、余一は様々な物を飲み込んで、こうして「下がった」のである。

「いったい、何を考えておられるのですか、父上」

 およそ四十間という距離をおいて、ようやく余一は胸に飲み込んでいた物を吐き出した。
 その言葉に含まれた感情は、すでに戸惑いを通り越し、不安に近い。
 余一の鷹の目であれば、無論この距離からでも両者の口の動きを見ることができただろう。しかしそもそも読唇術の心得など持ち合わせていない彼には、両者の会話を読み取ることなどできようはずもない。

「いったい、何を」

 再び、余一はそう口にした。何かを口にせねば不安に押し潰されそうだった。
 半径四十間に、知覚を張り巡らせる。そうして周囲に自分と父、そして男達以外の気配がないことを、余一は改めて確認した。やはり父は、供の一人もつけずにこの場に参じたことは間違いない。
 そう、那須当主である資隆が、あの若い「殿」に会うためにただ一人でこの山に参じたのである。
 
 その男へと、余一の視線が移る。

「何者だ、貴方は」

 少なくとも敵方ではなかろうと余一は信じた。そう、信じたかった。
 そうでなければ、父は余りにも無用心がすぎる。
 決して父を低く見るつもりはないが、那須資隆という武士は、武芸者としては凡百の存在であると余一は知っている。対して相手は、一目で「使える」とわかる武士ばかりである。
 相手がその気になれば、瞬きほどの一瞬で資隆の首は飛ぶだろう。

「御分りでしょう、父上」

 相手の二人。武士の兄弟は、資隆達を中心として、共に背を向け3間余り離れたところで周囲を見回していた。彼らには、力みも油断もない。二人がその気になれば、余一が一矢を放つと同時、どちらかが父の元へと到達する。

「私では、無理です」

 さらに彼の僧兵にいたっては、あらゆる意味で絶望的である。まるで主を守護する仁王像のように「殿」の背後に立つ巨漢は、恐らく素手であっても容易く資隆の首を捻じ切れる。

「私では、父上を守れません」

 あの僧兵が動いたなら、余一には為す術がない。例え一間という近距離であったとしても、あの巨躯を打ち抜く威力を持った矢が己に放てるなどと、余一には思えなかった。

「私は、十郎兄ではない。そんなことは――――誰よりも、父上が御存知のはずでしょう」

 きっとそれが、彼には何よりも腹立たしかった。
 できるはずだ、と余一は奥歯を噛み締めた。ここにいるのが自分ではなく兄であったのなら――――少なくとも、父を逃がすことくらいはできるはずだ、と。
 そう。兄ならば。あれほどの武士を四人、相手にしたとしても――――

「…………四人?」

 はて、と余一は目を丸くした。巨躯の僧兵。武士の兄弟。そして「殿」。何時の間にやら、数が一つ足りない。
 僧兵に三郎と呼ばれていた、無精髭の男。先刻までは確かに、資隆達からやや離れた林の樹の一つに背を預けていた男の姿が、まるで煙のように消えていた。
 その不在を、余一が悟った瞬間。

「――――!」

 余一は一層大きく目を見開き、次いで絞りだすように溜息をついた。
 彼らの存在に一度。父の来訪に一度。驚き慌てた姿を見せるのは、もう十分だ。
 
「……何か?」

 背後へと向け、余一はそう問いかけた。音もなく、気配もない。それはただの直感であり、たとえその勘が外れていても、他のものには聞き取れぬだろう小さな声だった。
 歳若い武士にも、その程度の意地はあるものだ。
 ややあって。

「――――いんや、何もねぇ。ただ、どうにも大将の話が長くなりそうなんでな。退屈している坊主の、話し相手にでもなってやろうか、とな」

 飄々とした声が、余一の背後からした。退屈しているのは貴方の方だろうという言葉を、余一は飲み込む。
 代わりに。

「でしたら、気配を断って背後から忍び寄るのは、如何なものかと」

「ああ、悪い。こりゃ昔の癖でな。他意はねぇからそんなに緊張すんな、坊主」

 クックッと肩を揺らしながら、男は余一の横に並んだ。初めて見たときと同じ、何とも覇気のない男だと、余一はそんな感想を抱いた。
 何を考えたのか、男はその場にどっかりと腰を降ろす。何時の間に手にしていたのか、握り飯を一つ余一へ差し出し。

「まあ、座れ。そして食え。食ったら俺と打ち解けろ、坊主」

 にやりと笑って、一息でわけの分からないことを言った。
 ……後に、与一は思う。
 思えば、散々に迷惑をかけられた三郎殿をどうしても嫌いになれなかったのは、あの一言が原因だったのかもしれない、と。
 ともあれ。

「結構です。腹など空いていませんし、何より貴方と打ち解けるつもりなど、ありません」

「そうか?そんじゃこいつは俺が全部食おう」

 彼は未だ、余一であり。

「食い終わったら話し相手になってやるからな。ちと待ってろ、坊主」

 握り飯に齧り付く三郎は、やはり三郎でしかなかった。
 
 



 □□□





 三つあった握り飯を早々にたいらげ、最後に親指に付いた米粒をぺろりと舐めた三郎は、次いで欠伸をした。
 食欲が満たされれば睡眠欲。まさに獣のような男であった。もっとも、酷く怠けた獣ではあったが。

「…………」

 なんとも腹立たしい、と、余一は胸中で唸った。ふざけた男ではあるが、この三郎、武芸者としては恐らく一級だ。癖というのが嘘か真はわからないが、ああも気配を完全に消せる男である。彼がその気なら、余一はすでに死んでいた。

「ところで坊主、名は?」

 ゆえに余一は、あえてこの男を注視するのを止めた。殺せるのに殺さなかったということは、少なくともこちらが動かない限り「やる」つもりはないのだと判断したためである。
 ならば余一は、一人の男にのみ注意を向けていればよい。
 三郎が大将と呼ぶ、あの男一人に。
 努めてそれを悟られぬようにしながら、余一は口を開く。

「……人に名を尋ねるのなら」

「まずは俺から名乗るのが道理、か?いいだろう、聞いて驚くなよ坊主」

 答えを予想していたのだろう。余一に最後まで言わせず、三郎は後を継いだ。
 その言葉で、余一の注意は引き付けられてしまった。気もそぞろに受け答えをしていたが、思わぬ収穫があるかもしれない。
 姓を聞けば、あるいはこの男が「どちら側」の人間か判別できる。もしかしたら、あの「殿」の正体すらも。
 
