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天天12
2006-09-01 Fri 01:54
 例えば馬上においては手綱に片手を取られ、弓を携えたるものは片手が塞がり、そもそも両手で刀を握りては巧く走る事すらままならぬ。
 つまるところ、結論は一つであると男は断じた。

 ――――刀とは、そもそも片手で振るうものである。

 後に稀代の剣豪と謳われた武蔵玄信はこの信念の元、両手に刀を担い修練することで、結果として片手で刀を扱う訓練となす流派を興した。片手で人を斬れるようになるために、常日頃から二刀を持ち修練を積む――――即ちこれが二天一流の思想にして最大の目的である。
 彼の流派は、実戦において二刀を同時に振るうことを主眼とした流派ではない。武蔵は片手で刀を扱えるようになることの必要性を説いても――――敵に集団で囲まれた場合などの特異な状況を除き――――両手に刀を担うことに対しては、いっそ否定的であったといっても過言ではない。

 ――――両手に物を取ること、左右ともに自在とは叶ひがたし。

 半世紀以上の時間を剣に捧げた男が、その晩年に行き着いた答えがこれである。二刀を真実同時に、自由自在に振るう事などできるものではない――――その剛剣と実戦経験において比類する者無き剣豪の出した結論は、後代の二刀遣いにとってある種の呪いですらあった。
 二刀を同時に、自由自在に振るう事は不可能であるという、武蔵の提示した覆る事無き大前提。
 後代の二刀流は、その枷を嵌めた上で刀二つを担う事に利があるのだと証明せねば、剣の世界で生存することを許されなかった。
 そのため、時に邪剣とまで蔑まれる二刀流は、あるいは正道以上に徹底して“理”を追求し続けた。自在に振れぬ左右長短の刀。その不足を補う術を理に見出し、試行錯誤と淘汰の果てにあらゆる局面に対応できる型と動きを生み、それを分類していく。
 終わること無き研鑚の歴史。その結晶たる理を、二刀に魅入られた剣士達は血の滲む修練を以って己が身体に叩き込み、数多の戦闘経験を以って血肉とする。
 極論を言えば。
 いや、暴論を述べるなら、真実実戦に耐えうる二刀流は、究極の理合いの内にしか存在し得ない。

 結果、一見どれほどの奇手に見えようと、二刀流はその動きの総てに確固とした理を持ち合わせることになった。元より人の身では不可能な“制約無き自由自在”に見切りをつけ、理の枠の内でその存在を研磨していった邪剣の業。その極限に至ったなら、それは断じて正道たる剣に劣るものではない。
 理の枠を知らぬ二刀は、あまりにも醜悪で拙い、剣とは呼べぬ児戯である。
 
――――だが、もしも。
 
もしも真実、二刀を同時に、自由自在に振れる者がいたならば?
 理を知らぬのではなく、その枠からはみ出すのでもなく。
 それらを丸ごと飲み込んだ上で、理の枠に囚われぬ“制約無き自在”を実現できる剣士がいたならば?

 それは最早、人を超えた怪物に他ならない。理の極限すら超越する者。二刀流が見切りをつけた制約無き自在の最果て。二刀は一刀より数の上で有利であるという、浅慮な夢想の体現者。

 ――――それは夢幻。決して生まれる事無き、悪夢の怪物である。





■■■




一筋の銀光が、音と共に闇夜を裂く。
何だ、コレは――――神速と呼ぶにふさわしい斬撃を『セイバー』へと放ちながら、アサシンの胸中を過ぎったのはそんな思いだった。
元より、疑問は在った。自ら「左右ともに自在とは叶ひがたし」としながら、あえて二刀を抜いてみせた『セイバー』・宮本武蔵玄信。実戦において二刀を用いぬはずの男が、両手に刀を担ったその訳を。
 いや、その理由など問うまい。アサシンにとって重要なのは、『セイバー』の二刀流が己を満足させるに足る力量を備えているかどうか、その一点のみである。
 ――――奇を衒っただけの二刀なら、即座に首を刎ね飛ばす。そうでないのなら、それを十分に堪能すれば良い。
 確固たる理を備えた二刀か、奇を衒っただけの児戯か。その答えは己が剣で知ろうと、胸中の疑問を飲み込んだ。

「――――ぬ!」

 間合いを詰めると同時、上段から叩きつけられた『セイバー』太刀を受け止め、アサシンはその秀麗な眉を僅かに跳ね上げた。
 確固たる理を備えた二刀か、奇を衒っただけの児戯か。
そんなことをつらつらと考えて――――それでも「よもや」という期待が無かったかといえば、それは嘘になる。
何しろ、敵は天下に比類する者無しと謳われた大剣豪である。ならばあるいは――――その二刀は理を超越した怪物のモノであってくれるのかもしれぬという、僅かな期待。
 その、淡い心算が――――

「――――これが」

 ――――こうも、的外れなものであるとは正直思わなかった。
迫り来る銀光を己が長刀で打ち落とし、群青の侍が静かに吠える。
二刀遣いとしての、武蔵玄信の技量とは如何ほどの物なのか。
その答えは、剣を数合交えただけで容易く知れた。

 「そなたの剣というわけか、『セイバー』――――」

『セイバー』・宮本武蔵玄信。この男の二刀は、成る程、確かに理の枠に囚われた物ではなかった。

だが同時に、その動きはとても怪物などと呼べるような代物ではない。眼前で二刀を振り回す『セイバー』。宮本武蔵玄信。どうしてこの男を、怪物などと呼べよう。
理を超越した怪物でもなく、確固たる理を備えた二刀遣いでもない。
極上と当たりをつけ、果たし合いに望んだ武蔵の剣は――――



「は――――」



――――怪物すら超えた、別の何かだった。
 
 
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