スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | top↑
月聖Inter10-4
2011-12-30 Fri 18:00







 それは極大化された力の奔流だった。あるいはこれに敵対する者の目には、究極の理不尽に映ったかもしれない。
 真名を解放された最強の幻想(ラスト・ファンタズム)約束された勝利の剣(エクスカリバー)
 暗い大空洞を真昼へと変えたその白光の姿は、ただひたすらに貴い。これこそは星が鍛えし貴き幻想。ブリテンに生まれし不世出の大英雄・アーサー王と共に今日までその名を伝えられる、最強の聖剣の姿である。

 ――――勝てるわけがない。

 いいや。この剣を前にして、なおも敵対しようという考えそのものがおこがましい。
 これは、この星の力そのものだ。この星で生きとし生ける全てのものたちの命の力。絶対なる善と正義への賛歌。かつて存在し、今もこの星を満たす光。勇壮なる騎士達の悉くが(こうべ)を垂れる、王の冠の輝きに他ならない。
 栄光あれ、と。
 我らが王。騎士王アーサーの進む道に栄光あれと。
 即ちそれは、“力”という最もシンプルな権威の具現であった。王の前に立ちふさがる障害を残さず灰燼に帰す、個に属するには理不尽なまでに強大な力であった。



 その、あまりにも貴き光に。



 万人が頭を垂れ、決して抗うことのできぬ力の奔流に。



「我らの()をその記録に刻むがいい、星の光よ」



 ただ一振りの剣を携え、敢然と立ち向かう英雄(おとこ)日本(ここ)にいた。







 月の浮かびし聖なる杯  Interlude10-4 ~Phantasm~







 知るがいい、とその男は言った。その瞳に恐れはなく、その声に畏れはなく、その姿に懼れを微塵も見せずに――――彼は、星の光の前に立っていた。

 我らの銘を、いまこそ知るがいい。

 星の力を前にして、『セイバー』はそう啖呵をきった。それは大海を飲み干さんと水面に口をつける愚者の姿だった。山を動かさんと大地を押す狂人の姿だった。そんな愚者と狂人の狭間にあって、この英雄はなおも己と剣を信じていた。自分達の()を、信じていた。

 ――――男、その名を日本武尊。

 彼の者。その身、日本(ヤマト)の地にありて

「我が身に」

 蛇の尾より生まれし神剣をその手に担う時。

「届く」



「――――(ほむら)、無し」



 その幻想を、現実(カタチ)とするために。





「祓え!! “全て祓いし護国の剣(クサナギ)”――――!!」




 英雄は、幻想を薙いだ。












 激突する白と黒。聖剣と神剣。ブリテンと日本(ヤマト)の貴き幻想。約束された勝利の剣(エクスカリバー)全て祓いし護国の剣(クサナギ)。二つの宝具の衝突は周囲を真っ白に染め上げ、黒点をその内に残し、轟音で大地を揺らした。

 それは、この星が初めて聞いた音だった。

 ここに顕現したのは神話の戦いである。いや、本来であれば決して交わることのない両者の激突は、神話で語られる戦いすら超越した争いだった。白が黒を押し、黒が白を押し戻す。それは2本の剣が互いの身に蓄えた、人の幻想(いのり)を潰し合う戦いだ。勝利を約束する剣と、全ての災厄を祓う剣。各々の時代と国で不可侵の聖域を築いたその幻想は、しかし互いが激突すればどうしようもない矛盾を生む。
 ならば、その矛盾に決着を。相手の幻想に終焉を。我が担い手に勝利を/不敗を。


「ッッ!!」

「――!!」

 そのために、(つるぎ)たちはこの瞬間全く同じことを担い手に要求した。もしも(かれら)に意思と声があれば、奥歯を噛みしめ唸る担い手を叱咤しながらもこう言っただろう。

『――――もっと魔力を』

『目の前にある幻想を叩きつぶすには、そなたの全てを注いでもまだ足らぬ――――!』


 判っているはずだ、と剣たちは断言する。
 そなたの前にいるのは、最強の敵なのだ、と。

「あ――――アアアアアアアアアア!!」

「お――――オオオオオオオオオオ!!」

 判っていると剣士は叫んだ。いいだろうと剣士は吼えた。
 この敵を倒すためならば、私の全てを持っていけ。
 唸りをあげて魔力炉が稼働する。破裂寸前までラインから魔力を吸い上げる。竜の因子と黒き聖杯。並みのサーヴァントであればとうに枯渇しているであろう魔力消費を補う術が、二人のセイバーにはある。

 攻める、防ぐ、弾く、食らいつく。

 苛烈な攻防を繰り返し、光の奔流と黒の障壁はしかし『セイバー』の鼻先から僅かも動かない。そここそは生と死の境界線。回避不能でありながら草薙によってエクスカリバーを押しとどめることのできるぎりぎりのラインである。
 その境界線で熱波を受け止める自らの宝具に、『セイバー』は、

「何を……ッ! して……いる、草薙?」

 絶え絶えの、けれど冷たい声を吐き出して、そう語りかけた。
 無感情なその声に、けれど揺るぎなき信頼が込められていることを、ただこの草薙剣だけは知っている。
 光の奔流を眼前に臨みながら、なおもその“武”を崩すことなく、『セイバー』は傲慢に言い放つ。

「我らの前で、最強の幻想を名乗ることなど、許すな」

 自分たちこそが最強なのだから――――などと自惚れているわけでは、断じてない。
 ただ彼は、知っているだけだ。最強タケル)の名に呪われ、最強タケル)と呼ばれ続け、今も生前かつて)もそれだけを目指し続けている日本武尊は、たった一つのことを理解しているだけだ。
 
 ――――そんな最強もの)は、どこにもない。

 人であろうと英雄であろうと、そして幻想であろうとそれは変わらない。揺るぎなく、瑕疵なく、敗北もない。絶対の無敵に足るそんな強さなどない。それを知るが故に、彼はこうしてこの光の前に立っていられる。最強といわれる聖剣に立ち向かっていける。

 最強はない。不敗はない。必勝はない。無敵はない。ならば。ならばならばならば。



「……約束された勝利など!」



 絶対に、認めるわけにはいかない――――!




「捩じ伏せろ! クサナギィ!!」

「『セ、イバー』ァァアア!!」

 互角。されど担い手達は共に限界だった。なればこそセイバーはここで、その先に手を伸ばす。
 瞬間、白光が僅かにその輝きを増し、障壁を軋ませた。聖剣がその勢いを増したのだ。
 軋む。歪む。押し潰す。星に蓄えられた人々の祈り。貴き幻想が、騎士王の勝利を謳いあげようと高らかに声をあげる。
 その歌を前に、『セイバー』は口の端を釣り上げ獰猛に牙を剥いた。それは戦慄きにも、不遜な笑みにも似ていた。

「騒ぐな、星光。
 ――――貴様、ここをどこだと思ってる・・・・・・・・・・・

 ここは。
 日本ヤマトの地、だ。彼が生まれた国だ。彼が生き、彼が死に、彼の銘を今も伝える国だ。

 ああ、認めよう。遥か天上からこの星を見下ろせば、日本武尊とはちっぽけな島国に生まれた、ただの一英雄にすぎない。その手に担う、神剣・草薙もそうだ。

 対して相手はどうだ? 同じく島国に生まれた騎士王アーサーと聖剣エクスカリバー。けれど彼女達の名は海を越えてこの星の隅々にまで轟き、そして永遠に語り継がれるだろう不滅の大英雄と剣だ。
 英雄としての格で日本武尊はアーサー王に遠く及ばない。蓄えた幻想の量で草薙剣はエクスカリバーに及ばない。それは揺るがしようのない事実だ。大陸で、西欧で、未開の地で、この星のあらゆる場所で騎士王と聖剣は武神と神剣の上に立つだろう。

 けれど、ここでだけは・・・・・・

 彼が愛し、彼を愛したこのちっぽけな島国でだけは。

 ――――背負っているものがある。胸に抱く想いがある。自分は最強ではない。無敵ではない。そんなことは、嫌というほど判っている。

 それでも彼は。

「“我は、日本の、武尊也”」

 このヤマトを襲う災厄、全て祓いて護国を完遂する剣、也。
 その私が、ここにいるのだから。

「己がッ、幻想を……ッ! 証明したいのなら!!」

 噛みしめた奥歯の間から、意地を吐き出す。その手を突き動かすものは、たった一つの誇りだった。
 譲りえない幻想ほこりを、




「――――他国よそでやれ!! ラスト、ファンタズムーーーー!!」




 今ここに、形となす。












 そうしてついにその戦いは終わりを告げた。





 網膜を焼く光の奔流が、次第に収束していく。
 宝具と宝具。幻想の戦いの終焉を告げたのは硬い静寂だった。その静けさの中で、中空に静止した光の斬撃が、完全にその勢いを殺されている。