「俺の名は」

「…………」
 
 知らず、余一は息を呑んだ。東か西か。敵か味方か。
 西であれば、この三郎も、そして「殿」も、最早注視する必要はない。
 東であれば、恐らく余一の命は、今日で終わる。



「三郎、だ」

「――――――――は?」

 ぽかんと、余一は酷く間抜けな表情をした。それを見た三郎が、堪えきれぬというように、盛大に吹き出す。
 
「悪りぃな、坊主。だが俺の名を聞いたところで、坊主の知りたいことなんぞ何一つわからねえだろうよ。なにせ俺は、ただの元山賊だからな」

 だからそんな、死にそうな顔をしてまで、人に名を聞くんじゃねえ。
 そう付け加えた三郎に、余一は。

「……余一です」

 剣呑な眼差しをむけ、そう答えた。まともに答えぬ三郎に対し怒りはあったが、それ以上に今後も彼に「坊主」と呼ばれ続けるのは、堪ったものではない。
 結構、とでも言うように、三郎が鷹揚に頷く。

「それで坊主」

「余一、です。余一宗高!わざわざ名を尋ねてきたのは、一体なんのためですか!」

「ん?何のためって、んなのは決まってるじゃねぇか」

 苛立たしげに叫ぶ余一を、三郎は心底嬉しそうに見つめ。


「うちの大将を射殺そうとしている、命知らずの坊主の名を、聞いておこうと思ってな」


 ほんの、刹那の一瞬。
 余一には、獣がその牙を剥いたように見えた。

「な……にを……仰っていられるのか」

 引きつる余一の表情に、しかし三郎はいささかも態度を崩さない。

「なんだよ、まさか気付いてねえとでも思ってたのか?」

「…………」

 どこか他人事のように、三郎は言った。余一はその瞬間、息をすることすら忘れていた。
 うかつ、と余一は胸中で唸った。殺気は完全に抑えたつもりだったが、どうやらこの三郎は、それを嗅ぎつけてきたらしい。
 
「だから、他意はねぇからそんなに緊張すんなっつうの。
 坊主の考えは真っ当なもんだ。いざって時に大将を狙えば――――そうだな、あいつらは確かに、何よりも大将の命を優先する」

 そんな余一の目の前で、三郎はひらひらと手を振った。

「けど言っとくがな、坊主。んなことしたら坊主も、坊主の親父さんも間違いなく死ぬぞ?
 弁慶――あそこに突っ立ってる僧兵は、気味悪ぃほど大将に惚れ込んでっからな。大将の命を狙った奴を、あいつは許しちゃくれねぇ」

「……つまりはこういうことですか、三郎殿」

 喉を震わせ、余一は呟いた。

「貴方がたは皆、私が彼に狙いをつけていることを知っていて――――それを放置していると?」

「たりめえだろ。ついでに言や、大将自身もな」

「――――ッ!それと気付いているのなら!どうして彼は!彼らは私を!」

 その先を、余一は飲み込んだ。どうして彼らが自分を放置しているかなど、決っている。
 自分が何をしようと、彼らにはどうということもないのだ。
 取るに足りない。万一ことを起こしても、何の問題の無い。
 児戯に、同じ。それが、余一の射だった。

「ぐ――――」

 俯く余一に、三郎は小さく嘆息すると。

「勘違いすんな。あいつらが手を出さねぇのは、大将がそれを望んでないからだ。別に坊主を、軽く見てるわけじゃねぇよ」

「…………は?」

「どうやらうちの大将は、坊主のことが気に入ったらしい。
 最初は形だけの仁義を通す予定だったってのに――――ったく、こんなとこで俺達が足止め喰ってるのは、全部坊主のせいだろうが」

 ぱぁん、と三郎は余一の背を叩いた。ぐ、と息を詰まらせる余一に、三郎は笑いかける。

「まあいいさ。大将の気紛れは、今に始まったことじゃねぇしな。んなことより坊主にゃ、聞きたいことがあるんだよ」

「ですから……私の……名は……」

 余一宗高。咳き込み、自然と目尻に浮かんだ涙を拭いながら、半ば諦めつつそう声を絞った。
 おそらく三郎は、何を言ったところで余一の名を呼ぶつもりなどないだろうが。

「いいんだよ、坊主で。――――それで坊主。正直なところ、当たりはついたか?」

 そう思ったら断言された。しかも問いは意味不明だった。
 何とか一呼吸をつき、余一は聞き返す。
 
「一体何の話ですか、当たりとは」

「決まってんだろ。坊主の言葉を借りるなら、獲物を射抜く想像(みらい)とやらを構築することができたのかってことだ。
 俺の言葉で言やぁ――――どうだ?うちの大将の首は獲れそうかい?」

 三郎の問いは、およそ主の命を狙った当人に聞くようなものではない。
 何より、それは。

「そんなことは、貴方はすでにご存知のはずだ」

「さて、坊主の口からはっきり聞かねぇと、小心な俺は安心できないもんでね」

「……いいでしょう。私では、どうしたところで彼を射抜くことはできません。如何な奇跡が起ころうとも、きっと私の矢は、彼に届きすらしない」

 事実であった。どれだけ待ってみても無駄だろう。余一には、彼を射抜ける未来が「無い」のだ。

「それどころか、私には貴方がたの誰一人として、射抜くことはできそうにない。想像外、とはこのことです。
 こうして目の前で話しているあなたにすら、私の矢は中らないでしょう」

 それが、余一にはわかる。それは彼にとって、己の未熟の証左であった。
 しかしそれを聞いた三郎は、どうやら余一と真逆の感想を持ったらしい。

「なるほどねぇ……こりゃ大将の言うとおり、良い弓兵になるかもしれねぇな」

「ご冗談を。この距離で、どうしたところで貴方を射抜けぬ男ですよ、私は。そんな私がどうして――――」

 瞬間、余一の目の前が暗転した。

「殴るぞ、坊主。どうしてそこで、この俺が坊主ですら射抜けぬ兵(つわもの)だという考えに行き着かん」

「――――ッ痛!殴っているではありませんか!既に!
 なにより貴方が気安く殴った私の頭は、そんなおめでたい考えに行き着くようにはできていない!」

「外すと“確信”できるってのも、射の才能の現れだと思うがねぇ。
 ……なあ坊主。どうにもさっきから気にはなっちゃいたんだが」

 三郎は、

「――――俺にはお前が、自分(てめぇ)自身をやけに低く見ているのが鼻についてしょうがねぇんだよ」

 どうしてか。
 その瞬間余一は、再び頭を殴られたような、強い衝撃を受けた。

「…………」

「ま、傲慢なよりはいいさ。傲慢な奴は、戦場じゃあ大抵死んじまうからな。けどなぁ坊主、謙虚がすぎると、せっかく戦場で自分の命張ってんのに、功を逃しちまう」

「私、は――――」

「ましてや坊主のは謙遜じゃなく、単に自分のことが気にいらねえってだけだ。……あー、よく考えたら全然駄目だな、坊主は。こりゃ間違いなく、初陣で死ぬわ」

「朗らかに不吉な予言をしないで頂きたい!命を惜しみはしませんが、私は――――」

 名が欲しい。小さくとも構わないから、那須の姓に余一宗高の名を刻みたい。
 それは、ずっと心の奥底に閉じ込めていた思いだった。九人の兄と、十郎。彼らの後ではどこにも自分の名を刻む余地などないと、彼が半ば諦めていた望みだった。
 けれど。