 ここに、戦いは決着した。

 無限の魔力の供給を受け、神剣がついに聖剣をねじ伏せたのだ。

 光が消える。セイバーから『セイバー』へと延びていた光の帯が、徐々に短くなっていく。第三者からは膨大な光の奔流に見える騎士王の宝具だが、それは彗星の尾のようなものだ。その尾は全てを焼き尽くす熱波であるが、本体はあくまで光の先端にある全てを切断する断層である。
 光の帯の後を追うように、断たれた空間も徐々に修復されていく。

 その光景を前に、宝具の対決に敗れたセイバーは、

「――――!!」

 彼女は既に、己が直感の告げる勝利の道へと駆けだしていた。








 消えゆく光の帯を追いかけるように、セイバーは強く大地を蹴った。向かう先は唯一点、静止した断層の先にいる『セイバー』の元である。
 ――――それは本来、不可能なはずの進撃だった。
 草薙を相手に敗れたならば、後に待つのは因果応報。彼女に許された未来は、自身の宝具による消滅だけだ。神剣は既にその力を発揮し、聖剣の攻撃対象から『セイバー』を削除している。
 後は空欄となったその場所に、セイバーの名を書き込むだけでいい。
 だと、いうのに。

「ぐ……」

 迫りくるセイバーの姿を認めながら、『セイバー』は動かない。動くことができないのだ。空中に静止したまま、迷い子のように行く先を失ったラスト・ファンタズム。にもかかわらずこの宝具の攻撃対象に、セイバーの名を刻みこむことができない。
 いや、正確に言えば刻むことはできている。ただその速度は、常時と違い牛歩のごとき遅い歩みだった。
 ありえない。攻撃対象の書き換えに、これほどの時間がかかることはありえない。その相手が星の造り出した神造兵器であってもだ。
 草薙が対象を書き換えるのに必要な時間は、その攻撃の威力の大小とは関係がない。例え見習い魔術師の起こした小さな火球であろうと、神代の魔術師がふるった大魔術であろうと、書き換えに必要な時間に差は生じないのだ。事実、前回の顔合わせで草薙は、即座にエクスカリバーを返している。

 だから、この遅延の理由は唯一つ、刻もうとしている名が騎士王アーサーであるということ。

 実のことを言えば、前回、『セイバー』が攻撃を返す対象として刻んだ名はセイバーではない。彼が攻撃対象に設定したのは、聖剣の背後の空間・・・・・だったのだ。その結果として・・・・・・・、逆流した聖剣はその直線上にいたセイバーと遠坂凛を襲った。
 けれど今回は違う。草薙が今回刻もうとしているのは、アーサー王の名そのものなのだ。その名が持つ意味こそが草薙の邪魔をする。

 それは人の想念の仕業だった。騎士王アーサーと、聖剣エクスカリバー。彼女とその剣に対し、今日まで人々が馳せてきた想いの結晶だった。
 人々の祈りが。
 歴史、伝説、そして想念が、セイバーとその剣の間に存在する全てが、エクスカリバーがアーサー王を斬る・・・・・・・・・・・・・・・・という異常事態に悲鳴をあげて抵抗する――――!




「……っ」

 既に彼我の間合いの半分を走破したセイバーの姿に、『セイバー』は僅かな逡巡を見せた。迷いは唯一つ、攻撃を返す対象をセイバーではなく前回のように空間そのものに設定しなおすかである。
 書き込む名が“騎士王アーサー”でさえなければ、聖剣の誘導は即座に可能だ。そうして返されたエクスカリバーは、再び加速し膨大な熱を生じながらセイバーの“方向”へと向かうだろう。仮に断層そのものが着弾せずとも、その余波だけでセイバーを焼き尽くすには十分なはずだ。

(――否)

 逡巡はしかし一瞬のことだった。“はず”などという曖昧な言葉はいらない。ここでぶれるわけには、いかない。
 確固たる決意をもって『セイバー』はセイバーを睨み据えた。殺す。絶対に、確実に、次撃でもってこのサーヴァントを消滅させる、と。

「ヒュ」

 それを実行するために、『セイバー』幾度も地面を蹴って真横に跳んだ。必要なのは距離だ。その距離をセイバーが詰めるために要する時間だ。対象の書き換えに手間取っている草薙だが、時間をかければそれは可能なのだ。そして書き換えさえ済めば――――セイバーを確実に消滅させられるという確信が『セイバー』にはあった。それほどに、今回彼が草薙をふるったタイミングは完璧だったのだ。

「来い、セイバー」

 迷いなく、そして焦りなく、『セイバー』は己を追撃するために進路を変えたセイバーを待ち構えた。その胸には確信と信頼がある。セイバーが己に到達するより早く、草薙がエクスカリバーをねじ伏せるという確信と信頼が。
 その信頼に答え、神剣は速やかに聖剣の攻略にかかった。それは複雑に絡み合った糸を解く作業に似ていた。あるいは獰猛な獣を手なずける調教にも。手繰り、宥め、緩め、恫喝して、草薙剣はエクスカリバーを侵食していく。

 ――――八十メートル。

 迫りくるセイバーの狙いを『セイバー』は知っている。というよりこの状況でとれる行動など一つしかない。

 ――――六十メートル。
 
 即ち、聖剣が抵抗を続けている間に『セイバー』を倒すこと。攻撃を止めるために一度、返すために一度。草薙による因果応報を完成させるには、都合二度剣を振るう必要がある。この二度目を振らせる前に『セイバー』を打倒することが、セイバーに残された唯一の道だった。

 ――――四十メートル。

 けれどそれは不可能だ。宝具の発動中であろうとも、『セイバー』は案山子のように棒立ちになっているわけではない。今の状態でも彼には通常の剣戟が可能だ。例えセイバーの剣撃が捨て身のものであろうとも、それで『セイバー』の首を落とせる道理がない。そもそも通常の剣戟で決着がつかないからこそ、セイバーは宝具を使用したのではなかったか。

 ――――二十メートル。

 何より。

 ――――十メートルの距離を残し。

 神剣草薙は、聖剣エクスカリバーの攻略を、ついに終えた。



 書き換え終了。対象――セイバー=アーサー・ペンドラゴン。



「報いをここに。自らが生んだ焔に焼かれろセイバー」

 静かに、そして躊躇なく『セイバー』は剣を振り下ろした。傍目には空を斬ったかに見えるそれは、けれどセイバーの命を断つ必殺の剣撃であった。
 荒れ狂う魔力。顕現する因果応報。必死の抵抗も空しくその攻撃対象にセイバーの真名を刻まれた聖剣は、その進路を騎士王の元に定め、膨大な熱波を伴いながら加速していく。
 
「アアア!!」

 再び空洞を満たす白光に、しかしセイバーは僅かの動揺も見せずに大地を蹴り続ける。十メートル、八メートル、七メートル。その瞳はただ、己が打倒すべき敵だけを真っ直ぐに見据えていた。
 加速し迫りくる聖剣は速い。
 けれどセイバーが残り六メートルを走破するほうが、僅かに早い。

「オオオ!!」

 騎士王の咆哮に呼応し、武神もまた吼え、剣を構えた。この『セイバー』の真に恐れるべきはこれだ。既にセイバーの消滅を確信していながら、この男には気の緩みが一切ない。必勝を信じぬ・・・がゆえの鉄の如き精神で、油断や慢心を欠片も含まず『セイバー』はセイバー最後の一撃に備えた。
 最後の剣撃を防げば、刹那の後に騎士王は自身の聖剣に討たれるだろう。無論聖剣の熱波は『セイバー』も襲うが、彼にとってそれは問題ではなかった。この時この場所における聖剣と神剣の格付けは先刻既に済んでいる。何より焔の熱を防ぐのは、草薙が最も得意とするところだ。

 騎士王最後の一撃を防ぎ、彼女を因果応報の焔に叩き落とし、己は再び草薙を振るって聖剣の余波から身を守る。

 繰り返すが、『セイバー』に油断や慢心はない。セイバー最後の一撃がどのようなものであれ、彼にはそれを確実に防ぐ技量と精神があった。

 ただ、一つ。

「……?!」

 『セイバー』にはそもそも、この最後の一合におけるセイバーの真の狙いが見えていなかった。 
 
 


 







 一足一刀。剣士が剣を振るうに最適の距離。その間合いに到達してなお、セイバーは剣を振るわなかった。彼女にとってそれは当然だ。元より捨て身の一撃などで、『セイバー』を倒せるなどという都合のいい妄想は抱いていない。
 この接敵は、最後に一撃を振るうためなどではなく。
 ただ、『セイバー』を■■するために――――!