「坊主。後何年かすりゃ、坊主は良い弓兵になる」

 優しい声だった。朗らかな声だった。
 それは、何時か「お前が眩しいと」呟いた兄の声に、何処か似ていた。

「大将も言った通り、坊主の歳であそこまでやれる奴はそうはいねえよ。坊主にゃ間違いなく、射の才能がある」

「歳は……関係ありません。今の私の技量は、同い年だった頃の十郎兄の足元にも及ばない」

「…………あん?」

「貴方の言うとおりです、三郎殿。私は、自分が気に入らない。誇れるものがないのです、私には」

 才能。何と軽い言葉だ。三郎が口にしたそれは、彼が一目兄を見れば、即座に吹き飛んでしまうだろう。
 本物の才能とはどういうものなのか、三郎は知らぬのだ。

「貴方は私に才能があると言って下さるが、私は自分に射の才能があると思えたことは無い。ただの一度も、です。
 馬にも刀にも見切りをつけ、こうして毎日弓だけを修練をして――――ようやく兄の背を見失わないでいることが精一杯の、その程度の男なのですよ、私は」

 一体自分は何を話しているのだろう、と、余一はどこか冷めた目で己を俯瞰していた。何と脆弱。何と未熟。こんなことは兄にも父にも話したことは無いのに、よりにもよってこんなわけのわからぬ男相手に口を滑らせているとは。
 奇妙な男だ。そして不思議な男達だった。この三郎も、彼の殿も、どうにも自分の調子を狂わせてくれる。

「何だ。ようするにあれか」

 ぼりぼりと、三郎は自らの頭を掻き毟った。その瞳には、面倒くせえ坊主だなあと、呆れの色がありありと見て取れる。
 目は口ほどに物を言う。それをここまで体現している男も、そうはいまい。

「つまり坊主は、その兄貴とやらに嫉妬してるってわけだ」

「……嫉妬?」

 まるで、初めてその言葉を耳にしたように、余一は呆然と呟いた。
 しかし。


「ああ、そうか。それは――――考えてみたこともありませんでした」



 不思議とそれは、すとん、と綺麗に胸に落ちた。
 自分は兄に嫉妬していたのだろうかと、余一は自問した。わからない。憧れは間違いなくあったが、もしも自分が兄に嫉妬しているのだとしたなら。

 ――――私は、兄上がうらやましい。

 あれは、嫉妬だったのか。だとしたら、兄への憧憬が嫉妬に変わったのは、果たして何時――――

「そもそも、憧れと嫉妬の違いとは、何処にあるのでしょう」

「さぁなあ。その手の話は、あそこに立ってる糞坊主に聞いてくれ。あれで一応、悟りの五歩手前ぐらいまで行った男だからな」

 変わらず彫像のように佇む弁慶を指差し、三郎は言った。
 悟りの五歩手前、それが一体どのような境地なのかはわからないが、どうせ適当に嘯いているだけだろうと、余一は即座に判断する。

「まあ、あんまり難しく考えんな。兄貴の方が射の才能があるったって、それで坊主の才能が否定されるわけでもねえだろう。憧れでも嫉妬でも構わねぇが、そんなもんで潰れちまったら勿体ねえぞ」

「……本当に私には、貴方の言うとおり才能があるでしょうか?」

「あるさ。そいつは間違いない。たとえば俺達の中じゃ射は忠――――あそこにいる兄弟の片割れが、一等腕が立つんだが」

 そういって、三郎は片目をつぶり、先を見据えた。

「……こっから大将まで、大体四十間ってとこか。この距離はちと厳しいが、三十間以内で中てる技術だけを競うなら、多分坊主は、あいつといい勝負ができる」

「彼と、ですか」

「ああ。その坊主が及びもつかねぇってんなら、そりゃその兄貴が化物じみてるだけだ。……そうでなきゃ」

 そう言うと三郎は、片目を閉じたまま口の端を歪め。

「そうでなきゃ、俺の立つ瀬がねぇじゃねえか。なあ?」

 冗談とも本気とも似つかぬ声で、そう言った。
 凡人と、天才。そのどちらに自分が属するのか、余一には知れないが。
 なるほど確かに、世には何時だって、後者は一握りしかいないものだ。





 □□□
 




「しっかし話が長ぇなあ。――――なあ坊主、お前の親父さんは、そんなに頭の固い男か?」

 ちらりと横目に、なおも会話を続けている資隆達を見やって、呆れたように三郎は言った。
 む、と余一は僅かに考え込むと。

「どうでしょう。確かに頑固な父ではありますが、話のわからぬ人ではないと思いますが」

「だったら余程人を見る目がねぇのか、それともありすぎるのか……どっちにしても、あの大将がここまで口説くのに時間がかかるなんざ、御大以来じゃねぇのか?」

「御大?」

 ぴくりと眉を動かした余一に対し、三郎は「げ」と口元を押さえた。
 
「――――失言だ。今のは忘れろ、坊主。これがばれたら、俺はあの兄弟に殺される」

 ほう、と余一は目を細めた。彼にしては珍しく、にんまりと、その口元に人の悪い笑みを浮かべる。

「それはそれは。ならば是非とも、伝えねばなりませんね」

「そうだな。だったらどうしても、俺は坊主の口を封じなきゃならん」

 半ば本気で鯉口を切りかけた三郎に、それでも余一は慌てることなく、首を振った。

「冗談です。……代わりと言ってはなんですが、一つお尋ねしてもよろしいか?」

「何だよ。まあ、言ってみな。それが御大以外のことなら、な」

 じろりと睨みつける三郎に、余一は頷いた。その声に、知らず緊張が混じる。

「他でもありません。貴方がたがこの地を訪れた、真意です。貴方たちは……いえ、三郎殿の主君は、一体何をなさりたいのですか?」
 
「――――あん?真意もなにも、大将は何一つ嘘は言ってねぇよ」

 そんなことか、と気が抜けたように、三郎は主の方を見やる。

「嘘偽りなく、俺達は那須湯銭大明神に戦勝を祈願しに寄っただけさ。用があったのはここの神さんだけで――――早い話、坊主の家や諸々になんざ、興味の欠片もなかった」

「ですが、先刻彼が、父を待っていたようなことを」

 そう言って余一が視線を向けたのは、武士の兄弟の片割れである。
 ――――どうやら、本来の待ち人が来られたようです。
 彼は確かに、父を指してそんなことを言っていたはずだが――――

「ああ。まあ確かに、俺達がこの地を踏んだことは、それとなく坊主の親父さんに伝わるようにしてたからな。
 だけどそりゃ、那須太郎資隆って頭領に、最低限の義を通しただけだ。それで向こうが会いに来たなら会う。来なけりゃそのまま出て行く。その程度のことでしかねぇよ」

 三郎の言葉に、偽りが混じっているようには聞こえなかった。無礼な物言いであったが、彼らは真実、那須のことなどどうでもよかったのだろう。
 だがそれでは、腑に落ちぬことが一つある。

「三郎殿は先程、あの方が父を口説いているといった。それほど熱心に要求されるものがあるというのに、父が来なければ諦めるつもりだったのですか?」

「――――だから。そいつは全部、坊主のせいだといったろ」

 疲れたように、呆れたように、諦めたように。
 三郎は、長い溜息を洩らした。

「本来なら俺達は坊主の親父さんを、湯銭大明神の神社で半刻ばかり待つだけの心算だったんだよ。だってのに例によって例の如く、『うん、何やら良いことがありそうだ』なんぞと呟いた大将がふらふらと林に入り込んで、終いには山を登る破目になった」

「…………はあ」

「んで、ようやく山を抜けたと思ったら、そこに射の修練をしている坊主がいた。
 言ったろ?それを見た大将は、一目で坊主が気に入ったんだよ。
 それであの人には、坊主の親父さんをどうしても口説かにゃならん理由ができちまった」

 そこまで言って三郎は、再び溜息を洩らした。
 
「大将が要求しているものなんぞ、一つしかねぇ。つまりあの人は、坊主を自分にくれと、そう言っておられるのさ」

「私を……ですか?」

「ああ。――――最も、流石に無理かもしれねぇとも思うがね。坊主の家が“こっち側”なら、大した面倒はなかったんだが」

 すらすらと、ともすれば聞き逃してしまいそうなほど流麗な口調で。
 三郎は、それを口にした。

「そうですか」

 恐怖はなかった。怒りもなかった。三郎が口にした答えは、およそ先刻までの余一が想像していた最悪のものであったが、今の彼の心中には、一欠けらの動揺もなかった。
 茜色に染まった空を、一羽の鳥が横切った。今の自分ならばあの鳥を射抜けただろうかと、余一は益体のないことを考えた。
 三郎の瞳を見つめ、余一は微笑する。

「貴方がたは、やはり“そちら側”の人間だったのですね」

「ああ。……なんだ坊主。坊主のことだから、もっと驚いてくれると思ってたんだがねぇ」

 いえ、と余一は首を振った。心のどこかで、彼は既に半ばそれを確信していたのだ。
 だから大した驚きはない。恐怖も、怒りもない。

「いまさら、ですよ。三郎殿」

「そうだな。いまさら、だ」

 ただ、どうしようもない寂寥感のようなものが余一の心にあった。もしも戦場に出たなら、自分はその時こそ本当に彼らに矢を打ち込まねばならないのだと、余一は強く自覚する。
 そんな余一の内心など知らず、三郎は眠そうに欠伸を噛み殺し、
 
「最もこのご時世、どっち側だろうと大した問題じゃねぇ。昨日の味方は今日の敵、逆も然りってね。
 坊主がどっちに転ぶかは、大将と親父さん次第だろ」

 三郎の言うとおりである。事実、那須は元々は東側に属する家だった。それが先の戦の折、西に転じて現在の所領を勝ち取ったのだ。
 寝返ったのだ、と言われれば、返す言葉は無い。
 しかし裏切りは、決して恥ずべきことではない。家の存続という命題の前には、個の抱く忠心など塵に等しい。如何にして有利な側に付くか、戦時における当主の役目など、ただそれだけに尽きるといっても過言ではない。
 那須の男達の幾人かは、既に西側についている。
 しかし確かに――――家を残すためならば、両軍に奉公するという選択肢も、確かに存在するだろう。
 だが。

「無理でしょう。いえ、あの父であれば、確かにそういった選択をするかもしれない。
 ですがそもそも、私は此度の戦には出られそうに無い」

「あん?んなこたぁ当たり前だろうが。まだ身体も満足にできてねぇ坊主相手に、このまま俺達に付いて来いなんて言わねぇよ。
 三年か四年か――――どっちに付くにせよ、坊主が戦場に出るにゃ、そのぐれぇの時間はかかる」

「……三年?」

 無礼を承知で、余一は口の端を歪めた。挑むような瞳で、目の前の男をねめつける。

「その頃に、未だ戦が続いていると、三郎殿は本気で思っておられるのですか?」

 あるいはそれを口にするためには、死の覚悟すら必要だったのかもしれない。
 少なくとも余一は、激昂した三郎が斬りかかってきても何ら不思議ではないと思っていた。

「いえ、そもそも三郎殿たちは、此度の戦において僅かにでも勝ち目があるなどと、本気で考えておられるのですか?」

 それでも、言葉は止まらない。怒りか?嘲りか?憐みか?それはわからない。わからないが、胸の奥底で煮え滾る何かに押され、余一は言葉を続けた。

「確かに、不満はあるでしょう。西側についた那須の家に生まれた私には、坂東の武士であり続けた者達の無念などわからない。
 だからといって、彼の一門に対し兵を挙げるなど、正気の沙汰とは思えない」

「……連中の世は、それほどに磐石かねぇ?」

「違う、とでもおっしゃるつもりですか?私には貴方がたが、貴族連中の手で踊らされているとしか思えない」

 一度や二度であれば、三郎達が勝ちを拾えることもあるだろう。しかしそれでも最後に勝つのは西側であり――――彼の一門の世は、決して覆らない。
 奥歯を噛み締め、余一は唸った。
 