「『セイバー』!!」

「……?!」

 それは剣士の本能だったのだろう。一足一刀の距離を飛び越え、なおも接近するセイバーに対して『セイバー』は反射的に剣を振るった。その刃は本能で振るわれたが故に、正確にセイバーの首筋へと走っていく。
 けれど、その刃は届かない。ただの一撃で相手を倒せないのは、両者ともに同じこと。激突する鋼と鋼が咲かせた火花は、彼らに迫る白光に比べあまりにも儚く散った。

「な、に――――」

 剣を振るわぬセイバーに対して『セイバー』が抱いた思いが“不審”ならば、今度の揺らぎは確かな驚愕だった。自身の剣撃が防がれたことに対する驚愕ではない。彼の思考を漂白したのは、刃を迎撃したセイバーが、その勢いのままに自ら剣を投げ捨てた・・・・・・・・・ためである。
 剣士たるセイバーがその剣を投げ捨てるなど、どうして想像できようか。
 だが、つまりこれは。

「セイバー、貴殿の――――貴様の狙いは!」

 再び本能の囁きに応じて後ろに跳ぼうとする『セイバー』を、しかしセイバーは逃がさない。一際強く地面を蹴って、その勢いのままに彼女は『セイバー』に抱きついた・・・・・。剣を捨て空手となった両手で力強く。それも彼が草薙を振るえぬよう、剣を担った腕を巻きこんで、強く。

 もはや疑う余地はない。
 セイバーの狙いは。

「自身を囮にしての相討ちかっ……セイバー!!」

 その顔に怒りを浮かべ、『セイバー』はそう絶叫した。

 身をよじり、それでも拘束が緩まないことを悟った『セイバー』は、彼我の間に挟まれた二の腕に力を込めセイバーを引きはがそうと試みる。腕一本、それさえ自由になれば草薙が振るえる。この手さえ拘束から外れれば、迫りくる熱波から自身の名だけを削除できるのだ。
 必死の力を込めるセイバーの拘束は硬い。だが、引きはがせないはずがない。基本的な筋力で、『セイバー』はセイバーの上を行く。

「お、お、お!!」

 日本無双の剛腕の前に、密着していた両者の身体に僅かな隙間が空く。
 そこから腕を引き抜こうとした『セイバー』は、吐息が感じられるほどの間近でセイバーの顔を睨みつけ、

「――――あ」

 覗き込んだ彼女の瞳に、全てを凍らせた。
 




「セイバー」

 その瞳にあったのは、純粋な闘志だった。一点の曇りも無い、金剛石の輝きすらも霞む緑宝石色の闘志だった。戦って、闘って。その果てに勝利を掴まんと欲する剣士の魂の輝きだった。

 ――――違う。

 『セイバー』は再度、己の勘違いを悟った。セイバーは相討ちなど狙っていない。この剣士は勝利を捨ててなどいない。

 ――――ああ、そうだ。

 どうして忘れていた。どうして思い至らなかった。セイバーはただの剣士ではない。どうしてそれを――――今更思いだした。
 彼女は騎士だ・・・・・・。騎士の王なのだ。
 召喚に応じて現界する際に、聖杯から彼女たち騎士に関する知識は受け取っていた。だというのに、どうしてそれを忘れていた。

 その騎士が、先刻衛宮士郎と遠坂凛に向け、確かにこう言っていたではないか。



 ――――この剣に懸けて誓いましょう。

 ――――私は必ず、この男に勝つ。勝って必ず、シロウ達の元に駆けつけます。



 遠き異国の、“騎士”というモノについて、聖杯は告げていた。

 曰く、騎士は剣に懸けた誓いを、必ずや護り抜くという――――。



(……だが!)

 何ができる、セイバー。

 この状況で、貴殿に一体何ができる――――?!




「……!」

 凍りついた『セイバー』を再び強く拘束し、セイバーは身を捩じった。視界を染めるのは白光。身体に感じるのは熱。彼女を攻撃対象と定めた聖剣は、二人の剣士を呑みこもうとしていた。
 己に着弾する光の奔流をちらと一瞥し。
 そして最後に、まっすぐに『セイバー』の瞳を見つめたまま。








「“――――――――全て遠き理想郷アヴァロン”」








 彼女は、奇跡を囁いた。

 










 瞬間、光がセイバーの身体を包みこむ。
『セイバー』・日本武尊は、間違いなく草薙剣を最高のタイミングで振るった。神剣の能力を十全に発揮するために、最強の幻想たる『約束された勝利の剣』エクスカリバーを相手に限界まで耐え抜き、必中の領域にまで聖剣を引き付けてこれを返すことに成功した。それは如何なる回避も防御も許さない、必殺の応報のはずだった。

 だが、忘れてはならない。神秘はより強い神秘によって覆される。『セイバー』は互いの剣の決着こそが終着であると定めていたが、セイバーにはその一手先が存在した。

 その真名『全て遠き理想郷』アヴァロン。騎士王アーサーの担う聖剣の鞘にして、今世までコーンウォールの地で眠り、二度の戦争で彼女とマスターを結びつけたえにし
 かつて煉獄の炎から衛宮士郎を護り、十年以上の時を経て王に返還された最強の結界宝具。
 平行世界からの干渉すら防ぎきる絶対防御は、その瞬間セイバーの存在のみ・・を妖精郷へと転移させ、あらゆる因果から彼女の存在を隔絶する――――

(…………)

 刹那にも満たぬ瞬間、セイバーは光の中に一つの世界を見たような気がした。あるいはその世界こそが、聖杯を手に入れるために彼女が捨てた、永遠の安息の地たる妖精郷だったのかもしれない。
 全てに遠き、理想郷。かつて世界との契約のためにその地を捨てたセイバーを、それでもこの理想郷はずっと待っていた。いつの日にか、士郎から答えを得ることができたなら、彼女はここで眠りにつくことだろう。

(シロウ、凛)

 まどろみの中で、セイバーは二人の名を口にした。そう、いつの日にかあの二人が進む道の果てが見えたなら、彼女の求める答えもきっとそこにある。
 だから、いつか来るその日まで。

「いつか――――」

 遠い夢の終わりに、彼女はそう別れを告げた。












「?!~~~~~ッッ!! ハ……ァ――――!」

 意識が覚醒する。現世へと帰還したセイバーを襲ったのは、途方もない疲労感である。その場に膝をついた彼女は、立ちあがることすらできず息を荒げた。
 ぐらぐらと視界が揺れる。限界だった。身体の維持すら困難なほどに魔力が足りない。『セイバー』との激闘の末の剣と鞘の使用は、さすがに無理が過ぎたのだ。

「――――!」

 魔力の枯渇に喘ぐセイバーは、本能的にラインを通してマスターから魔力を吸い上げようと試み――――理性でその欲求を無理矢理ねじ伏せた。今少しでも魔力供給を受ければ、歯止めがきかなくなるのではないかという懸念のためだ。
 凛を頼ることは、できない。すでにアサシンとの交戦に入っているだろうマスターから魔力を無尽蔵に吸い上げるなど、彼女を殺すに等しい。
 今のセイバーが魔力供給を理性で遮断するなど、酸素を残らず吐き出した末に呼吸を我慢することと同じだ。けれど彼女はそれに耐えた。この苦痛さえやり過ごせば、今は離れたマスターがあらかじめ掛けていた保険・・が己を救うことを、セイバーは知っていた。

 ――――『今日の貴女には、いくら魔力があったって足りないだろうから、ね。パスが通っているとはいえ、私が持っているよりセイバーが直接飲み込んでくれた方が色々と効率がいいから』

「まった……く、貴女の慧眼には、いつも……感心させられます、凛」

 身体の奥底に温かい熱が生じるのをセイバーは感じた。原因は他でもない、この空洞を訪れる前に凛に渡され呑みこんだ宝石である。その宝石が発する魔力が、魔力の尽きたセイバーの全身に染み渡る。
 無論、即座に戦闘できるほどの回復は望めない。しかしこの空洞は、そもそもサーヴァントが魔力を回復するには最適といっていい土地だ。この危地さえ凌げば、二人の元に駆けつけるまでにある程度は回復するだろう。

「…………ぐ」

 臓腑を包む温かなぬくもりが消えた。そこでようやくセイバーに、周囲を見渡す余裕が生まれる。
 何より最初にセイバーの目に飛び込んできたのは、頭上から降り注ぐ柔らかな光だった。見上げれば、遥か天上の先には真円の月がその姿を見せている。しばし呆然とその月を見上げた彼女は、ようやく自身の聖剣が天井を貫き地上まで到達していたのだと悟った。
 円蔵山の地下から放たれた聖剣は、御山を貫き空にまで届いたのだ。今更ながらにセイバーは、よくぞこの空洞が崩落しなかったものだと安堵の吐息を漏らす。
 周囲には、至る所に瓦礫が散乱していた。天上へと続く穴――――というよりも巨大な裂け目からは、いまも瓦礫が落ちてきている。
 そんな瓦礫と共に降り注ぐ月光の中に、

「あ――――」

 月の光を浴びて、その剣は地面に突き立っていた。先刻セイバーが投げ捨てたエクスカリバーが、まるで担い手を待っていたかのように月の光の中に佇んでいたのだ。

「…………」

 揺り動かされたものは、過去の記憶だった。遠い昔、アルトリアという名の少女を待っていた選定の剣。その剣に手をかける自分。耳元でささやかれる忠告。
 あの時、選定の剣が待っていたのは王となるべき少女だった。では、今はどうだ。あの剣は一体誰を――――どうなるべき自分を待っているのか。



 ――――その剣を手に取る前に、よく考えた方がいい。


「……馬鹿馬鹿しい」

 苦笑を浮かべ、セイバーは頭を振った。どうやら思っていた以上に疲労しているようだ。益体も無い感傷を抱いた上に、何とも不吉な声の幻聴まで聞こえるなど。
 緩慢な動きで剣の元に歩み寄り、セイバーは剣の柄に手を伸ばす。自分がどうなるべきかなど、今の彼女には考えられない。その答えがいつ出るのか、わからない。
 それでも剣の柄を握り締めたセイバーの胸には、かつてと変わらない決意があった。

 ――――戦うと決めた。

 かつては王として。そして今は、衛宮士郎と遠坂凛の剣として。
 己の立場は、随分と変わってしまってけれど。

 ――――それでも、戦うと決めたのだ。

 それが、彼女の誓い。











 ――――セイバーがそれに気がついたのは、ただの偶然だった。

 天上から、一際大きな岩の破片が落ちて来たのだ。それが地に落ち、大きな音を立てて砕け散った。ただその方向に、何気なく目をやっただけだ。
 ただそれ以前にも、気がつく機会が無かったのかといえば、それは否だ。そもそも大地とほぼ水平になるように振るわれ、結果セイバーを目標と定めていた聖剣が、どうして天上に裂け目を作るような軌道を描いたのか。
 理由をこじつけることはできる。例えば『全て遠き理想郷』[アヴァロンと衝突した剣は、その余波を上空へと向けたのかもしれない。何しろセイバーにとって、自身の剣を鞘で受け止めさせられるなど初めての経験だったのだ。そういったことが起こる可能性は否定できないし――――それを確かめる機会など、今後あるとも思えない。

 そう、理由をこじつけることができる。

 けれど、セイバーの瞳に映ったそれが、そんなこじつけなど必要ないと彼女に告げていた。

「……『セイバー』」

 呆然と、セイバーは瓦礫の狭間に埋もれる人影の名を呼んだ。瓦礫が影となって彼を覆い隠し、今まで気がつかなかったのだ。
 しかと神剣をその左手に担ったまま――――しかし地に倒れたその男の姿は、一回り小さく見えた。

 けれど、『セイバー』はまだ存在していた。

 その姿形を保ったまま、現世に現界を続けているのだ。

「ぐ……」

 未だ疲労が重くのしかかる身体を引き摺りながら、剣を杖としてセイバーは『セイバー』の元へと歩みを進めた。理由は無論、武神に止めをさすためである。

 近づいて、一つ気がついたことがあった。『セイバー』が一回り小さく見えたのは錯覚ではなかったのだ。

 あお向けに地に倒れた彼の下半身は、完全に消失していた。その身は酷く焼けただれ、ただ神剣を担った左手だけが怖ろしく綺麗なままだった。

 あの熱の中で、なおも神剣[げんそうは砕けなかったのか。けれど『セイバー』の身体はそうはいかない。セイバーが妖精郷へと転移した瞬間に草薙を振るい、断層をかろうじて上方へとそらしたものの、それまでに『セイバー』に到達した熱波は容赦なく彼の身体を焼いたのだ。
 しかし、

(だとしても、どうやって)

 不完全にとはいえ、聖剣の熱波からその身を護ったのかと、セイバーは胸中で問うた。
 あの熱波の中で、こうして僅かにでも形が残っているはずがないのだ。下半身の消失と火傷で済むほど、聖剣の熱波は温くない。
 『セイバー』の左手を見るに、恐らくあの草薙は担っているだけである程度の加護を彼に与えるのだろう。だが、そんなものでは足りない。
 ならば、あの治癒魔術の込められていた石の力か。
 だが、彼が身に着けていた十数個の石で、溶けていく身体を片端から修復していったとしてもまだ足りない。
 ならば。

「……成程。貴公にも、何か奥の手が有ったということか『セイバー』」

 その答えを、セイバーが知ることはない。
 
 ――――宝具・『走破せし水流の路』吾妻

 ある女の愛と共に日本武尊に捧げられた、6枚3種総計18の障壁で構成される武神最後の護りの真名がそれだった。





「……」

 『セイバー』の元へと達したセイバーは、無言のまま聖剣の切っ先を彼の首筋に当てた。彼女の瞳に殺意は無い。そこにあるのはただ、『セイバー』の首を落とすという行為に対する決意だけ。
 対して『セイバー』の瞳は硬く閉じられたままだ。

「――――!」

 剣が振り上がる。断頭の一閃が月光の中翻り、正確な軌道を描いて頂点に達する。
 振り下ろされる聖剣の前に、

「……王よ。止めは要らぬ」

 掠れた声が、その手を止めよと静かに告げた。





 動きを止めたセイバーに、しかし驚きはなかった。
 剣を振り上げたまま、相変わらず彼女には殺気もない。当然だ。すでに死んでいる・・・・・・・・相手に、どうして殺意を抱けようか。
 『セイバー』はか細い吐息を漏らすと、

心臓かくの半分以上が焼かれた。もはやこの身は、遠からず泥の中に沈む。貴殿が手を下すまでも無い」

「……ですが『セイバー』」

 その時までそのような姿を曝し続けることは、貴公には何より辛いことではないのか、と。
 慈悲による一撃を断った『セイバー』に、セイバーはそう問いかけた。
 『セイバー』の言うとおりだ。彼の身体はもう持たない。例え如何なる奇跡が起きようとも、彼が消滅を免れることはないだろう。
 この男の戦争は、もう終わったのだ。それをセイバーは、彼の姿を遠目にしたときに悟っていた。でなければ気配遮断のスキルを持たない『セイバー』の存在に、目視するまで気がつかないはずがない。

「…………」

 閉じられていた瞳を、『セイバー』はゆっくりと開いていった。右目を開けることは叶わなかったが、それでも残った片目に、しかとセイバーを映す。
 同時に『セイバー』は、剣を担った左手を僅かに蠢かせた。無論、最後に一太刀を――――などといった理由ではない。今の彼にはもう、一太刀を振るう力すらも残されてはいない。
 それでも剣の柄を握ったのは、ただ確認・・したかっただけだ。自分が最期まで草薙をその手にしていたのだと、そう確認したかっただけだ。
 全身の感覚は既にないが、それでも草薙によって護られた左手だけは、しっかりと柄の感触を『セイバー』に伝えていた。

「……そうか」

 無限に等しい魔力の供給を受け、全盛期に近い能力を保有し、草薙を最後まで手放さなかったのになおも至らなかった。
 もはやどのような言い訳も立たない。完全なる敗北を喫したことを『セイバー』は悟る。

 ――――何故だ? 怒りでも悲嘆でもなく、何よりも『セイバー』の胸を占めたのはその思いだった。何故。なぜ。一体どうして、自分は負けたのかと。
 
 力で劣っていたのか? 技で劣っていたのか? 速度で? 戦術で? 勝利への執念で? あるいはそれとも――――宝具きりふだで劣っていたのか。

 否。断じて、否。

 全てを否定し、そして最後に残ったのはたった一つの理由だった。それはたった一つにして、唯一絶対の理由。

 ――――この王のほうが強く、私のほうが弱かった。

 敗北これはただ、それだけの理由こと――――





「貴殿の勝ちだ、王よ。
 ……先に、進むが良い」

 不敗。ただその実現こそが自己の存在理由であると定義していた『セイバー』が、その一言にどのような思いを込めていたのか。

「…………」

 それを察せぬセイバーではなかったが、彼女はなおも躊躇っていた。いまや『セイバー』の身体からは、死にゆく者特有の気配のようなものが色濃く出ていた。繰り返すが、『セイバー』はもう決して助からない。であるならば、このまま放置しても構わないのだ。
 いや、というより、このまま『セイバー』を放置した方が自身にとって都合がいいことにセイバーは気付いていた。そして気付いてしまっていたからこそ、彼女は躊躇っているのだ。