「戦は、長くは続かない。そして此度の戦の趨勢が決すれば」

 最早この国で、彼の一門に歯向かおうなどと考える者は、誰一人としていなくなる。
 差別と、蹂躪と、圧政の下に。
 天下に、長き太平の世が築かれるのだ。

「ならねぇよ」

 それは。

「三郎……殿?」

 何と力強く、信に満ち溢れた声であることか。

「少なくとも、坊主の身体が出来上がる頃までは、世には戦が残ってるだろうさ。
 坊主の言うとおり、連中はちとでけぇからな。残らず叩き潰すには、そのぐらいの時間はかかる」

「一体」

 目の前の男は、何を言っているのかと、余一は彼の正気を疑った。
 僅かに、どころの話ではない。
 この武士は彼の一門を相手に、自軍の勝利を確信すらしている。 

「この分じゃ俺達は次の合戦には間に合いそうにねぇが、それさえ他の奴らが乗り切ってくれりゃ、連中は間違いなく潰せる」

 なにしろ、と呟き、三郎は未だ会話を続けている一人の武士を見やった。
 つられた余一の目に映るのは、小柄な若い男。


「こっちには大将がいるんだ。あの人が出てきた以上、勝てねぇわけがねぇ」


「――――は?」


 三郎の言葉を理解するのに、余一は数瞬の時を要した。
 次いであまりの馬鹿馬鹿しさに、頭を抱える。どうやら本当に、彼は正気を失っているらしいと悟る。
 こうしてまともに見えても。
 いや、思えばそもそも最初から、まともではなかったような気がする。彼は元山賊と言った。きっとその荒んだ生活が、彼を醒めない夢へと――――

「……とんでもなく無礼な想像をされているように感じるのは、俺の気のせいか?坊主」

「貴方の気のせいです。三郎殿」

 なおも疑わしげな視線を向ける三郎を、余一は黙殺した。ややあって、「……ま、いいけどよ」と三郎は空を見上げた。

「信じられねぇってんなら、それでもいい。今はまだ、な。戦が終わる頃になりゃあ、誰が功一等かなんてのは、嫌でもわかるようになる」

「あの方は、一体何者なのですか?」

 正気であるかはともかくとして、武士としては紛れもなく一級であろう三郎が、どうやら真実、主の力を信じているらしいということはわかった。
 いや、三郎だけではない。恐らくは、あの兄弟も、僧兵も同じだろう。何よりあの資隆が、あれほどにその器を計りかねている男である。
 敵か味方か、などという話ではなく。
 これほどの男たちに全幅の信頼を寄せられ、それを従えている男に、余一は純粋な興味を抱いた。

「さてねぇ。実のところ、そいつは俺にもよく判らん」

 じっと主を見つめたまま、三郎は顎を一度撫でた。

「大将が誰か、ってことなら、あの人の名前を言うだけで済む。大将自身は高名な武士じゃねぇが、その氏だけは嫌ってほど知れ渡ってるからな。
 ただあの人が何なのか、ってのは――――長い付き合いになるが、俺も未だに測りかねてんのさ」

「それでも、優れた方であることは確かなのでしょう?貴方達のような武士に、信頼されるほどには」

「どうかね?大将自身も言ってたように、弓はお世辞にも巧くねぇしな。馬も人並みだし、あの身体だから力も強くねぇ。
 そのうえ俗世にゃ疎く、他人に騙されやすいと来てる」

「…………」

 指折り数えて、なおも欠点をあげつらおうとする三郎を、「失礼ですが」と余一は止めた。
 立場が逆なような気がするのは、この際無視することにした。

「もうその辺で結構ですので。……しかしそれでは、まるで駄目な武士としか聞こえませんが」
 
「だよなぁ」

 それでも三郎は、ひどく嬉しそうに笑っていた。それはまるで、大きな秘密を抱えたことで優越感に浸る、子供のような笑いだった。

「多分大将のような男は、優れているとは言わねぇんだ。色んなもんが足りなくて、その代りにとんでもねぇもんを幾つか持っている、そんな人さ」

 そう言って三郎は顎で、主の傍に侍る男達を指した。

「その不足分を埋めるために、あいつらがいる。あいつら兄弟は御大への義と、大将への情で。あの僧兵――――弁慶は、そもそも大将がいなけりゃ、人として生きていくことすらできねぇ男だからな」

 弁慶。そう呼ばれた男は、変わらず不動で主の後ろに立ちつくしていた。あるいは主が動かなければ、彼は永遠にそこに居るのではないかとすら錯覚させる。
 主が小柄なためか、彼の巨体は一層際立って見えた。あれは、本当に人間か。野太い首。女子の胴ほどは優にありそうな腕。これで角さえ生えていたら、まさに鬼そのものではないのか。
 その、怪物と見間違うような偉丈夫が。

「…………?」

 ほんの一瞬。
 まるで、眼前の主に寄りかかっているように、余一の目には見えた。

「なあ、坊主。言ったとおり、うちの大将にゃ足りないもんが山ほどある」

 足りないもの。それは何なのか。鮮烈に網膜に焼きついた幻に、余一は問いかけた。
 何を無くせば、あれほど小柄な男が、あの鬼を支えられるというのだろう。
 あるいはその欠落は、人として致命的なまでに。
 
「そんな大将の……弓の不足分を埋めてくれるような武士(おとこ)は、いったいどこに居ると思う?」

「あ――――」

 ここに、などと、言えるはずがない。
 立場ではない。己の技量を卑下してのことでもない。例え自らが理想とする十郎兄であっても、その不足分をただ一人で埋められるとは、余一には思えなかった。
 彼の欠落は、きっとそれほど軽くない。
 多くの手がいる。十人か百人か、それとも千人か。その中で、自分は多くに埋もれた一人にしかなれぬことだろう。
 それでも――――必要とされるのならば。
 彼の不足を少しでも埋めることができたなら、それはどんなに――――

「――――誇らしいでしょうね、きっと。その不足分を埋めることのできた、どこぞの弓兵は」

 目を閉じて、噛みしめるように余一は言った。三郎が何を言わせたいのか判らぬわけではなかったが、それが、今の彼の精一杯の答えだった。
 ち、と舌打ちして、三郎は頬を掻いた。