 その様子を見て取った『セイバー』は、

「私か貴殿。そのどちらかが倒れれば、聖杯は完成の要件を満たす」

 言い聞かせるように、そう囁いた。

「――――逆を言えば、私達が倒れぬ限りアサシンが聖杯を手にすることはできぬということ。
 この身にあとどれほど時間があるのかは知れぬが、あるいは貴殿に運あれば、そなたがアサシンの首を取るまで持つかも知れんぞ」

「――――?! そのための楔になってくれるというのか? 貴公は」

「まさか」

 驚きと共に紡がれたセイバーの言葉を、『セイバー』は即座に否定した。





 そんなつもりはない。
 だって彼は――――裏切ったのだから。
 彼は、彼女を裏切ったのだから。

『セイバー』・日本武尊は、エリシール・フォン・アインツベルンを裏切ったのだから。

 ――――初めまして、サーヴァント・『セイバー』。ええ、私が貴方のマスターよ。

 あの時、アンリマユに呑まれ、なおも抵抗を続け。

 ――――いいの! 私が良いって言ってるんだから、私のことはエリスと呼びなさい。

 耐えきれぬ、と悟った果てに、自らの意思で間桐桜と契約を結び。

 ――――大丈夫。だって貴方はこの国で一番強いサーヴァントだもの。だから絶対、私達は勝つ。

 あの少女の信頼を、黒く塗りつぶしたその時に。

 彼は、誰かのために何かをする権利を、永遠に失ったのだ。





 だから。

「私が言いたいのはな。ただ、構わぬ・・・ということだ」

「……?」

「貴殿に敗れた以上、私は己に価値を認めぬ。負けた私には、一片の誇りも矜持も無い」

 だから構わぬのだ、と『セイバー』は告げた。勝者たるセイバーが己の骸を踏みにじろうと、その首を掲げ勝鬨を挙げようと、一向に構わない。
 ただ一つ、骸が語るべきことは、

勝者きでん敗者わたしの、骨まで使う義務けんりがある」

 だから、決して同情だけはしてくれるな、ということだけ。
 如何なる行為であれ、それが慈悲であるならば、この日本武尊は一片たりとて受け取るつもりはないと。
 そんな己の骸を利用し時間を稼ぐことは、決してそなたの誇りを損なうものではない、と

「それが、我らが共有している原則の、その末尾のはずだ」

 どこまでも静かな声で、『セイバー』はそう告げた。












「…………」

 無言のまま、セイバーは振り上げたままの剣をゆっくりと下ろした。その瞳に、ほんの一瞬寂寥が浮かぶ。

「『セイバー』。あなたは」

 セイバーがそう口を開いた瞬間、一際大きな瓦礫が彼女達の傍に落ちた。

「    」

 響き渡る轟音に、セイバーの言葉がかき消される。
 間近であっても聞こえなかったのか。それとも答える気がなかったのか。『セイバー』は無言のまま、再び硬く目を閉じた。
 その様子を見てとったセイバーは、

「――――いえ、忘れてください」

 そう呟いて、力なく首を振った。
 そしてセイバーは士郎と凛の元へ向かうべくその身を翻すと、最後に一度だけ、肩越しに振り返った。
 そこにあるのは、英雄のなれの果て。奇跡に狂い、聖杯を求め、そして倒れた剣士の姿をその瞳にしかと焼き付けると、




「――――さらばだ。かつてこの国に存在した、尊き武の化身よ」

け。今なお在り続ける、遠き異国の誇り高き王よ――――」




 駆ける。勝者は前に。己が望む未来を掴むために、次の戦場へと走っていった。
 不意に、周囲に暗闇が落ちた。月が雲に覆われたのだ。降り注ぐ月光が祝福を与えるのは、ただ勝者にのみということか。
 無数に存在する星の光とて、ただの一つも敗者を照らすことはない。
 勝者が去り、幕の下りた戦場跡に、



「……ヤマトタケルためさ。王よ」



 跡にはただ、最強ユメの残滓だけが残された。
 










スポンサーサイト
別窓 | 月聖本編 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
月聖Inter10-3
2011-06-24 Fri 23:00


 於是詔 茲山者 徒手直取而。
          『古事記』







 ――――それが彼の終わり。そして始まりの記録。







 妻である弟橘媛を失い、それでも日本武尊の東征は止まらなかった。いや、その進撃はよりいっそう苛烈さを増したと言っていい。人を、神を、獣を。眼前の障害全てを斬り伏せ、彼は前に進み続けた。各地に散らばる反逆の芽、荒ぶる神々と賊たちを余さず刈り尽くしていったのである。

 その戦いの日々にも、やがて終わりが見えてくる。

 それは紛れもなく、武の神でもなければ成し得ぬ偉業だった。人の身では不可能な奇跡。独力での国の統一という不可能を成し遂げるまで、彼はあと数歩の所にまで差しかかったのだ。その頃になって、彼につき従った従者のなかに、この東征の成功を疑う者は最早皆無であったと言っていい。

 日本武尊。其はこの国で最も強きもの。この国で最も猛々しきもの。決して負けることの無き、不敗と必勝の体現者。

 従者の中に彼の“最強”を疑うものはいなかった。その強さを疑わず、その勝利を疑わず、その無敵を疑わない。彼の傍でその“武”を目の当たりにした者達は、その悉くが彼の無敵に心酔し、彼の勝利に喝采をあげ、そして彼の強さに――――怖れを抱いた。

 ――――ミコトは、正しく日本武尊であらせられる。

 従者の誰もがそう頷く中で、けれど、

「……」

 他ならぬ当人である彼だけが、自身が武尊足りえないことを知っていた。

『どうか、先へとお進みください』

 その声が耳から離れない。その姿が瞼から消えない。あの敗北の記憶が薄れない。
 それは彼の“日本武尊”につけられた、たった一つの傷だった。東征が成れば癒える筈だと信じていたその傷は、けれどここに至ってより一層その痛みを大きくしていた。
 それはまるで、血を流し続けていた傷が、次第に膿んでいくかのよう。
 食事をとることが厭わしい。呼吸をすることが苦しい。名を呼ばれることが、耐えられない。
 酒を呑んでも女を抱いても、その苦痛が彼を赦すことはなかった。じくじくと波紋のように広がり続ける痛みは、彼の全身を侵し、世界から色を奪い去っていく。

 はっきりといえば。

 その時の彼には、生きていること自体がどうしようもなく苦痛だったのである。

 そんな彼にとって、その痛みを唯一忘れさせてくれる時間が“戦い”だった。耳を塞ぎ、口を結び、ただ敵だけを見据えて無心に剣を振るっている時だけ、彼はその痛みを自覚せずに済んだ。
 そうして相手をねじ伏せて、自身の強さを証明することだけが、この傷を癒す唯一の薬だと彼は信じたのか。
 彼は、努めて戦いを求めるようになった。国の統一のために戦っていた彼には、やがては戦いそのものが必要となったのだ。それも敵は強ければ強いほど良い。相手が強ければ強いほど、自身が不利であればあるほど、その先にある勝利は自身の
武尊つよさを証明してくれる。

 だから、戦った。斬って殺し、薙いで殺し、殴って殺し、彼は自身の強さを証明し続けた。朱に染まった手は常に勝利を掴み、その歩みは確実に東征の完遂へと近づいていった。傍からみれば、それは間違いなく武の神の姿そのものだっただろう。

 ――――だというのに、彼の心を蝕む傷が癒えることはない。

 やがて、彼は知ることになる。どれほど戦いを重ね勝利を収めても、この傷が癒えることはないのだと。どれほど勝利を重ねても、あの敗北の記憶が無くなることはないのだと。
 けれど同時に、彼はもう止まることができなくなっていた。もしもその手を休めたら、あまりの痛みで死んでしまう。
 死ぬわけにはいかない。死ぬことなど許されない。その身を真実、日本武尊とするその日まで――――最低でも東征を成し遂げてこの国を一つとするまで、彼は死ぬわけにはいかない。
 だから、どれほど愚かしくとも彼は戦い続けたのだ。

 必死に、一心に、そしてどこまでも愚かに。

 戦い続けることで先に進めると、彼は信じるより他になかったのだ。


 





 伊吹山には神が棲んでいる――――その噂を聞きつけた日本武尊が、その討伐を決意するのに時間は必要なかった。まるで呼吸をするかのごとく、ごく当たり前に彼は次の戦場をそこに定めたのである。
 伊吹山の神を討つ。そう告げた主に対し、異を唱えた従者はいなかった。恐れを抱くものすら皆無であった。
 当然だ。彼らにとっては眼前の主君こそが、まさに武の神の化身なのだ。たかだか山の神如きに恐れを抱く必要がどこにある。
 ここに至って日本武尊の従者達は、主の負ける姿を想像することすらできなくなっていた。彼は負けない。そして当たり前のように今回も勝利を掴み、また一歩東征の完遂に近づくだろう、と。
 それは信頼を超えた盲信だった。故に従者達は、彼が『今回の戦いには自身一人で赴く』と告げた時も、それを止めることはしなかった。ただ彼にごく近しい幾人かが、ほんの僅かに眉を顰めただけだ。
 彼の巌のような表情に、ほんの僅かな危うさを感じ取ることができたごく少数の従者達は、

「今度の戦いに、剣はいらぬ。伊吹山の神は、素手で打ち取って見せよう」

 主がこう告げた途端、その顔色を変えた。
「お待ちを」と誰かが叫べば、「それはなりませぬ」と絶叫する者が続く。どうかどうか、それだけはお考え直しください、と。
 相手が神であることを、従者達は忘れていなかったのだ。異質にして異形。そして何より異能。視線を合わせれば眼が潰れ、その声を聞けば心が狂い、その呪いを受ければ肉が腐り落ちる。それが神だ。その神を相手に剣を持たずに挑むなど、正気の沙汰ではない。
 重要なのは武器としての剣ではない。防具としての剣だった。例え相手が神であろうと、日本武尊であればこれを素手で殺せる。しかし神の呪いを防ぐためには、どうしても神器・草薙剣の力が必要なのだ。人、獣、そして神。今日まで多くのモノを屠った彼がこうして無事にいられるのは、他ならぬこの神器が持つ守護の力によるところが大きい。殺すためではなく自らを護るためにこそ、彼は剣を手放すわけにはいかないはずなのだ。
 万言を尽くしてその軽挙を諌めようとする従者達を前に、しかし彼は首を縦に振らなかった。その余りの頑迷さに、やがて従者達は一人また一人と彼を説得することを諦めていく。

 ――――ミコトは確かに、お強い。

 ――――しかし今回のこれは、あまりにも自惚れがすぎるのではないか。

 彼の説得を諦めた従者達は、心中でそう嘆息した。今日まで日本武尊に仕えた彼らは、間違いなく優秀で義に厚い忠臣だった。だからこその諫言であり、彼らが真実、主君の身を案じていたことは疑いようがない。

 ただ、その従者達の中には、誰一人として彼の心中を正確に把握できたものがいなかったことも事実だった。

 武器を持たず鎧をつけず、身体一つで神に挑むという、その暴挙。
 神を侮っているわけではない。自惚れているわけでもない。彼はただ、神器に頼らずして神を討つことができたなら、今度こそ己の
武尊タケルを証明できるかもしれないと、そう考えただけだ。そうせざるをえなかっただけだ。

『どうか、先へとお進みください』

 ――――丸腰で神を討つことができたなら、あの日の記憶が消えてくれるのではないかと思っただけだ。

 傲慢? 真実はその対極だ。

 彼はただ、自らを苛む痛みを堪えるのに、必死だったのだ。


 彼のその心に、もしたった一人でも気付くものがいたのなら、その後の悲劇は回避できたのか。
 答えは否である。何故なら彼の心を理解していた者は
いた・・のだ。その痛みを、苦しみを、渇望を、そして何より彼の心の底にある望みを、あるいは彼自身以上に理解していた者は居たのである。
 従者の中に、ではない。繰り返すが、従者の中に彼の心の内を理解しているものはいなかった。彼を真に理解し、そして最後まで彼を止めようとしたのは――――弟橘媛亡き後、東征の最中に彼が娶った新たな妻である。
 彼に求められた者。その求めに答えた者。真実、彼を理解していた者。伊吹山へと向かう彼が、神器を託した者。

 その女性の名を、
美夜受媛ミヤズヒメと言った。








 その日は雲一つない青天だった。その空の下にあって、静謐を保った霊峰の姿は、まるで青空に浮かび上がっているように見えた。
 霊峰・伊吹山は、見る者の心を打つ、一種の荘厳さすら漂う山であった。成程この山には神が棲んでいる。これほどの霊峰に神が棲まぬはずが無い。そう納得するほどの威厳を備えた山である。

 その荘厳なる山が、これより戦場と化す。

「――――媛」

 御山を前にして、日本武尊は腰に佩いた草薙剣を手に取ると、眼前で佇む女に差しだした。それはこの霊峰・伊吹山を前にしても、ついに彼の意思が変わらなかったことを示していた。一切の武器・防具を身につけぬ、無手による神の討伐。その余りの愚かな考えを、彼は実行しようというのである。

「…………」

 差し出された剣を前に、しかし美夜受媛はそれを手に取ろうとしなかった。ただ彼女は、僅かに眉を顰め、まっすぐに彼と視線を合わせただけだ。
 間近で見る彼の黒い瞳は、どこまでも空虚であるように彼女には見えた。まるで地の底まで続く穴倉を覗き込んでいるかのようだ。その事実が、彼女には余りに痛ましい。
 いっそ彼の瞳の中に傲慢の色があればよかった。不遜の気配があればよかった。愚かさがあればよかった。であるならば、彼女は万言を尽くしてでも彼を諌めただろう。
 けれど無理だ。無理なのだ。彼は傲慢でも不遜でもない。愚かではあるかもしれないが、彼自身がその愚かさを自覚している。愚かなまでに、彼は必死だったのだ。ならばその心を正すことは、この世の何者もできまい。

「……ミコトよ」

 発せられた彼女の声は、あまりにも美しく、よく響いた。美夜受媛はその名の通り、夜を切り取ったような黒髪を持つ美しい女性だ。しかしその美貌すら、彼女の声の美しさの前には霞む。
 彼の名を呼んだ彼女は、しかし未だ剣に手を伸ばそうとはしなかった。それを手に取ってしまえば、眼前の夫が永遠に失われてしまうように思えたのだ。
 彼の心を正すことはできない。それを悟っていながら、なおも彼女は諦められなかった。彼の痛みを、心の欠落を、そして何より彼の望みを。その全てを理解した女は、無意味と知りつつも言葉を紡ぐ。

「ミコトよ。貴方は御強い」

「――――かもしれぬ」

「ミコトよ。この山の神は怖ろしい」

「――――かもしれぬ」

「ミコトよ。この剣を手放しては、貴方は生きては戻れません」

「――――かもしれぬ」

 かもしれぬ。かもしれぬ。そうかも知れぬ。
 だからそれを確かめに行くのだと、彼は身を案じる妻にそう言った。強きか、弱きか。勝利か、敗北か。己は真実、武尊か否か。それを確かめずしては、生きていくことすらできないのだと。

「…………ミコトよ」

 変わらず空虚な黒瞳を前に唇を噛んだ彼女は、一瞬の躊躇の後、それを告げた。
 それを告げることに、彼女は自身の死すら決意した。少なくともそれを聞いた彼が激昂し、手にした剣を己に振りおろしても止むを得ぬと、それほどの決意を固めて告げた言葉だった。
 
 ――――その命をかけて、彼の進む道を切り開いた弟橘媛の想いが愛ならば。
 その命をかけて、彼の進む道を閉ざす美夜受媛の想いもまた、愛であるはずだった。

 自らの手を彼の手に重ね、彼女は、




「貴方の願いは、
永久とわに叶わないのです」

「で、あろうな」






 それでも。
 
 彼は
武尊タケルを、辞めるわけにはいかない。








 結論として、美夜受媛はどこまでも正しかった。
 草薙剣を手放した日本武尊は、絶大な呪力を持つ伊吹山の神に呪い殺されたのである。
 それが東征の終わり。彼の終わり。タケルの終わりだ。国の鎮定のために剣を振るい、クマソとイズモのタケルを討ち、東征をほぼ成し終えた空前にして絶後の大英雄・日本武尊は、伊吹山の神に敗北して死んだ。
 最強を証明しようと足掻き続けた彼は、その人生の最期に、自身のタケルを決定的に否定されたのである。



 さて、そんな彼の敗北と死は、けれど決して特別な悲劇などではない。



 確かに悲劇ではあるだろう。しかし英雄などという存在は、誰もがその人生に悲劇を抱えている。万人に知られた英雄譚など、いっそ悲劇が付き物だと言っても過言ではない。悲劇なくして英雄は輝かず、その名を後世に残すことはないのだ。
 ならば彼の妻の死も。
 そして、彼自身の死も。
 一つの英雄譚としてはごくありふれた、
当たり前・・・・の悲劇でしかない。