「駄目か。ったく坊主も頑固だねぇ。ここは『承知』と、強く頷くところだと思うんだが」

「ご冗談を。大体私の身の上は父上とあの方次第だと、三郎殿も言っておられたではありませんか」

「へぇ。だったらそれ次第じゃ坊主にはそうなるつもりがあると、そう取って構わねぇんだな?」

 結構結構、と頷く三郎に、余一は何も答えない。沈黙は便利だ。意思の固まらぬことを、時にはそのまま許してくれる。
 代わりに余一は、こんなことを問うた。

「三郎殿は、どうしてあの方とともに居られるのですか?」

 元山賊。三郎はそう言った。聞かぬ話ではない。先の戦で東についた武士の一族郎党が所領を失い――――食うためにそういったものに身を落とすというのは、決して聞かぬ話ではない。
 無論、三郎がそうであるなどと、確信しているわけではないが。

「彼ら兄弟は義と情、弁慶殿という僧兵は、そもそもあの方の下でなければ生きていけぬと三郎殿はおっしゃられた。
 ならば三郎殿があの方の傍に居られるのは、どのような理由ですか?」
 
「許せねえからさ」

 迷わず三郎は即答した。一切の逡巡もない、切れ味の鋭い言葉だった。

「言ったろ?あの人は俗世に疎く、騙されやすい。戦はともかく、謀にはまるで向いちゃいない性格をなさっているんでな。
 どれだけ功を立てようと、それに見合った代価を大将が受け取れるとは、とても思えねぇんだよ」

 何より、と三郎は目を細めた。何処を見ているのか。あるいは何時を見据えているのか。余一には無論知れなかった。

「一番厄介なのは、大将自身がそれでも構わねぇと考えてる節があるってことだ。
 彼の一門の打倒と、戦無き世。それとついでに、俺たち郎党への報いってとこか。あの人が望んでいるのはそんなもんでな。それより先のことなんぞ、まるで考えちゃいねぇ。
 そんな御人は利用されるだけされて、功は他の連中に全部掻っ攫われるのが、目に見えてんだよ」
 
「…………」

「そいつを想像したらな――――俺にはそれが、どうしても許せねぇと思ったのさ」

 三郎の吐露した思いは、しかしその瞬間、意味を失った。
 言の葉を紡ぐ必要など、無い。今の三郎の表情を見れば、彼が何故主に従っているかなど、正に一目瞭然ではないか。
 成る程と頷き、余一は言った。

「つまり三郎殿は、あの方が好きだから、付き従っておられるわけですね」

 何とうらやましい、と余一は素直に思った。己が認めた主に従えるということ。それは武士にとって、何よりの幸福だ。
 もし許されるのなら、いつか自分も。
 そんな思考は、しかし三郎によって遮られた。

「あん?何言ってんだ坊主。どこをどうしたら、そういう話になる」

「照れずともよいではありませんか。私は素直に、貴方がうらやましいと――――」

 はたと余一の言葉が止まった。三郎は、どう見ても照れている様子ではない。彼の表情にあったのは、純粋な困惑である。
 何やら嫌な予感がして、余一はおずおずと尋ねた。

「あの……つまり三郎殿は、あの方が心配だから付き従っておられるわけですよね?あの方がその働きで得るはずの対価を奪われることが、許せぬと」

 ああ、と頷いた三郎に、余一はほっと息を吐いた。やはり三郎殿は、義と情で主の下にいるのだ。
 
「つまり三郎殿の役目は、武と謀の両面で、主の不足を埋めることだと」

「いんや?何だって俺が、そんな面倒なことしなくちゃならねぇんだよ」

 は?と唖然とする余一に、三郎は一切の偽りなき表情で。



「だから、大将の代わりに受け取るもん受け取って、死ぬほど良い目を見てやるのが俺の役目だ。俺はいつだって、自分(てめぇ)のことしか考えちゃいねぇよ」



「…………」

「大体あの人のお人好しは筋金入りだからな。それをいいことに有象無象の連中がいい目をみるなんざ――――ちくしょう、考えただけで腹が立つ」

「…………」 

「ならば俺がなる。俺が幸せなら、俺は腹が立たん。その上大将も郎党に報いることができて喜ぶ。正にいいことだらけじゃねぇか、なあ」
 
「…………な、にが」 

 身体が、震えた。この男に対して一瞬でも憧憬を抱いた数瞬前の自分を、射殺してやりたくなった。
 
「なあ、ですか!貴方は本当に!まるっきり全て!自分のことしか考えてないではありませんか!!!」

「だからそう言ってるじゃねぇか。問題は大将の下にいると命の危険が多そうってことだが――――ま、そのほうが見入りもでかいってもんだ」

 うんうんと満足気に頷き、果てには「まずは所領、次に女だな」などと皮算用まで始めた。

「…………く……ぅう」

 視線で人が殺せたら、と、余一は本気で祈った。無駄だった。人を射殺せるのは、所詮弓と矢だけだ。
 ならば、と余一は五感を研ぎ澄ます。南無八幡大菩薩、何卒この不心得物をぶち抜く力を、我に与えたまえ――――

「……未熟」

 駄目だった。やはりどうしても、三郎を滅する想像が構築できない。このろくでなしは、どうやらこの距離で確実に自分の矢を防ぐ術を、持ち合わせているらしい。
 修練を積もう、と余一は硬く決意した。より一層、血の滲むような修練を。
 兄の領域には至れずとも。
 少なくとも、この男を射抜けるようになるまでには、必ず。

「――――っと。どうやら話はついたらしいな。……しっかしこの分じゃ、今夜も夜通し駆けることになりそうだ」

 限りなく“西側”に傾きかけた余一の思考を、その一言が断った。見れば確かに、資隆と「殿」の話し合いは、ようやく終わりを告げたようだった。
「三郎殿」と、兄弟の片割れが名を呼んだ。よく通る声だった。
 それに掌を掲げて答えた三郎は、数歩進んで振り返る。

「じゃあな、坊主。色々益体もねぇ話をしちまったが――――これだけは憶えとけ」

「…………」

 余一は無言。汚物を見るような視線で、先を促す。
 三郎は笑い、

「うちの大将は、本気で坊主のことを気に入ってる。それは、嘘じゃねぇ」

「――――!」

「お前の兄貴のことなんざ、俺達ゃ知らねぇよ。確かに十郎兄とやらを見れば、俺達はそっちを重用するようにならんとも言えんが」

 夕焼けを背負って、男は言った。その姿を、その声を、余一は強く胸に焼き付ける。

「少なくともこの瞬間、あの人は坊主が必要で、惚れ込んで、坊主の親父さんを口説いていたってことだけは憶えとけ」

 何気ない言葉だったのかもしれない。少なくとも、特別ではない。誰にでもとは思わないが、それはきっと、余一だけの物ではない。
 けれど、それがどうした。そんなことは、この事実の価値を如何ほども貶めはしない。
 世界が茜色に染まったこの瞬間だけは、少しだけ自惚れさせて欲しい。
 きっとこれだけで、彼はこの先も、弓を握り続けていけるだろうから。

「――――はい」

 余一は言った。満足げに頷いた三郎は身を翻し、歩みを進める。
 西か、東か。どちらに転ぶかは判らないが。

「何時かまた、戦場にて。
 ――――御武運を。三郎殿」

 夕焼けの眩しさに目を細め、余一は告げた。
 その瞬間。




「――――ああ、そうだ。もう一つだけ憶えとけ」




 ぴたり、と男は歩みを止め。
 再会の約束された別れが、僅かに先送りとなった。




「伊勢義盛だ。宗高」

「は――――?」

 余一の驚きは、しかし初めて三郎が己の名を呼んだことに対するものではなかった。伊勢義盛という名に対してでもない。その名に聞き覚えなど無かったし――――何より余一には、何故三郎がそんな名前を口にしたのかがわからない。
 ただ、その声はあまりにも異質だった。父である資隆すらも及ばない。人はこれほどに、無機質な声を出せるものなのか。
 
「伊勢三郎義盛だ、那須余一宗高。この名を覚え、そして決して忘れるな。そうしてもしもお前が、そちらの側で戦場に立つ日が来たなら、必ずこの名を呼べ」

「伊勢三郎……義盛」

 訳がわからず、余一はそれでもその名を繰り返した。
 ――――ああ、それでも一つだけわかったことがある。
 どうして自分は、この男を覇気の無い武士であるなどと思ったのか。
 ただ彼は、あまりにも巧妙に、それを隠していただけだ。彼はきっと、彼の主君の郎党の中で誰よりも猛々しい。

「そうだ。戦場全てに轟く声で、その名を必ず呼べ。そうしてお前はその矢を以って、自身の成長を敵である俺に証明してみせろ」

 振り返る。その顔を見ることが、今の余一には何より恐ろしかった。
 歳若い弓兵の目を見て、男は。

「――――俺も坊主が気に入ったからな。そんときゃきっちり、苦しまねぇようにその首落としてやる」

 何のことは無い。

「三郎……殿?」

 振り返った彼は、拍子抜けするぐらい三郎だった。
 

「――――さっさとせんか!三郎!貴様いつまで殿を待たせるつもりだ!」

「うるせぇ糞坊主!でけぇ声で喚くんじゃねぇ!その大将の耳を潰す気かてめぇは!」

 怒声が大気を振るわせた。弁慶である。それに負けじと三郎が叫び、「む」と押し黙った元僧兵は、窺うように主を見下ろした。
 大人と子供。彼ら主従の身長差は、その比喩にすら当てはまらない。構わぬ、とばかりに首を振る主に、身を縮め頭を下げる弁慶の姿は、どこか可笑しくもあった。
 三郎にいたっては、いい気味だと声に出して笑っていたが。

「三郎殿」

 何を聞きたいのかも定まらぬというのに、気づけば余一はその名を呼んでいた。
 三郎は振り返ることなく、

「言っとくが、どっちも本当だぜ坊主」

 主が余一を欲しているという話も、敵となったら容赦なく首を落とすという話も。
 あるいはこの三郎も、あの伊勢義盛も。
 どちらも嘘偽りないと、彼は余一に言った。

「だから坊主は、その時まで射の修練を続けりゃいい。どっちにしたって、坊主が成長しなけりゃ話にならねぇんだからよ」

 どちらに転ぶかは――――この後にでも、資隆に聞けば判る。
 けれど彼は、どちらの道を与えられるとしても。


「――――承知」


 世界が茜色に染まる中。
 夕焼けに照らされた少年の顔は、ほんの少しだけ大人に見えた。

 



 □□□







 思えば彼の目的は、つまり釘を刺すことにあったのだ。
 主君に剣呑な眼差しを向ける余一を、郎党たちは誰もが疎ましく思っていた。それを排除しなかったのは、彼の言うとおり、単に主がそれを望まなかったからに過ぎない。
 ――――無論、何があっても主君を守りぬけるという自信があってのことだろう。兎に角彼らは動かなかった。それが事実だ。
 その中で、唯一動いたのが伊勢三郎義盛という男である。彼だけが、くれぐれも少年が愚かな行動に出ぬよう動いた。そして同時に、万が一にでも主君が傷つけられることなきよう、有事の際にはいつでも少年の命を絶てる距離にまで近づいた。
 余一の身を案じながら、いざとなれば殺すという両極端の行動原理。
 その根にあるのは、つまりどちらとも主君のためという単純な理由だけだった。

「――――何だ。つまり貴方は、やはりその方のことが好きなのではありませんか、三郎殿」

 夕日の方へと進む背中に、余一はそう声をかけた。無論この距離で、その言葉が彼らに届くはずも無い。
 自分のため、という三郎が口にした理由も、決して偽りではないだろうが。
 それでも彼が、主君に対する義と情を持っていないわけではないのだ。

「さて」

 余一は、自らもまた夕日へと向けて歩き出した。無論、彼らを追ってではない。どういった形にせよ、彼らとはまた、いずれ何処かの戦場で見えることだろう。
 余一が向かったのはおよそ四十間ほど先――――その場に佇む、父の元へである。

「父上」

 僅かな緊張を押し殺し、余一は資隆に声をかけた、果たして父はどのような決断を下したのか。無論気にはなったが、即座にそれを聞くのは憚られた。
 僅かな沈黙の後、先に口を開いたのは資隆だった。

「彼が何者かを知っているのか、宗高」

 聞きなれた声である。つまりは、何の感情もうかがい知ることはできない。

「いえ。尋ねはしましたが、答えては頂けませんでした」

「そうか」

 夕日か、彼らの後姿か。そのどちらかを見つめていた資隆の視線が、余一へと移る。
 そして資隆は、

「宗高。早々に趨勢が決するとばかり思っていたが、あるいは此度の戦は長引くかも知れん」

「!それは――――いえ。ならば父上。父上は一体、どうなさるおつもりなのですか?」

「それを、考えていた。我らが此度の戦で大功を立てられる機はないと、半ば諦めていたのだが」

「――――は?しかし兄上達は……特に十郎兄ならば、功を立てるに不足はありませぬでしょう」

 夕日に照らされた資隆の顔からは、やはり感情をうかがい知ることはできない。
 資隆は再び、夕日へと視線を転じると。

「為隆では、無理だ。奴には戦場で、大功を立てることなどできはせん」

 どこかつまらなそうに、そう言った。

「為隆は武士として、致命的な欠陥を抱えている。いつかは埋まると期待していたが無駄だった。
 ――――当然だろうな。足らぬものを埋めることはできても、元より“無い”ものは、どうしようもない」