 だから彼の物語は、決して特別な悲劇などではない――――が。



『どうか、先へとお進みください』



 彼女を喪ったその痛みを、自身の
武尊タケルが否定されたことへの痛みであると、履き違えてしまったこと。
 世界から色が消え、生きていることすら苦痛となるその喪失感は、愛する者を喪ったがゆえであると最期まで気がつかなかった、その事実だけは。

『今日からお前がタケルだ、皇子よ』

日本最強ヤマトタケル”の名を冠した彼に訪れた、たった一つの特別な悲劇だったのかもしれない。








 どれほど強くなろうとも、彼の痛みが消えることはない。
 それは、どこまでも正しかった美夜受媛が彼に告げた通り、

『貴方の願いは、
永久とわに叶わないのです』

 愛する者を喪ったという事実を、なかったことにはできないのだ。







 月の浮かびし聖なる杯  Interlude10-3 ~Pain~







 風が、荒れ狂っていた。それは魔力によって紡がれた風だ。騎士王セイバーの宝具・『
風王結界インビシブル・エア』。光の屈折を変えることで纏った刀身を不可視とする風の結界は、担い手の意思に答え、その固定化を解いていった。
 それはまさに暴風だった。物理的な破壊力すら伴った台風だ。その風の中にあって、しかし絶大な対魔力に加え嵐除けの加護を持つ『セイバー』は、微動だにせずその光景を眺めていた。
 やがて一層強くなる風とともに徐々に露わになるのは――――星の鍛えし貴き幻想。

「…………」

 その刀身を目の当たりにした『セイバー』は、無表情の仮面の裏でそっと嘆息した。
 これは彼が今回の戦争で召喚に応じ、騎士王セイバーの存在を聞かされてから幾度となく想像していた中で、限りなく最悪に近い光景だった。つまり自身の敗北する可能性が最も高まる状況ということである。
 そもそも彼にとって最初のイレギュラーは、前回の戦争より今まで現界を続けているセイバーの存在そのものだった。この国が生んだ英雄達の頂点に君臨し、かつ宝具・草薙剣を担う日本武尊にとって、召喚が限定された今回の戦争で負けることなどありえないはずなのだ。事実この戦争にイレギュラーさえ入り込まなければ、勝つのは間違いなく彼だっただろう。

 イレギュラーは二つ。セイバーとアベンジャー。いずれもこの国の英雄ではないサーヴァントである。

 戦争開始直前、セイバーの存在をエリシールより聞かされた彼は、即座にキャスターとの連携による
遠坂凛の殺害マスター殺しを己のマスターに提案している。これはエリシールによって却下されたが、それが為されていれば勝利は確実だったはずだと、彼は今も思っている。
 目的である聖杯獲得を達成するのに、『セイバー』に躊躇はない。あらゆる意味で今の彼には勝つことが全てであり、そのためならばあらゆる手段が正当化される。誰かに許してもらうのではなく、彼自身が非道な自分を許せる。それこそがタケルの名に呪われた彼が得た、たった一つのちっぽけな武器だった。

 その『セイバー』にとって、かの聖剣と真正面からやり合う戦場など、正に最悪に近い。しかも前回の顔合わせとは違い、今回はこれをいなすだけでは済まないのだ。

 しかしそれは、真の最悪ではない。彼にとっての最悪は、聖杯を手に入れられないことだけだ。そして無為に時間を消費すれば、その最悪は確実に訪れるのだ。ならばどれほど最悪に近かろうと、戦闘の早期決着のためにはしかたないと覚悟を決めるしかない。

 さもなければ、彼がアサシンを殺すことは不可能になる。

 桜との誓約によってアサシンを殺すことができない『セイバー』が聖杯を手に入れるためには、どうしてもアサシンの行う“魂の交換”の儀式に立ち会う必要があった。魂を入れ替えるその瞬間にだけ、彼は自身を縛る誓約が緩むと推測している。桜であって桜でなく、アサシンであってアサシンでない。その肉体が何者か定まるまでの刹那の瞬間ならば、これを殺すことは可能である、と。
 その儀式に立ち会うためにも、ここで時間を消費するわけにはいかない。何としても士郎と凛がアサシンに敗れる前に、セイバーを打倒せねばならない。
 アサシン殺害の後、桜の魂は正しく新しい身体に宿るのか。そして生誕するアンリマユの存在をどうするか――――そんなことは、彼の知ったことではなかった。聖杯さえ手に入れることができれば、その他の諸々のことはどうでもいいというのが彼の基本姿勢である。

 いや、どうでもいいというよりは、そんなことまで考えている余裕が『セイバー』にはないと言った方が正しいかもしれない。

 召喚されてより今日まで、その能面のような表情の裏で、彼は常に必死だった。勝つために、負けぬために、聖杯を手に入れるために。一片の油断も情も余裕もなく『セイバー』はこの戦争に臨んだ。臨まざるを得なかった。
 彼にとって聖杯は、自身の望みを叶えるための数少ないよすがだ。“最強”という最終的な目的には届かずとも、存在を固定化された自身を改変できるかもしれないという、数少ない機会なのだ。
 この機会を逃すわけにはいかない。その願いを叶えるためだけに、彼は世界と契約し自らの死後を売り渡したのだから。
 日本武尊は、世界に願うことで奇跡を起こし、その結果として英雄になったわけではない。世界との契約なくして独力で英雄となった存在である。
 さらに彼はその死後に生前の功績を評価され、大神の治める神々の安息地――――すなわち高天原へと昇ることが許されていた。その身を白鳥と化した彼はその場所に至り、永遠の休息を得るはずだったのである。

 それは、妖精郷にて眠りにつくといわれる、遠き異国の王の物語とよく似た話。

 その両者は、しかし共にその安息を捨て、死してなお再び戦場に戻る決断したのである。
 
 ただ、その理由だけが違った。国の滅びを目の当たりにし、王の選定をやり直すために聖杯を求めた騎士王に対し、この武神は“敗北した弱い己”のままで世界に記録され続けることを忌避したのだ。
 少なくとも、彼自身は己の願いをそう認識している。そしてそれは、決して
間違ってはいない・・・・・・・・
 故に、かつて無手で挑んだ伊吹山の神に呪われ、敗走の末に死に直面した瞬間、彼は世界にこう願った。

 ――――私が、私の望む
日本武尊わたしと成る可能性を寄越せ。

 その願いを聞き届けてくれたなら、その身を死後も預け、抑止の走狗となることも厭わぬと彼は契約を交わしたのだ。
 彼にとって今回の聖杯戦争は、その契約の一つの形なのである。存在の固定化された自身の改変が叶うかもしれない、数少ない可能性の一つ。それが聖杯だ。

 とはいえ本来、この戦争への参加は彼には許されないはずだった。まして“セイバー”のクラスで召喚されるなど、不可能なのである。

 理由は単純、彼と同じく世界と契約した騎士王アーサーの存在である。死後を預ける代わりに聖杯を手にする可能性を望んだ彼女の願いの方が、この聖杯戦争という舞台では優先されるのである。聖杯戦争への参加権の優先順位という点で、日本武尊はアーサー王より立場が低い。
 つまり今回日本武尊がセイバーのクラスでこの戦争に参加できたのは、アーサー王が前回から現界し続けたことでその枠が余っていたという、幸運にすぎない。
 ならばこの邂逅は、イレギュラーではなく必然だ。この冬木の聖杯を手にしようと思うなら、騎士王セイバーは決して避けることができない壁なのだ。
 その事実を『セイバー』は知らない、が――――

「……二度の戦争に勝利した最強の剣か。だが、三度目はないぞ騎士王」

 暴風の中、セイバーの耳に届かぬ声で『セイバー』はそう呟いた。
 風の壁の向こうで、セイバーは凛とした眼差しで『セイバー』を真っ直ぐに見つめている。
『セイバー』には聖杯戦争の舞台裏の事情など知るよしもなかったが、英雄・アーサー王の知識は召喚の際に与えられていた。サーヴァント・セイバーとしての彼女については、エリシールから聞いている。
 曰く、選定の剣を抜いて国の統一のためにその生涯を捧げた偉大なる王。過去の王にして未来の王。全ての騎士達の王、即ち騎士王――――数々の栄光に彩られた彼女の物語は、けれどその最後に国の崩壊と彼女自身の死によって幕を閉じたという。
 四度目の戦争においてアインツベルンのサーヴァントとして戦った彼女について、エリシールはこう言った。

『――――ええそうよ。四度目の戦争で、彼女は強く聖杯を求めていたと聞いてるわ。貴方と同じくね。けれどセイバーは二度もその聖杯を破壊している』

 その晩年に聖杯探索を命じたという伝説からも、セイバーが強く聖杯を求めていたことは間違いない。ならば彼女には、願いがあるはずなのだ。聖杯でなければ叶うことのない、強い願いが。

「…………」

 心の奥底で、何かが鎌首をもたげるのを『セイバー』は自覚した。それは本来、ありえないことだ。彼にとってこの戦争は聖杯獲得こそが唯一の目的だ。それがよりにもよって――――その聖杯を求め争う敵の一人に、興味を持つなどと。
 吹き荒れる風の中心点。その場所で剣を構える騎士王の姿を改めて眺める。
 曰く、選定の剣を抜いて国の統一のためにその生涯を捧げた偉大なる王。過去の王にして未来の王。全ての騎士達の王、即ち騎士王。


 その彼女は、果たして――――


 沈思の間に、気がつけば周囲に渦巻く風が弱まっていた。間もなく風が止むと同時、この戦いも決着する。
 そんなぽっかりと空いた空白の時間が終わる前に、

「……王よ。最後に一つだけ、訊ねたいことがある」

 気がつけば『セイバー』は、そんなことを口にしていた。








「……?」

 唐突な呼びかけに、セイバーは僅かに身を硬くした。
 そんな彼女の様子には構わず、『セイバー』は言葉を続ける。

「騎士王・アーサー。あるいはサーヴァント・セイバー。貴殿の話は耳にしている」

 選定の剣。円卓の騎士。繰り返される裏切り。聖杯探索。そして――――カムランの戦いと、国の滅亡。
 第四次聖杯戦争。勝者なき終わり。五度目の戦争における再召喚。そして――――聖杯の破壊と、今日までの現界の継続。

「王よ」

 勝利と敗北、栄光と破滅に翻弄された、遠き異国の王よ。
 このちっぽけな島国に生まれた、最強のなりそこないが問う。



「貴殿は、望みを、捨てることができたのか?」

「――――――――!」



『セイバー』が口にしたそれは、

「望みがあったのだろう? 貴殿にもまた、私と同じく聖杯にかける望みが。その聖杯を破壊し……なおも今世に現界を続けている貴殿は、聖杯への望みを捨てたのか?」

「そ……れは」

 かつて聖杯を求めていたはずの英雄に対する、たった一つの疑問だった。



「……私は」

 視線を逸らし、再び向け、痛みを堪えるように唇を結んで、セイバーは刹那の時間瞑目した。
 国の滅び。民と騎士達。そして選定の剣。瞼の裏を過るのは、かつて見た滅びの丘の光景であり、彼女に仕えたものたちの姿であり、岩に突き立った一本の剣だ。
 ――――悔恨。
 いつだってその光景に付きまとう感情は、その一言に尽きた。
 その悔恨を、捨てることができたのか。
 答えは――――

「――――いいえ『セイバー』。私はきっと、未だ聖杯への望みを捨てきれてはいない。私はまだ、答えを得ていない」

 そう告げたセイバーの表情は、けれどどうしてか言葉とは裏腹に穏やかなものだった。

「答え?」

 訝しげに問い返す『セイバー』に、セイバーは頷いた。

「私は良き王ではなかった。そうあろうと努めはしましたが、けれど私には王として何かが足りなかった。ずっとその思いがあった。」

「…………」

「それが何なのかもわからないまま――――こうも思ったのです。選定の剣が私を選んだのは、何かの間違いだったのではないのかと。本当はもっと王に相応しい人物が、他にいたのではないかと」

 その思いは、騎士王最期の戦場にて極まった。

「そして貴公も知っての通り、私の国は滅びた。その時に確信したのです。やはり、私が王に選ばれたのは間違いだった。だからその間違いを正すために、私には聖杯がどうしても必要だった」

「……過去の改変。やり直しか」

 そこまで聞けば、この王の望みを推察することは難しくはなかった。
『セイバー』の言葉に、セイバーは再び頷いた。

「そうです。選定をやり直し、今度こそ相応しい者を王に据える。それが私の望みです」

 未だ吹き続ける風の中。
 正眼に構えた聖剣の切っ先を僅かに下ろしセイバーは、

「――――けれどそんな私を、間違っていると断じた人がいた」

 風に外套をたなびかせ佇む、赤い弓兵の姿を幻視した。








「私は聖杯を使って国を救うためだけに、サーヴァントとしてこの時代に現界した。そんな私が、けれど“彼”の言葉を戯言だと切り捨てることが、どうしてもできなかった」

「…………」

 無論、『セイバー』がその男のことを知るはずもない。第五次聖杯戦争。アーチャーのクラスで召喚されたそのサーヴァントについて、彼は何の知識も持ってはいない。

 英霊エミヤ。

 今より未来に存在したかもしれない、衛宮士郎の一つの可能性。

「ですが私は、私の願いの何が間違っているのかがわからない」

 その答えを彼は残していかなかった。ただ間違っているとだけ彼女を断じ還ってしまった。
 ――――彼は私が間違えていると言った。
 その答えを、いつか。

「だから私は、今もこの時代に現界している。その答えをいつか、シロウが私に教えてくれるその日まで」

「……そうか」

 疑念は解けたと、『セイバー』はぽつりと呟いた。言葉よりも何よりも、自らを語るセイバーの瞳の中にこそ、彼はその答えを見たのだ。
 聖杯への望みを捨て切れずとも。
 過去への妄執を未だ断ち切れずとも。

 それでもこの王は、先に進んでいる。

 答えを探して前を向くセイバーの瞳は、『セイバー』とは違う。
 止まり、澱んでしまった瞳とは、違う。

「…………」

 ごう、と一際強く耳朶を打つ風の音で、不意に『セイバー』はかつて遭遇した嵐を思い出した。それは遠い昔の記録。雨と、風と、そして一人の女に支配された記録だった。
 その記録の中で、けれど女の顔だけはどうしても見えない。わかるのはただ、彼女が最期に告げた言葉だけだ。

 ――――どうか、先へとお進みくださいと、その女は言っていた。

「……媛よ」

 
進めぬよ・・・・――――記録の中の彼女の言葉に、彼は心中でそう呟いた。

 彼女を喪ったあの日から。
 ヤマトタケルにはなれず、オグナに戻ることもできず。
 彼はずっと、あの嵐の中で立ち尽くしたままだ。








「……“水よ”」

 その瞳に寂寥を浮かべたまま、『セイバー』は手にした剣を突き出した。
 担い手の意思に呼応し、神剣を包んでいた水の鞘が即座にその固定化を解き、地面の上に弾けて消える。

 血糊を飛ばすような仕草で一度剣を振り、

「“我は”」

 顕わとなった黒い刀身を見つめ、『セイバー』は自己の内へと潜っていった。それはかつて、彼が大きな戦いに臨む際に自己にかけていたまじないだった。

「“
日本ヤマトの”」

 自己に暗示をかけ、目に映る刃で心を削ぎ落とす。
 そうして恐怖を、情を、誇りを愛を弱さを、戦いに不要な全てを削ぎ落としていけば、

「“
武尊タケル、也”」

 ほんの少しでも、理想の
日本武尊じぶんに近づけると信じて。

「――――来るがいい、騎士王。貴殿の魂を聖杯に捧げ、私は先に進む」

 セイバーに向けられた瞳には、既に感情の名残すらもなかった。そこに立つのは一振りの剣。かつて国によって振るわれた、日本武尊という銘の剣だった。
 その宣言に剣を構えなおしてセイバーは、

「私は、シロウと凛の元に行く」

 国のためではなく、民のためではなく、あるいは誰かのためですらもなく。
 今はただ、その身を突き動かす衝動の命じるままに。

「ヤマトタケルノミコト――――貴公の
最強ねがいを、この剣で打ち砕かせてもらう」



 風が、止んだ。



 まるで申し合わせたように、両者は共に背後に跳んだ。二度三度と地面を蹴り、数十メートルもの間合いが開く。
 その間合いを挟んで、騎士王と武神が、

「行くぞ――――」

 膨大な魔力を蓄えた聖剣を、担ぐ。

「来い―――――」

 視認できるほどの濃密な魔力を帯びた神剣を構え、腰を落とす。
 そうして、刹那の静寂の後、



「――――『セイバー』!」

「―――――セイバー!!」



 互いの、同一のクラスを呼ぶ声が重なり合い、




「“
約束された勝利の剣エクスカリバー”ーーーー!!」



 真名は、解き放たれた。











別窓 | 月聖本編 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 月の集積場 | NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。