「十郎兄が――――欠陥?」

「お前たちは、誰一人としてそれに気付いていない。例外はただ一人、他ならぬ為隆本人だけだ。資之あたりならば、そろそろ気が付いてもよさそうなものだが」
 
 那須資之。父の告げた五番目の兄の名は、しかし余一の耳には届かない。
 ぐるぐると空が回っていた。欠陥?馬鹿馬鹿しい。そんなもの、あの兄にあるはずがない。
 だって、あの人は。
 ――――私は、お前が眩しいよ。宗高
 いつだって、自分の理想、そのものなのだから。

「しかしそれでも、為隆には価値がある。欠陥があるとはいえ、奴の射の技量は既に極まっているからな。為隆には戦場以外のところで、役に立ってもらうつもりでいた」

 余一の内心になど構わず、資隆は独白を続ける。

「故にお前だ、宗高。為隆ほどではないにせよ、お前は射の才をその身に宿し、何より均衡が取れている。
 しかし未熟なお前が足らぬもの埋められる頃には、戦は終わっていると思っていたのだが」

 多弁であった。あるいはこれまでで、普段無口な父は一年分の言の葉を紡ぎだしたかもしれないと、余一は思う。
 そうして余一は、ふと気がついた。――――もしかしたら常と変わらぬように見えて、その実父上は、興奮なさっているのか?
 内心を悟らせず、資隆は、

「戦が早々に終わるのなら、此度我らに大功を立てる機会はない。故にお前と為隆を除いた光隆達に、形ばかりの出陣を命じるつもりでいた」

「兄上達には、何一つ働きを期待していない、と?」

「期待はしている。光隆達を出せば、少なくとも西からの謗りは免れる。奴らの役目は一つ、那須を今と変わらぬままで保つことだ」
 
 非情なようでいて、しかし実のところ、資隆は彼らを軽んじているわけではない。
 彼はただ自らの息子達を、最も那須のためになるよう、活かしているだけだ。

「ならば父上」

 胃を締め付けるような緊張を押し殺し、余一は問うた。

「戦が続くとするなら、その中で、私の役目とは一体」

「それを、決めかねている。故に一つ聞かせろ、宗高」

 未だ未熟な息子を、資隆は値踏みするように見つめ、

「お前は自らの射に……価値を見出すことができるか?」

「……は?」

「お前は、自らの射で何かを成せると思うか?為隆ではできぬことを、技量で劣るお前が成し遂げられる日が来ると、そう思うか?」

 訳のわからぬ問いである。いや、問われていることの意味はわかるが、それが会話の流れと繋がらない。
 それでも、余一は必死で己に自問した。どれほど訳がわからなくとも、どうやらその答えで自身の運命が決するらしいということになれば、慎重にならざるをえない。
 射によって、何かを成し遂げる人間となれるか。
 そんなことが、分かるはずも無い。そうなりたいとは願っても、未来はいつだって曖昧で不透明だ。そして資隆は、曖昧な答えを許すつもりは無いだろう。

「私に、何を成せるのかなど、わかりません」

 故に余一は、偽ることなくそう告げた。先のことなど、何一つわからない。西か東か。生か死か。その中で、懸命に勤めることしか自分にはできぬと。
 けれど。

「それでも私は、己には価値があるのだと、そう信じたいと思います」

 それでも余一は、誰とも知れぬ一人の男が、自分に価値を見出してくれたことを知っている。
 あるいは、それは錯覚かもしれぬ。それでも構わない。それを信じて弓を握り続ければ、いつかは確かな形となる日が来るだろう。
 未だ未熟。
 だからこそ少年は、それを信じ続けていけるのだ。
 
「そうか、わからぬか」

 余一の答えは、その実、何の答えにもなっていない。
 やがて、夕日に照らされた資隆は、

「ならばお前には、やはりまだ可能性があると――――そういうことなのだろうな」

 その言葉に、満足したように。
 硬く結ばれた口元を、僅かに綻ばせた。

「父……上?」

 ほんの一瞬で、その微笑は淡雪のように解けて、消えた。その後に残ったのは、名残を見せぬ硬い地である。
 いつもどおりの表情で、資隆は余一の握る弓へと視線を走らせると。

「励め、宗高」

 夕日の下へと、視線を転じ。

「そして覚えておけ、宗高。彼が、お前の主となる男だ――――」

 遠い背中に向けて、そう言った。

「あ――――」

 余一の唇が、震えた。
 胸が熱い。その衝動を押さえつけ、余一は夕日に向かう彼らの背を、飽くことなく見つめ続けた。
  
「そうですか」

 焦ることはない。百間。二百間。あるいはその先にまで、余一の矢が届く日が来たなら。

「彼が、私の――――」

 その時まできっと、男は戦場を残して、待っていてくれるだろう。





 □□□





「…………」

 立ち尽くす余一を残し、資隆は無言でその場を去っていった。
 そのまま彼は、人里の方へと歩みを進め、

「やっかいな男が、出てきたものだ」 

 呟く。今の資隆には、戦の趨勢が読めなくなっていた。理性は西の勝利を叫んでいるが、本能がそれを押しとどめる。
 理由など無い。本能に理由はない。そこにはただ、あるいは東が勝つかも知れぬという、根拠の無い予感だけだ。
 ゆえに。

「西に九人。東に二人。それで釣り合いはとれるか」

 決断する。それが無難と資隆は自身の考えに頷いた。
 西が勝っても損は無く、あるいは東が勝利を収め、その中で余一が大功を立てたなら、那須は大きく発展することができるだろう。

 茜色に染まった草を踏みしめながら。

「――――やっかいな男が、出てきたものだ」 

 再びそう呟いて。
 誰よりも那須の行く末を案ずる男は、人知れず溜息をついた。




 □□□






 やがて宵の帳が落ち、何も見えなくなった頃。一本の矢が、ひょうと月に向かって飛んでいった。

 ――――南無八幡大菩薩。別してわが国の神は、日光権現、宇都宮、那須湯銭大明神。願わくば彼の扇を射させてくれ給え。

 月が、その少年(もののふ)の射を知るのは、そののち五年後のことである。


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